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カテゴリ:巨匠の傑作 > フラ・アンジェリコ

 2013年3月にサン・マルコ美術館(フィレンツェ)を訪問しました。今回は、フラ・アンジェリコ作「キリストの変容」を紹介します。
フラ・アンジェリコ(1390~1455年)はフィレンツェ近郊ヴィッキオのルペカニーニャで生まれました。1417年にカルメル修道会に入信しました。装飾写本画家で修業をして、シエナ派の影響が見られます。1436年にフィレンツェのサン・マルコ修道院に移りました。この時は工房の部屋を宛がわれたようです。1445年にローマ教皇エウゲニウス4世から招かれ、サン・ピエトロ大聖堂の装飾画を描きました。ドメニコ・ギルランダイオはフラ・アンジェリコの孫弟子に当たるという説があります。
 「キリストの変容」は、福音書の記述が画題です。キリストが聖ペテロ、聖大ヤコブ、聖ヨハネを連れて、ガリヤラのタボル山に登りました。予言者モーセと預言者エリヤが現れました。予言者二人とキリストの為、聖ペテロが三つの仮小屋を建てることを申し出ました。すると父なる神の声が聞こえ、「(キリストは)我が子なり。」と証しました。手前左が聖ペテロで驚きの表情です。中央の聖大ヤコブと聖ヨハネがキリストを見つめています。
 アンジェリコより古い時代は聖ペテロらが寝ていた間の出来事、目覚めて知ったという描かれ方でした。アンジェリコの作品から3使徒が起きていてハッキリと目撃した/キリストが神として大きく手を広げて描かれています。ラファエロ、ティツィアーノ、ルーベンスに引き継がれました。
キリストの変容(フラ・アンジェリコ、1440~41年作)
キリストの変容 アンジェリコ
キリストの変容(ジョバンニ・ベッリーニ、1455年頃、コッレール美術館蔵)

キリストの変容(ジョバンニ・ベッリーニ、1480年頃、カポディモンテ美術館蔵)

キリストの変容(ラファエロ・サンチェス、1516~20年作、ヴァチカン美術館蔵)

変容(ティツィアーノ・ヴェチェリオ、1559~64年作、サン・サルバドール教会蔵)

 2013年3月にサン・マルコ美術館(フィレンツェ)を訪問しました。アンジェリコの作品が多数展示されていました。今回は、フラ・アンジェリコ作「キリストの十字架降下」を紹介します。
 フラ・アンジェリコ(1390~1455年)はフィレンツェ近郊ヴィッキオのルペカニーニャで生まれました。1417年にカルメル修道会に入信しました。装飾写本画家で修業をして、シエナ派の影響が見られます。1436年にフィレンツェのサン・マルコ修道院に移りました。この時は工房の部屋を宛がわれたようです。1445年にローマ教皇エウゲニウス4世から招かれ、サン・ピエトロ大聖堂の装飾画を描きました。ドメニコ・ギルランダイオはフラ・アンジェリコの孫弟子に当たります。
 「キリストの十字架降下」は元々サンタ・トリニタ教会の礼拝堂の為師のロレンツォ・モナコが制作を始めましたが、着手早々に亡くなりました。フラ・アンジェリコが引き継いで完成させました。フラ・アンジェリコの名声を確立させた作品です。非常に明るくて鮮やかな彩色ですが、薄暗い礼拝堂に飾られることを意識して描かれたとされています。聖人の光輪・聖母マリア・マグダラのマリアなどゴシックの様式を守っていますが、新しい試みもされています。背景が金地が青空、遠景を描いて奥行き感出す、人物描写が立体的・写実的などは、新しい試みです。ルネッサンスの萌芽だと感じます。赤と水色の対比が鮮やかな作品です。
キリストの十字架降下(フラ・アンジェリコ、1432~34年作)
1077px-Fra_Angelico_降架

