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カテゴリ: フィンランド人の画家

 アメリー・ルンダール(1850~1914年)はフィンランドの女流画家です。
 アメリー・ルンダールはフィンランド中部オウルで、法律家の娘に生まれました。8歳の時父が亡くなりました。1870~72年の間ヘルシンキのフィンランド美術学校に通いました。奨学金を得て1872~73年の間ストックホルムのスウェーデン王立美術院で学んだ後帰国して、ヘルシンキの美術学校で助手を務めました。1877年に再び奨学金を受け、パリのアカデミー・ジュリアンで学びました。その後12年フランスに滞在して、1889年に帰国しました。年代順に作品を紹介します。
         ブルターニュの少女(アメリー・ルンダール 1880年作)
1880  ブルターニュの少女
ブルターニュの少女の肖像(アメリー・ルンダール 1882年作)
1882 ブルターニュの少女1882
水甕を持つブルターニュの少女(アメリー・ルンダール 1884年作)
1884  水差しを持つブルターニュの少女
少女庭師(アメリー・ルンダール 1885年作)
1885 The_Garden_Girl_-_Google_Art_Project
牧草地の少女(アメリー・ルンダール 1887年作)
1887  牧草地の少女
タンバリンの踊り子(アメリー・ルンダール 1888年作)
1888  タンバリンの踊り子
花に水をやる少女(アメリー・ルンダール 1890年代作)
1890s  花に水をやる少女
夏の緑(アメリー・ルンダール作)
夏の緑
 少女の肖像画を多く描いた女流画家です。

 アクセリ・ガッレン=カッレラ(1865~1931年)はフィンランドで最も有名な画家の一人です。スウェーデン系フィンランド人の家庭に生まれました。
 アクセリ・ガッレン=カッレラはポリで生まれ、11歳からヘルシンキのグラマー・スクールに進学しました。それと同時期に絵画教室にも通い始めました。16歳で学校辞め、絵画の勉強に集中しました。1884~89年の間パリに遊学し、アカデミー・ジュリアンとフェルナン・コモンの画塾に通いました。民族意識に目覚め帰国して、神話叙事詩「カレワラ」を題材に代表作シリーズを描きました。年代順に作品を紹介します。
少年とカラス(アクセリ・ガッレン=カッレラ 1884年作)
1884  少年とカラス
老婆と猫(アクセリ・ガッレン=カッレラ 1885年作)
1885  老婆と猫
Demasquee(アクセリ・ガッレン=カッレラ 1888年作)
1888  Demasquee
サウナで(アクセリ・ガッレン=カッレラ 1889年作)
1889  サウナで
アイノの神話、三連画(アクセリ・ガッレン=カッレラ 1891年作)
1891  aino-myth-triptychアイノの神話
Mantykoskiの滝(アクセリ・ガッレン=カッレラ 1893年作)
1893 Mantykoski-waterfall
「カレワラ」から「サンポの防衛」(アクセリ・ガッレン=カッレラ 1896年作)
1896  サンポの防衛
レンミンカイネンの母(アクセリ・ガッレン=カッレラ 1897年作)
1897 Lemminkainen-s-mother-レンミンカイネン
日没(アクセリ・ガッレン=カッレラ 1899年作)
1899 日没
嵐(アクセリ・ガッレン=カッレラ 1902年作)
1902  嵐
巨大魚(アクセリ・ガッレン=カッレラ 1904年作)
1904  大きな魚
サンポの鍛造(アクセリ・ガッレン=カッレラ 1905年作)
1905  the-abduction-of-sampo鍛造
オオヤマネコの巣(アクセリ・ガッレン=カッレラ 1906年作)
1906  オオヤマネコの住処
星へ(アクセリ・ガッレン=カッレラ 1907年作)
1907  星へ
Phyllis Sjostromの肖像(アクセリ・ガッレン=カッレラ 1914年作)
1914 portrait-of-phyllis-sjostrom
 民族意識が高いだけでなく、象徴主義的な画風です。

 アルベルト・エデルフェルト(1854~1905年)はフィンランド大公国に生まれ、ヨーロッパ各地で活躍した画家です。
         自画像(アルベルト・エデルフェルト 1887~90年作)
1887-90 自画像
 アルベルト・エデルフェルトはポルヴォ―で建築家の息子に生まれました。1869年(15歳)からフィンランド美術協会の絵画学校で学びました。1873~74年の間アントウェルペン美術アカデミー歴史画を学びました。1874~78年の間パリのエコール・デ・ボザールで学び、ジャン=レオン・ジェロームの生徒となりました。1881~82年の間サンクトペテルブルクで学び、1889年のパリ万国博覧会で金賞を受賞しました。年代順に作品を紹介します。
         ブランカ王妃(アルベルト・エデルフェルト 1877年作)
1877 ブランカ王妃
クラウス・フレミングの死体を侮辱するカール大公(アルベルト・エデルフェルト 1878年作)
1878 クラウス・フレミングの死体を侮辱するカール大公
私室に居る若い女性(アルベルト・エデルフェルト 1879年作)
1879  私室に居る若い女性
カバノキの下(アルベルト・エデルフェルト 1881年作)
1881 カバノキの下
海上で(アルベルト・エデルフェルト 1883年作)
1883 海上
海岸で遊ぶ男の子たち(アルベルト・エデルフェルト 1884年作)
1884  海岸で遊ぶ男の子たち
ルイ・パスツールの肖像(アルベルト・エデルフェルト 1885年作)
1885 ルイ・パスツールの肖像
キリストとマグダラのマリア(アルベルト・エデルフェルト 1890年作)
1890 マグダラのマリア1890 キリストと
夕暮れのカウコラ(アルベルト・エデルフェルト 1890年作)
1890 夕暮れのカウコラ
二人の女性と洗濯物(アルベルト・エデルフェルト 1893年作)
1893  二人の女性と洗濯もの
ポリ連隊の行進(アルベルト・エデルフェルト 1900年作)
1900 ポリ連隊の行進
 淡い色調で描く上手い画家ですネ。色調と一部の画題から、象徴主義の傾向が見えます。

 ヒューゴ・シンベリ(1873~1917年)はフィンランドの象徴主義画家、グラフィック・デザイナーです。作品の中に象徴的な場面や象徴を描き込もうとしたようです。フィンランド ヘルシンキのアテネウム美術館の最初の展示室の中央壁面にあった次の絵でヒューゴ・シンベリを知りました。
傷ついた天使(ヒューゴ・シンベリ、1903年作)
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 ヒューゴ・シンベリの生まれや育ちは分かりませんでした。フィンランド語のサイトも調べましたが、読み取れませんでした。1895年にルオヴェシで画家のアクセリ・ガッレン=カッレラに個人的に弟子入りしたようです。師匠の作品を紹介します。
サンポの防衛(カッレラ、1896年作)
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 ヒューゴ・シンベリの主題は、貧困、悪魔lと死のようです。年代順に作品を紹介します。
死が聞く(ヒューゴ・シンベリ、1897年作)
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鍋の前の悪魔(ヒューゴ・シンベリ、1897年作)
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夕暮れ(ヒューゴ・シンベリ、1897年作)
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タムペレ大聖堂の壁画(wikipediaから)
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死の庭(ヒューゴ・シンベリ、1906年作)
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自画像(ヒューゴ・シンベリ、1907年作)
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 骸骨や悪魔が出て来る絵は、風刺画かポスターの領域に入りかかっているように思えます。

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