世界美術館巡り旅

世界の美術館・旅行・画家・絵画の情報共有サイト

カテゴリ:巨匠の傑作 > ピーテル・ブリューゲル

 2017年6月にカルヴェ美術館(アヴィニョン/南フランス)を訪問しました。今回は、ピーテル・ブリューゲル子追従者作「劇場と行列のある村の見本市」を紹介します。
 ピーテル・ブリューゲル父(1528年頃~1569年)はオランダ南部で生まれ、恐らくピーテル・クック・ファン・アールストで絵を学び、1551年にアントウェルペンの聖ルカ組合に入会しました。版画業者で働きました。1551~54年にイタリア旅行をして、1954年にアントウェルペンに戻りました。その結婚して、1563年にブリュッセルに出ました。1567年以降、スペイン国王フェルペ2世の指示によるプロテスタント迫害のなか1569年に亡くなりました。長男がピーテル・ブリューゲル子、次男がヤン・ブリューゲルで二人とも画家になりました。
劇場と行列のある村の見本市(ピーテル・ブリューゲル子追従者作)
イメージ 5
 この作品の作者が父親か長男かは、色調が判断基準になります。父親はくすんだ色調で、長男は少し発色が良い(弟のヤンに近い)。この絵は両者が混在して、判別できませんでした。父親風の部分が過半ですが、発色の良い部分もありました。帰国後調べると父親の作品リストにも、長男の作品リストにもありませんでした。画像検索したところ、フランドル地方の教会が「ピーテル・ブリューゲル子の周辺の画家」と記載していました。それに従いました。
             村の婚礼の行列(ヤン・ブリューゲル父?作)
イメージ 6
村の婚礼の行列
(ピーテル・ブリューゲル子?作)

Wedding Procession
 ヤン・ブリューゲルの作品が所蔵されていました。ヤン・ブリューゲル作品花の絵を見た方が多いのではないかと思います。色合いからは、ヤン・ブリューゲル父作のように思えます。画像検索したら、似た絵がありました。違う画題が付いていて、ピーテル・ブリューゲル子と書かれていました。この一族は孫もいて、親の絵を複製しています。追随者もいるので、真贋や作者特定が難しいです。
 

 2015年4月にプラド美術館(マドリード)を訪問しました。今回は、ピーテル・ブリューゲル作「死の勝利」を紹介します。
 ピーテル・ブリューゲル(1525年頃~1569年)はいつどこで生まれたかはよく分かりません。1551年アントウェルペンの聖ルカ組合に登録され、直ぐイタリア旅行に出かけました。ローマだけではなく南イタリアまで足を延ばしたと思われます。1554年までにはアントウェルペンに戻りました。1563年に結婚と同時にブリュッセルに移住して、主要作品を描きました。
 13~4世紀のペスト大流行から、死が身近なものとなりました。「メメント・モリ(死を忘れるな)」がヨーロッパを席巻しました。「死の勝利」も「メメント・モリ」を主題とした作品です。画面奥では火山が噴火して、船が難破しています。前方左端には王様が骸骨(死)に纏い付かれ、樽からは金貨・銀貨がこぼれています。前方右端では音楽を奏でるカップルや刀を抜こうとする若者がいます。右奥からは骸骨(死)が盾をかざして迫ります。庶民は通路のような所に逃げ込んでいます。その先はどこなんでしょうか?「メメント・モリ」とは言え、このような絵を見ても気が滅入るだけです。庶民の逃げ込んだ所に十字架のような物が描かれています。教会を意味して、教会を皮肉っているのでしょうか?
 この頃のベルギー庶民は重税・教会への寄付で苦しんでいました。そのことへの風刺なんでしょうか。
死の勝利(ピーテル・ブリューゲル父、1562年頃作)

 2011年8月にフリック・コレクション(ニューヨーク)を訪問しました。メトロポリタン美術館の近くのこじんまりとした美術館です。個人の邸宅を改造した雰囲気の良い美術館です。美術館の規模の割に非常に質の高い絵画を展示しています。今回は、ピーテル・ブリューゲル父作「三人の兵士」を紹介します。
 ピーテル・ブリューゲル(1525年頃~1569年)はいつどこで生まれたかはよく分かりません。1551年アントウェルペンの聖ルカ組合に登録され、直ぐイタリア旅行に出かけました。ローマだけではなく南イタリアまで足を延ばしたと思われます。1554年までにはアントウェルペンに戻りました。1563年に結婚と同時にブリュッセルに移住して、主要作品を描きました。
 「三人の兵士」は20.3cmx17.8cmの小さな作品の上、灰色が買った地味な色調です。ただ作品を見た時に、ただ者ではないなという凄みを感じました。ピーテル・ブリューゲル作と書かれていましたが、美術図鑑でも見たことがなかった。帰国後調べると、①イングランドのチャールズ 1世が所蔵していた作品で、左下にブリューゲルのサインと年号が書かれています。「二匹の繋がれた猿」に書かれているサインと年号と違和感がありません。絵の持つ凄みもすごいので、真作と思われます。笛を吹く兵士、太鼓を叩く兵士、旗のようなものを掲げた兵士が描かれています。祭壇画の裏や扉に描かれたのを見たような気がするタイプの作品です。
 似た描き方の作品がもう一つの作品(キリストと姦通の女)があり、それも1568年作でした。ピーテル・ブリューゲル父は1569年に亡くなっており、1568年作の彩色完了した作品も多くあります。どうも彩色油彩画の下絵というか途中作品で、この上に彩色する予定だったのではないかと思います。未完成で亡くなったような気がします。この作品ともう一枚が、絶筆だったような気がします。又この作品は、ピーテル・ブリューゲル父の最も小さい油彩画と言えそうです。
三人の兵士(ピーテル・ブリューゲル父、1568年作)
ファイル:Pieter Brueghel, the Elder - Three soldiers.JPG

