世界美術館巡り旅

世界の美術館・旅行・画家・絵画の情報共有サイト

カテゴリ:巨匠の傑作 > ベラスケス

 2019年7月にフランス・ノルマンデイ地方ルーアンにあるルーアン美術館を訪問しました。今回は、ディエゴ・ベラスケス作「デモクリストの肖像」を紹介します。
 ディエゴ・ベラスケスは1599年にスペインのセビリアで生まれました。彼はコンベルソ(キリスト教に改宗したユダヤ人)の子孫でした。11歳の頃、画家大家のフランシスコ・パチェコに師事しました。1617年(18歳)に独立して、翌年に師匠の娘と結婚しました。余ほど見込まれたのでしょう。1623年に2回目のマドリード旅行をしました。その際にスペイン国王フェリペ4世の肖像画を描きました。フェリペ4世に気に入られ、24歳でフェリペ4世付きの宮廷画家となりました。その後宮廷装飾責任者となり、貴族や側近に取り立てられました。1628年にネーデルラン外交官ピーテル・パウル・ルーベンスがマドリードを訪れ、二人は親交を結びました。17世紀二大画家が親交あったとはびっくりです。(1629年からと1648年から)イタリアに2回旅行を認められました。帰国後王家の肺室長に任命されました。1656年に「ラス・メーニナス」を描きました。
 デモクリストは古代ギリシャの哲学者・自然科学者です。原子論を掲げた哲学者でした。ソクラテスやプラトン程有名ではありませんが、四大元素論の向こうを張ったようです。ルーベンスも何枚か、デモクリトスの肖像を描いています。笑っているのとか、地球儀を飾っていたりします。原子論では物質の原子に加え、空虚の原子もあるようです。物質も空間も原子で埋め尽くされていているという論理になるようです。唯一論に繋がり、宗教や終末観とは反対の極に在ります。ルネッサンスやその後の宗教改革の時代に、デモクリトスは見直されたようです。スペインやネーデルランドではカソリック教への懐疑から、このデモクリトスが度々描かれた様です。デモクリトスは古代ギリシャの人物ですが、ベラスケスの時代の衣装をまとって描かれています。
デモクリトスの肖像(ディエゴ・ベラスケス、1628~29年作)
ベラスケス デモクリトスの肖像
デモクリトスの肖像の前で
DSCN0250

デモクリスト(ホセ・デ・リベーラ、プラド美術館蔵)

 2019年7月にフランス北東部にあるリール美術館に行きました。今回は、エウヘニオ・ルーカス・イ・ベラスケス作「異端審問の様子」を紹介します。この作品の作者がヴェラスケスと読めたので、「あの有名な(ディエゴ・)ベラスケスがこのような絵を描くのだろうか?」とか「画風はゴヤのそれの方が似ている。」と不思議に思い、調べました。どうも別人のベラスケスでした。
 エウヘニオ・ルーカス・イ・ベラスケス(1817~1870年)はマドリードで生まれ、王立サン・フェルナンド美術アカデミーに進学しました。1852年からパリを旅行して、1855年のパリ万博に出品しました。その後イタリア、モロッコを旅行してマドリードに戻り、定住しました。ゴヤやベラスケスの画風を真似た作品を多く描きました。
 「異端審問の様子」は中世のスペイン異端審問の様子を描いたと思われます。スペイン王がユダヤ教徒やイスラム教徒を排除して、カソリック教徒として統治し易くする為だったようです。ローマ教皇の協力(同意)を得て、異教徒を迫害したようです。エウヘニオ・ルーカス・イ・ベラスケスはゴヤの画法を真似た作品を多く描き、この作品もゴヤの画風が強く出ています。
異端審問の様子(エウヘニオ・ルーカス・イ・ベラスケス作)
処刑 ベラスケス

 2012年7月にルーヴル美術館(パリ)を訪問しました。今回は、ディエゴ・ベラスケス作「若いマルガリータ王女」を紹介します
 ディエゴ・ベラスケス(1599~1660年)はスペイン南部セビーリャで生まれ、11歳で地元画家のフランシスコ・パチューコに弟子入りしました。18歳で独立して、師匠の娘と結婚しました。バリバリのエリート画家でした。1622年からマドリードに出て、1623年に国王フェリペ4世の肖像画を描きました。フェルペ4世に気に入られ、宮廷画家となりました。晩年はフェルペ4世の装飾責任者に任命され、貴族に取りたてられました。
 フェルペ4世の王女マルガリータは僅か3歳で、母マリアーナの実家のオーストリア・ハプスブルク家に嫁ぐことが決まりました。以降、毎年のようにマルガリータ王女の肖像画が描かれ、ウィーンに贈られました。現在も大半がウィーン美術史博物館が所蔵・展示しています。
 ウィーン美術史博物館所蔵「青いドレスのマルガリータ王女」が有名です。プラド美術館所蔵の「ラス・メニ―ナス」は2年後の1656年に描かれています。
幼いマルガリータ王女(ディエゴ・ヴェラスケス、1654年作)
イメージ 16
青いドレスのマルガリータ王女
(ディエゴ・ベラスケス、1659年作、ウィーン美術史博物館蔵)

