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カテゴリ: ポーランド人の画家

 ヤン・マティコ(1838~1893年)は歴史画・肖像画を多く描いたポーランド人画家です。
                自画像(ヤン・マティコ作)
Matejko_Self-portrait
 ヤン・マティコはクラクフで、音楽などの家庭教師の息子に生まれました。近眼だったが、突出した芸術的才能を示したようです。聖アンナ校に入学したが成績が悪く、1851年に退学となりました。1852年からクラクフの美術学校で学びました。政府から奨学金を受け1858年にミュンヘン美術アカデミーで、1859~60年の間ウィーン美術アカデミーで学びました。その後クラクフに戻りました。1864年にクラクフ科学協会の会員に選ばれました。1865年に「スカルガの説教」でパリ・サロン金賞受賞を、1867年に「レイタン、ポーランドの没落」でパリ万国博覧会金賞を受賞しました。1873年からクラクフ美術学校の校長に就任しました。年代順に作品を紹介します。
        フランチシェクと三人の子供たち(ヤン・マティコ 1853年作)
1853 フランチシェクと三人の子供たち
宮廷道化師スタンチク(ヤン・マティコ 1862年作)
1862 スタンチク宮廷道化師
スカルガの説教(ヤン・マティコ 1864年作)
1864 スカルガの説教
レイタン、ポーランドの没落(ヤン・マティコ 1866年作)
1866 レイタン、ポーランドの没落
コペルニクス(ヤン・マティコ 1873年作)
1873  コペルニクス
グルンヴァルトの戦い(ヤン・マティコ 1878年作)
1878 グルンヴァルトの戦い
ポロニア蜂起失敗(ヤン・マティコ 1879年作)
1879  ポロニア 蜂起失敗
画家の子供たち(ヤン・マティコ 1879年作)
1879  画家の子供たち
ラツワヴィツエの戦い(ヤン・マティコ 1888年作)
1888 ラツワヴィツェの戦い
五月三日(ヤン・マティコ 1891年作)
1891  五月三日
 「グルンヴァルトの戦い」をワルシャワの国立美術館で見ましたが、非常に大きな絵でした。興味のある方は、ポーランドの国立美術記事を見てください。

 バルデュス(1908~2001年)は、ピカソが「20世紀最後の巨匠」と評した画家です。オイカソもバルデュスの作品を購入・所蔵していたようです。
 バルデュスはポーランド貴族だった父親とロシア系ユダヤ人の母との間に生まれました。ほとんど独学で絵を学び、ルーヴル美術館で巨匠の作品の模写に明け暮れました。イタリア初期ルネッサンス画家のピエロ・デラ・フランチェスカの作品に特に影響を受けたと伝わります。
キリストの洗礼(ピエロ・デラ・フランチェスカ 1450年頃作)
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バルデュスの作品の間に、似たような色調や描き方が散見されます。
 1941年にピカソがバルデュスの作品を購入し、1944年にはバルデュスがピカソの自宅を訪問したりしていました。1964年にはローマのヴィラ・メディチ(フランスの芸術院施設)の館長に任命されました。晩年はスイスの山荘「グランシャレー」に住んでいました。年代順に作品を紹介します。
最初の会話(バルデュス 1926年作)
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Hedwig Mullerの肖像(バルデュス 1928年作)
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20歳頃はまだ自分の画風が固まらず、迷いがあったようです。
キャシーの化粧(バルデュス 1933年作)
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この1993年頃に(25歳で)、自分の画風が固まったようです。フランチェスカの作風と似たところもあるように感じます。
窓/幽霊の恐怖(バルデュス 1933年作)
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ギターのレッスン(バルデュス 1934年作)
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子供たち(バルデュス 1937年作)
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静物(バルデュス 1937年作)
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写実力が相当高まったようです。
夢見るテレーズ(バルデュス 1938年作)
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自画像(バルデュス 1940年作)
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チェリーの木(バルデュス 1940年作)
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黄金の時代(バルデュス 1945年作)
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カード遊び(バルデュス 1950年作)
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猫と裸婦(バルデュス 1950年作)
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部屋(バルデュス 1953年作)
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マントルの前の人影(バルデュス 1955年作)
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トルコ風の部屋(バルデュス 1963年作)
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赤いテーブル近くの日本人少女(バルデュス 1967年作)
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読書するKatia(バルデュス 1974年作)
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画家とモデル(バルデュス 1981年作)
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鏡の猫(バルデュス 1988年作)
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眠る若い少女(バルデュス 1994年作)
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一度見ると記憶に強く残る作品が多いですネ。自然な感じで人物は描かれていません。何かポーズをとっているというか、意味がある様子というかを感じます。

 モイズ・キスリング(1891~1953年)はエコールド・パリのポーランド人画家です。ピカソやモディリアーニとの親交が深く、当初はモディリアーニ作品と共通性を感じる絵を描いていたようです。
 モイズ・キスリングはポランド クラクフ在住のユダヤ人(少なくとも母親がユダヤ人)として生まれました。地元美術学校に通い、教師から印象派の影響を受けました。1910年に(19歳で)パリに出てモンマルトルに住まい、画家を目指しました。1912年にはモンマルトのバトー・ラウォクール(洗濯船)に移り住み、ピカソやモディリアーニと親交を深めました。第一次世界大戦(1914~18年)が始まると、外人部隊に従軍しました。戦闘で重傷を負い、スペインで療養しました。1916年にはフランス国籍を得ました。1920年代には成功した画家となりました。
 第二次世界大戦が始まると再び従軍しました。フランス降伏後はアメリカに亡命しました。戦後の1946年にフランスへ戻り、1953年に南仏で亡くなりました。年代順に作品を紹介します。
アンドリー・サーモンの肖像(キスリング、1912年作)
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横たわる裸婦(キスリング、1913年作)
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ここまでは、モディリアーニ作品からの影響を感じます。
レニーとキスリング(キスリング、1916年作)
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マティスとの共通性を感じさせます。
レモンの静物(キスリング、1917年作)
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プロヴァンスの風景(キスリング、1919年作)
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花(キスリング、1919年作)
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緑のショールの女(キスリング、1919年作)
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漁師(キスリング、1920年作)
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裸婦/キキ(キスリング、1924年作)
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赤い上着のキキ(キスリング、1925年作)
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花のブーケ(キスリング、1927年作)
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レニーの肖像(キスリング、1928年作)
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small-head-of-a-brune(キスリング、1930年作)
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キスリング独自の画風を完成したようです。「アナ雪」を連想させますね。
ブロンドの少年(キスリング、1937年作)
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長い髪の少女(キスリング、1942年作)
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製作年の分からない作品が多数残っています。いくつか紹介します。
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室内に飾るには良い絵が沢山あります。モディリアーニ、ピカソ、マティスなどの影響を受けながら、独自の画風に到達したようです。

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