 2012年7月にルーヴル美術館(パリ)を訪問しました。今回は、フラ・アンジェリコ作「聖母の戴冠の祭壇画」を紹介します。
 フラ・アンジェリコ(1390年頃~1455年)は、フィレンツェ北方のヴィッキオのルペカニーニャで生まれました。本名は、グィード・ディ・ピエトロと考えられています。「フラ・アンジェリコ」とは「天使のような修道士」の意味の通称です。1408~18年の間、コルトーナのドミニコ修道院に滞在し、ゲラルド・スタルニーナの手伝い・弟子をしていたようです。1417年にカルメル修道会の信心会に入信し、画家で生計をたてていたようです。1436年に他の画家と共にサン・マルコ修道院に移り、コジモ・ディ・メディチに優遇されたようです。その後名声が広がり、ローマ・ヴァチカンにも招かれました。
 「
聖母の戴冠の祭壇画」はナポレオンがフランスに持ち帰った祭壇画です。素性が良く分かっていなくて、記録の残る1434~5年の作品に当てられています。絵の具の発色や構成完成度も技量も非常に高く、もう少し後の1450年頃の作品との説もあります。私の眼からも、1435年頃の作品にしては完成度が高すぎます。1450年頃作の説を信じます。それにしても、青とピンクの発色が当時として素晴らしいです。
聖母の戴冠の祭壇画(フラ・アンジェリコ、伝1434~5年作)


 2012年7月にルーヴル美術館(パリ)を訪問しました。今回はフラ・アンジェリコ作の「聖母の戴冠の祭壇画」を紹介します。
 フラ・アンジェリコはフィレンツェ北部で生まれ装飾写本家として生計を立てていたが、二十代半ばで修道会に入信して、フラ(修道士)を名乗るようになった。この祭壇画はフィレンツェに新しく造られたサン・マルコ修道院に移る直前に描かれたと思われる。
  ゴシックの時代であったが、アンジェリコはルネッサンスの萌芽を含んだ作品を描いた。青が美しい作品です。戴冠を見る人々や聖人はよそ見をしたり、個人間で喋ったり、まちまちの行動をしています。ゴシックでは作法や形式に五月蠅く、このような祭壇画を描かないと思います。例えばジョットなどは、聖母の戴冠の方向を皆向いています。ルネッサンスの画家が描く聖母の戴冠は、周りの人々がまちまちの方向を向いたり、私語をしたりしています。これもルネッサンスの萌芽です。
         
聖母の戴冠の祭壇画(フラ・アンジェリコ、1434~35年作)
         

 2015年4月にプラド美術館(マドリード)を訪問しました。イタリア ルネッサンスとスペインの画家の大作が多数展示されて、壮観でした。今回はフラ・アンジェリコ作の「受胎告知」を紹介します。
 フラ・アンジェリコは1395年頃フィレンツェ北部で生まれ、装飾写本画家から始めました。カルメル修道会、ドミニコ修道会等に入信して、修道士となりました。「フラ」とは「修道士の」という意味です。やがて教会の壁画装飾を依頼されるようになりました。この作品もサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ大聖堂のために描かれたものです。それまでの受胎告知作品は単独の場面で描かれていましたが、左側にエデンの園を追放されるアダムとイヴを描き込みました。受胎告知の無原罪のお宿りを強調する為に、アンジェリコの工夫で描き込んだと思われます。作法を重んじたゴシックからルネッサンスに向かって一歩進んだ絵です。アンジェリコの描いた青は綺麗です。それまでの絵画とは一線を画します。アダム、イヴ、聖母マリアの表情に、人間味が感じられます。ルネッサンスの萌芽です。
             受胎告知(フラ・アンジェリコ、1425年作)
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 受胎告知の現在の源流となる絵画は、次のブオニンセーニャの作品のようです。ゴシックの影響が強く出た絵です。           
受胎告知 (ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ、1308~13年作)


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