世界美術館巡り旅

世界の美術館・旅行・画家・絵画の情報共有サイト

カテゴリ: ノルウェー人の画家

 ヨナス・リー(1880~1940年)はアメリカ合衆国で活躍したノルウェー人画家です。
 ヨナス・リーはノルウェーのエストフォル県モスで技術者の息子に生まれました。地元画家から絵の手ほどきを受けました1892年に(12歳で)父親が亡くなり、パリ在住の文学者で叔父のヨナス・リーを頼って、1年間パリの美術学校に通いました。その後母親と母親の母国アメリカ合衆国のニューヨークに渡り、画家として成功しました。1913年にパナマへ行き、運河建設の様子を描きました。1932年ノルウェー王室から、聖オーラヴ勲章を受勲しました。1934~39年の間ナショナル・アカデミー・オブ・デザインの校長を務めました。年代順に作品を紹介します。
セーヌの眺望(ヨナス・リー 1909年作)
1909  セーヌの眺望
黒いティーポット(ヨナス・リー 1911年作)
1911 黒いティーポット
川の朝(ヨナス・リー 1911~12年作)
1911-12 川の朝
パナマ運河工事の情景(ヨナス・リー 1913年作)
1913 パナマ運河工事の情景
帰港した古い船(ヨナス・リー 1920年作)
1920 The_Old_Ships_Draw_to_Home_Again
ロマンチックな海の日没(ヨナス・リー作)
1024px-Romantic_Sunset,_Maine,_by_Jonas_Lie
青い帆(ヨナス・リー作)
Blue_Sails,_by_Jonas_Lie
ドックの船(ヨナス・リー作)
Boats_at_Dock,_by_Jonas_Lie
水車の水路(ヨナス・リー作)
Mill-Race_LACMA_M.2003.171水路
海岸で(ヨナス・リー作)
On_The_Coast,_by_Jonas_Lie
サファイア色とアメジスト色(ヨナス・リー作)
Sapphires_and_Amethysts,_by_Jonas_Lie
海の帆走(ヨナス・リー作)
Yachting_on_the_Maine_Coast,_by_Jonas_Lie
ドックで(ヨナス・リー作)
ドックで
 水面の色に拘って描いた画家です。

 イェールド・ムンテ(1849~1929年)はロマン主義のノルウェー人風景画家です。
          イェールド・ムンテの肖像(クリスチャン・クローグ作)
イェールド・ムンテの肖像 クリスチャン・クローグ
 イェールド・ムンテはエルベルムで医師の息子に生まれました。1863年に(14歳で)医学を学ぶために、クリスチャニア(現オスロ)に出ました。父親の勧めで、クリスチャニアで絵画も学びました。1870年からクリスチャニアの美術学校で本格的に学びました。1874~76年の間デュッセルドルフで、1877~82年の間ミュンヘンで絵画の修行をしました。その後ノルウェーに戻り、風景画を描きました。年代順に作品を紹介します。
         ネヴルンハヴンの風景(イェールド・ムンテ 1880年作)
1880 _View_of_Nevlunghavnネヴルンハヴン
アイ ハヴン(イェールド・ムンテ 1885年作)
1885  I_haven避難所ヘイヴン
乳搾り女(イェールド・ムンテ 1890年作)
1890  乳搾り女Budeia_1890_Hallingdal
ミスミソウ(イェールド・ムンテ 1891年作)
1891  ミスミソウ
小さなマスとマリーゴールド(イェールド・ムンテ 1891年作)
1891 Small_Trouts_and_Marsh_Marigolds,_1891
本のポスター(イェールド・ムンテ作)
_Opslagsboken__Haandleksikon_i_nyttig_kundskap_(30032741272)
 挿絵も多く描いたようです。

 エイリッフ・ペーテシェン(1852~1928年)はノルウェー国民ロマン主義の風景画や肖像画を描いたノルウェー人画家です。
              自画像(エイリッフ・ペーテシェン作)
Self-Portrait
 エイリッフ・ペーテシェンはクリスチャニア(現オスロ)で生まれ、デンマーク美術アカデミーで学びました。詳しい経歴は良く分かっていません。年代順に作品を紹介します。
          女性の肖像(エイリッフ・ペーテシェン 1877年作)
1877 女性
森の狩人(エイリッフ・ペーテシェン 1884年作)
1884  Jeger_i_skogen_ved_Ask森の狩人
鮭漁師(アデルスティーン・ノーマン 1889年作)
1889  鮭漁師
エドヴァルド・グリーグの肖像(エイリッフ・ペーテシェン 1891年作)
1891  エドヴァルド・グリーグの肖像
Sando(エイリッフ・ペーテシェン 1894年作)
1894  Sandø
ヘンリック・イプセンの肖像(エイリッフ・ペーテシェン 1895年作)
1895  ヘンリック・イプセンの肖像
セヴィロゼン(エイリッフ・ペーテシェン 1907年作)
1907 Fra Sevilosen ved Sevilosenセヴィロゼン
アネモネ(エイリッフ・ペーテシェン 1924年作)
1924  Anemoner
 暗い絵が多いです。

