2015年4月にテッセン・ボルネミッサ美術館(マドリード)を訪問しました。大作は少なかったですが、著名な画家の傑作が目白押しでした。鉄鋼財閥のテッセン家とハンガリー貴族のボルネミッサ男爵家の血を引くハインリッヒ・テッセン・ボルネミッサ男爵の個人コレクションが起源の美術館だそうです。作品の質が高く、眼力の高い人が収集したようです。マドリード中央駅やプラド美術館から徒歩15分程で行けます。今回は、ヤン・ファン・エイク作「受胎告知」を紹介します。
ヤン・ファン・エイク(1395年頃~1441年)は主にブルッへで活動した初期フランドル画家です。有名な「ヘントの祭壇画(神秘の羊)」は兄のフーベルト・ファン・エイクが製作途中で亡くなったので、引き継いでヤン・ファン・エイクが完成させたと伝わります。1425年からブルゴーニュ公フィリップ三世の宮廷画家となりました。
ヤン・ファン・エイクは受胎告知を複数描いています。恐らく最初の作品が、ヘント祭壇画(神秘の羊)の裏側に回ると見られる「受胎告知」でしょう。これは1432年作と考えられています。これを発展させて、ワシントン・ナショナルギャラリー所蔵の絢爛豪華な「受胎告知」を描きました。ほぼ同時期にテッセン・ボルネミッサ所蔵のこの「受胎告知」を描きました。この後1437年頃作の「ドレスデン祭壇画」の外翼(裏側)にも白黒の「受胎告知」を描きました。
テッセン・ボルネミッサ所蔵の「受胎告知」は、白黒のだまし絵風作品です。石造りの背景からはみ出す様に大天使ガブリエルと聖母が描かれています。後ろの黒い壁には、二人の後ろ姿の一部が描かれています。人物は石造のように描かれ、強めの光でコントラスト強く描いてあります。白黒ではありますが、デッサンが一番しっかりしています。非常に完成度が高く、裏面に絵は描かれていない。どうも外翼ではなさそうです。これ自体が祭壇画メインだったようです。
ヤン・ファン・エイク(1395年頃~1441年)は主にブルッへで活動した初期フランドル画家です。有名な「ヘントの祭壇画(神秘の羊)」は兄のフーベルト・ファン・エイクが製作途中で亡くなったので、引き継いでヤン・ファン・エイクが完成させたと伝わります。1425年からブルゴーニュ公フィリップ三世の宮廷画家となりました。
ヤン・ファン・エイクは受胎告知を複数描いています。恐らく最初の作品が、ヘント祭壇画(神秘の羊)の裏側に回ると見られる「受胎告知」でしょう。これは1432年作と考えられています。これを発展させて、ワシントン・ナショナルギャラリー所蔵の絢爛豪華な「受胎告知」を描きました。ほぼ同時期にテッセン・ボルネミッサ所蔵のこの「受胎告知」を描きました。この後1437年頃作の「ドレスデン祭壇画」の外翼(裏側)にも白黒の「受胎告知」を描きました。
テッセン・ボルネミッサ所蔵の「受胎告知」は、白黒のだまし絵風作品です。石造りの背景からはみ出す様に大天使ガブリエルと聖母が描かれています。後ろの黒い壁には、二人の後ろ姿の一部が描かれています。人物は石造のように描かれ、強めの光でコントラスト強く描いてあります。白黒ではありますが、デッサンが一番しっかりしています。非常に完成度が高く、裏面に絵は描かれていない。どうも外翼ではなさそうです。これ自体が祭壇画メインだったようです。
受胎告知(ヤン・ファン・アイク、1434~36年作)
ヘントの祭壇画の外翼・裏側の受胎告知
(ヤン・ファン・エイク、1432年作、聖バーフ教会蔵)
受胎告知
(ヤン・ファン・エイク、1434~36年作、ワシントン・ナショナルギャラリー蔵)
ドレスデン祭壇画外翼の受胎告知
(ヤン・ファン・エイク、1437年作、アルテ・マイスター蔵)


