2013年3月にアッカデミア美術館(ベネツィア)を訪問しました。今回は、ジョヴァンニ・ベッリーニ作「サン・ジョッべの祭壇画」を紹介します。
ジョバンニ・ベッリーニ(1430~1516年)は画家一族に生まれ、父がヤーコポ・ベッリーニ、兄がジェンティーレ・ベッリーニです。叔父の画家もいたようです。家族の間で画力を磨いたと思われます。姉がパドヴァ派のマンテーニャと結婚しました。若いころはテンペラ技法で、やや硬い感じの絵を描いていました。1480年頃から油彩の技法を取り入れました。絵の具が乾くのに時間的余裕ができ、柔和な(グラデーション)表現が出来ました。
「サン・ジョッべの祭壇画」はヴェネツィアのサン・ジョッべ教会祭壇を飾る為に委嘱されました。ナポレオン・ボナパルトに略奪され、ヴェネツィアのアカデミア美術館に返還されました。教会の建物の延長に見える「聖会話」の形式の絵です。サン・ジョッべ(聖ヨブ)はサタンに眼を付けられ、神から度重なる試練を受けました。試練を受けても受けても信仰を貫き、最後には神から祝福されました。このヨブ記を教義にした教会・教団です。
聖母子の下に三人の天使たちが居て、楽器を奏でています。典型的「聖会話」様式です。聖母の左側には端から聖フランチェスコ、洗礼者ヨハネ、褌姿の聖ヨブが居ます。右側には矢を受けた聖セバスティヌス、聖ドミニコと右端にトゥールーズのフランシスコ会司教の聖ルイが居ます。天井ドームにラテン語で「雹のない、処女の謙虚な花」と書かれています。無原罪のお宿りの象徴と思われます。
ジョヴァンニ・ベッリーニは当初テンペラ技法で描き、義兄のマンティーニャの画風を引きつでいました。1480年頃から油彩の技法を習得して、微妙な・柔らかい表現が進みました。人物の描き方を見るとゴシックを完全離脱して、「ルネッサンス!」を描きました。
ジョバンニ・ベッリーニ(1430~1516年)は画家一族に生まれ、父がヤーコポ・ベッリーニ、兄がジェンティーレ・ベッリーニです。叔父の画家もいたようです。家族の間で画力を磨いたと思われます。姉がパドヴァ派のマンテーニャと結婚しました。若いころはテンペラ技法で、やや硬い感じの絵を描いていました。1480年頃から油彩の技法を取り入れました。絵の具が乾くのに時間的余裕ができ、柔和な(グラデーション)表現が出来ました。
「サン・ジョッべの祭壇画」はヴェネツィアのサン・ジョッべ教会祭壇を飾る為に委嘱されました。ナポレオン・ボナパルトに略奪され、ヴェネツィアのアカデミア美術館に返還されました。教会の建物の延長に見える「聖会話」の形式の絵です。サン・ジョッべ(聖ヨブ)はサタンに眼を付けられ、神から度重なる試練を受けました。試練を受けても受けても信仰を貫き、最後には神から祝福されました。このヨブ記を教義にした教会・教団です。
聖母子の下に三人の天使たちが居て、楽器を奏でています。典型的「聖会話」様式です。聖母の左側には端から聖フランチェスコ、洗礼者ヨハネ、褌姿の聖ヨブが居ます。右側には矢を受けた聖セバスティヌス、聖ドミニコと右端にトゥールーズのフランシスコ会司教の聖ルイが居ます。天井ドームにラテン語で「雹のない、処女の謙虚な花」と書かれています。無原罪のお宿りの象徴と思われます。
ジョヴァンニ・ベッリーニは当初テンペラ技法で描き、義兄のマンティーニャの画風を引きつでいました。1480年頃から油彩の技法を習得して、微妙な・柔らかい表現が進みました。人物の描き方を見るとゴシックを完全離脱して、「ルネッサンス!」を描きました。
サン・ジョッベの祭壇画(ジョヴァンニ・ベッリーニ作)