ラス・メニーナス(ディエゴ・ベラスケス、1656年作、プラド美術館蔵

 2015年4月にロンドン・ナショナルギャラリーを訪問しました。今回は、ディエゴ・ベラスケス作「マルタとマリアの家のキリスト」を紹介します。
 ディエゴ・ベラスケス(1599~1660年)はスペイン南部セビーリャで生まれ、11歳で地元画家のフランシスコ・パチューコに弟子入りしました。18歳で独立して、師匠の娘と結婚しました。バリバリのエリート画家でした。1622からマドリードに出て、1623年に国王フェリペ4世の肖像画を描きました。フェルペ4世に気に入られ、宮廷画家となりました。晩年はフェルペ4世の装飾責任者に任命され、貴族に取りたてられました。
 「鏡のヴィーナス」はベラスケスがイタリア旅行した2回目に描かれたろうと言われています。理由は1回目はスペインに持ち帰った作品名の記録が残っていて、この作品に対応しそうな作品が無いからです。更に当時のスペインでは女性の裸婦モデルが公認されてなく、宗教裁判に掛けられるリスクがあったからです。この定説は怪しいと思います。イタリアで描いたならば、鏡上のヴィーナスの容貌をもっとクリアーに描いたはずです。裸のヴィーナスの絵はイタリアではポピュラーで、容貌はクリアーに描かれました。どうもスペイン内で描かれたようです。
根拠ー1
 スペイン内で描いたが故、モデル女性の容貌をボカス必要があったと思われます。イタリアで描いたら何ら問題ありません。宗教裁判のリスクがあるのは、女性モデルだけです。画家はイタリアに一杯いて、カソリックも問題視していません。
根拠ー2
 女性モデルはプラド美術館所蔵の「聖母戴冠」の聖母のモデルと同一人物のように感じます。「鏡のヴィーナス」は1630年代にスペイン内で描かれたと考えます。
鏡のヴィーナス(ディエゴ・ベラスケス、1647~51年作)
ラス・メニ―ナス(ディエゴ・ベラスケス、1656年作、プラド美術館蔵)

聖母戴冠(ディエゴ・ベラスケス、1635~36年作、プラド美術館蔵)

 2015年4月にロンドン・ナショナルギャラリーを訪問しました。今回は、ディエゴ・ベラスケス作「マルタとマリアの家のキリスト」を紹介します。
 ディエゴ・ベラスケス(1599~1660年)はスペイン南部セビーリャで生まれ、11歳で地元画家のフランシスコ・パチューコに弟子入りしました。18歳で独立して、師匠の娘と結婚しました。バリバリのエリート画家でした。1622からマドリードに出て、1623年に国王フェリペ4世の肖像画を描きました。フェルペ4世に気に入られ、宮廷画家となりました。晩年はフェルペ4世の装飾責任者に任命され、貴族に取りたてられました。
 聖書によると、キリストはマルタの家に招かれました。マルタは招いた準備で忙しく働きました。キリストとの対話で、マルタは「(恐らく妹の)マリアは手伝いもせず貴方の話を聞いているだけです。」と愚痴をこぼしました。キリストは「私の話をひたすら聞く姿勢が望ましい。」と答えました。キリストの教えを聞くことが、働く事よりも優先すると答えたのです。
 ディエゴ・ベラスケスは20歳直前にこの作品(ボデゴン)を描きました。ボデゴンは食堂などに飾る目的で描かれた風俗画です。このボデゴンは修道院の食堂に飾るために依頼された宗教的ボデゴンと考えられています。小さな窓の向こう側に、キリストとマルタとマリアが描かれています。手前の料理中の女性もマルタだという説が主流のようです。そう考えるとこの絵の意味が複雑怪奇でミステリアスとなります。私にはこの作品を見るであろう修道女の代表・シンボルだと思えます。老婆が料理する女性を指さしています。「この作品を見ている貴方(修道女)は、この女性だと思いなさい。」と言っているような気がします。エジンバラのスコットランド・ナショナルギャラリー所蔵の「卵を調理する老女」との共通性を感じます。ただ、「卵を調理する老女」の完成度は完璧です。「マルタとマリアの家」のテーブル上の食材や調理具は同程度に完璧ですが、手前の女性の衣服・容貌の描き方少し粗い。最後の仕上げ前のように見えます。何か事情があったのでしょうか?
マルタとマリアの家のキリスト(ディエゴ・ベラスケス、、1618年作)

卵を調理する老女
(ディエゴ・ベラスケス、1618年作、スコットランド・ナショナルギャラリー蔵)

↑このページのトップヘ