二匹の繋がれた猿(ピーテル・ブリューゲル父、1562年作、ベルリン絵画館蔵)
キリストと姦通の女(ピーテル・ブリューゲル父、1568年作)

 2014年7月にウィーン美術史博物館(ウィーン)を訪問しました。ベラスケスやブリュ-ゲルのコレクションが特に有名ですが、名画・傑作を多数所蔵展示しています。今回はピーテル・ブリューゲル作「農民の婚礼」を紹介します。ピーテル・ブリューゲルの作品を集めた「ブリューゲルの部屋」があり、そこの展示品も紹介します。これらのコレクションは、ネーデルランド総督とその兄の神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世が収集した作品がベースになったようです。
 ピーテル・ブリューゲル(1525年頃~1569年)はいつどこで生まれたかはよく分かりません。1551年アントウェルペンの聖ルカ組合に登録され、直ぐイタリア旅行に出かけました。ローマだけではなく南イタリアまで足を延ばしたと思われます。1554年までにはアントウェルペンに戻りました。1563年に結婚と同時にブリュッセルに移住して、主要作品を描きました。
 「農民の婚礼」は晩年に描かれた作品です。新婦は右画面奥のこちらを向いているようです。新郎は良く分かりません。右手前の料理を取って渡している若者だという説があります。他に該当しそうな人物は描かれていません。そうなのかもしれません。
 一点消失遠近法や二点消失遠近法を強く意識して描かれた様子はありません。緩く使って大小で遠近を描き分けています。空間の奥行き感が緩まって、ゆったりした感じに描かれています。右端に刀を持った偉そうな人がいますが、来賓扱いではなさそうです。昔の農村ではこんな感じだったのでしょうか。
農民の婚礼(ピーテル・ブリューゲル、1568年作)
イメージ 18
雪中の狩人(ピーテル・ブリューゲル、1565年作)
イメージ 19
子供の遊戯(ピーテル・ブリューゲル、1560年作)
イメージ 20
バベルの塔(ピーテル・ブリューゲル、1563年作)
イメージ 21
ブリューゲルの絵が多数あり、一部屋に入りきらない程でした。

 2014年7月にアルテ・ピナコテーク(ミュンヘン)を訪問しました。今回は、ピーテル・ブリューゲル父作「怠け者の天国」を紹介します。
  ピーテル・ブリューゲル父(1520年頃~1569年)はロッテルダム近郊のブレダ近くで生まれたと思われます。1551年にアントウェルペンの聖ルカ組合に登録されました。イタリア、アントウェルペン、ブリュッセルを中心に活動しました。
 「怠け者の天国」は内容(寓意)を詳しく分析をした事例は多くなさそうです。前方右側の男を聖職者という意見もありますが、それでは何の寓意も思いつきません。単なる怠け者の絵を高名なブリューゲル父に依頼したもの好きが思いつきません。更にこの絵は彫版画で出版された事も理解できません。自分で分析することにしました。
 前方右側の人を分析してみます。どうも腰に着けているのは、インク壺や携帯ペン入れのようです。投げ出しているほんの様なものは、他人に見られないように紐で閉じられています。この人だけが毛皮を着ていて、北方(ノルウェー辺り?)へ行き来する人のようです。これらを考慮するとこの人物は聖職者ではなく、北の国と交易をする承認(輸出入業者)です。世界の窓も閉めてなく、全くの無防備です。テーブルの上の壺から酒が流れ落ちてくるのを、待っているようです。後描かれているのは、脱穀道具の上に寝転んだ農夫、槍を放り出した兵士、左奥にも口を開けた兵士、右奥には鉱夫でしょうか。俯瞰すると、王様と聖職者が居ません。どうやら、「(税金を徴収する)王様と(寄付・寄進を求める)聖職者が居なければのんびりと暮らせるのに」という寓意のようです。とんでもない事象(丸焼きの豚が走る、半熟卵に足が生える、・・・)は、この絵が現実とは違う世界を描いているとのカモフラージュでしょうか?制作依頼者は、北方貿易を手掛ける商人だった可能性が高そうです。
 ネーデルランド生まれの神聖ローマ帝国カール五世(1500~1558年)は国民に重税を課しました。カール五世は10年ほど前に亡くなっています。締め付けが緩んで、このような絵を描けたのでしょうか?不満が溜まっていた一般の人は拍手喝采でこの絵を見たのでしょう。
怠け者の天国(ピーテル・ブリューゲル、1567年作)
ピーテル・ブリューゲル 怠け者の天国
怠け者の天国の彫版画(ピーテル・ファン・デル・ヘイデン作)

↑このページのトップヘ