 アデルスティーン・ノーマン(1848~1918年)は主にベルリンで活躍したノルウェー人風景画家です。
自画像と思われる作品(アデルスティーン・ノーマン作)
jigazou
 アデルスティーン・ノーマンはノルウェー西岸のボーディンで生まれ、1869~72年の間デュッセルドルフ美術アカデミーで学びました。1873年に結婚して、デュッセルドルフで暮らしました。1883年からベルリンに移りました。デュッセルドルフ、ロンドン、ミュンヘン、パリ、ウィーンで展覧会を開きました。1892年ベルリンでの展覧会に、同郷のエドヴァルド・ムンクを招待しました。ムンクの作品は賛否両論で、ベルリンの教会が分裂しました。1917年健康上の理由で、ノルウェーに戻りました。作品を紹介します。
ロフォーテンの漁村(アデルスティーン・ノーマン 1873年作)
1873 Fishing village in Lofotenロフォーテン
ソグネ・フィヨルド(アデルスティーン・ノーマン 1879年作)
1879 ソグネ・フィヨルド
レーヌ(アデルスティーン・ノーマン 1880年作)
1880 レーヌ
フィヨルドの夏(アデルスティーン・ノーマン 1884年作)
1884 Summer on the Fjord
ボード―の港(アデルスティーン・ノーマン作)
bo-do- no minato
岸辺の風景(アデルスティーン・ノーマン作)
kishibe no fuukei
エセ・フィヨルドの農家(アデルスティーン・ノーマン作)
nouka Munken_gård_i_Esefjorden
ソグネ・フィヨルド(アデルスティーン・ノーマン作)
Sognefjord
ロフォーテンのトロール・フィヨルド(アデルスティーン・ノーマン作)
The_Trollfjord_in_Lofoten_&_Vesterĺlen
フィヨルドの眺め(アデルスティーン・ノーマン作)
フィヨルドの眺め
フィヨルド(アデルスティーン・ノーマン作)
フィヨルド無題
 フィヨルドの風景画を多く描いた画家です。

 フリッツ・タウロウ(1847~1906年)はノルウェー人風景画家です。
          フリッツ・タウロウの肖像(クリスチャン・クロー作)
フリッツ タウロウの肖像 クリスチャン クロー
 フリッツ・タウロウはクリスチャニア(現オスロ)で薬剤師の息子に生まれました。1870~72年の間コペンハーゲンの美術学校で学び、1873~75年の間ドイツのカールスルーエのバーデン美術学校で学びました。更にパリに3年滞在した後、1880年にノルウェーに戻りました。1882年の芸術家秋季展設立に尽力しました。その後、パリ、コペンハーゲン、スコットランド、ヴェネツィア等を旅行しました。1892年からフランス各地を転々としました。1905年にノルウェー政府から聖オラヴ章を、フランス政府からレジオンドヌール勲章を、イタリア政府から聖マウリツィオ・ラザロ勲章を、チェニジア政府から栄誉章を次々と受章しました。年代順に作品を紹介します。
        フロッホナー湾の夕べ(フリッツ・タウロウ 1880年作)
1880  フロッホナー湾の夕べ
ヴェネツィアの大運河(フリッツ・タウロウ 1885年作)
1885  ヴェネツィアの大運河
ノルウェーの冬の風景(フリッツ・タウロウ 1890年作)
1890  ノルウェーの冬の風景
朝の川(フリッツ・タウロウ 1891年作)
1891  朝の川
セーヌ川近くのはしけ(フリッツ・タウロウ 1893年作)
1893  セーヌ川近くのはしけ
雨上がりのフランスの市場(フリッツ・タウロウ 1894年作)
1894  雨上がりのフランスの市場
水車(フリッツ・タウロウ 1895年作)
1895  水車
ディエップとアルク(フリッツ・タウロウ 1895年作)
1895 ディエップとアルク
アケルセルヴァ川から(フリッツ・タウロウ 1897~1901年作)
1897-901  アケルセルヴァ川から
ドルドーニュ川(フリッツ・タウロウ 1903年作)
1903  ドルドーニュ側
大理石の階段(フリッツ・タウロウ 1903年作)
1903 大理石の階段
ドルトリヒトの桟橋(フリッツ・タウロウ 1905年作)
1905  The pier  ドルドレヒト
 水面を描くのが特にうまい画家です。

↑このページのトップヘ