世界美術館巡り旅

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カテゴリ: オランダ人の画家

 17世紀オランダの著名な画家であったレンブラントからフェルメールへの繋ぎ(伝承)の役目を果たしたカレル・ファブリティウスの画歴を調べて見ました。事故死の為現存する作品が非常に少ないのに、名前が良く知られた画家です。
 カレル・ファブリティウス(1622~1654年)はオランダ新干拓地域のミデンベームステルで、学校教師の息子として生まれました。最初大工として働いたが、1640年代前半に兄とともにアムステルダムのレンブラント工房に弟子入りしました。1650年代初頭にデルフトへ移り、1652年(30歳)にデルフトの画家ギルドに入会したようです。
 1654年(32歳)10月弾薬庫の40t以上の火薬が暴発して、デルフトの市街の1/4が破壊されました。ファブリティウスの工房も巻き込まれ、ファブリティウスは瓦礫の下敷きになり亡くなりました。作品も大半が失われました。
 レンブラントの弟子の間で、ファブリティウスだけが独自様式を築き上げたと言われています。レンブラントの肖像画は黒い背景に光が強く当たった人物が描かれているのに対し、ファブリティウスの肖像画は明るめの粗い背景の前に柔らかい光を受けた人物画描かれています。遠近法を強調した風景画やだまし絵も描いたようです。だまし絵は現存していません。絵筆の先に多めの絵の具を載せて描く手法などが、デルフト在住の次世代画家(フェルメール、ホーホ)に影響を与えました。現存する作品は10点ほどです。
ラザロの復活(1642年作、ワルシャワ国立美術館蔵)
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レンブラント工房時代の作品と思われるが、暗い背景の群像の間に強いハイライトの人物が描かれています。典型的レンブラント様式です。
博士の間のキリスト素描(1640年代作)
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メリクリウスとアルゴス(1645年作、ボストン美術館蔵)
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レンブラント工房時代の作品で、全くレンブラント画風です。
聖ヨハネの斬首
(1648~50年作、アムステルダム国立美術館蔵)
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 カラヴァッジョ画風が出て来ています。レンブラント工房を離れる直前と思われます。レンブラントの画風からの逸脱が感じられます。
アブラハム・デ・ポッターの肖像
(1649年作、アムステルダム国立美術館蔵)

自画像(制作年不詳)
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 レンブラント画風が残っているが、独自の画風への繊維も感じられます。
自画像
(1650年作、ボイマンス・ヴァン・ベーニング美術館蔵)
 レンブラント工房を出てデルフトに移住する前後の時期の作品と思われます。独自性(脱レンブラント)が目立ち始めています。
楽器商の居るデルフトの風景
(1652年作、ロンドン・ナショナルギャラリー蔵)
 強調した遠近法で、独自の雰囲気を醸し出しています。画風はレンブラント風から完全に逸脱して来ています。
毛皮の帽子と胴鎧の男・自画像?
(1654年作、ロンドン・ナショナルギャラリー蔵)
歩哨(1654年作、シュヴェリーン州立美術館蔵)
ゴシキヒワ(1654年作、マウリッツ・ハイス美術館蔵)
 非常に小さな絵ですが、非常に有名な絵です。何か空気感のようなものを感じ、フェルメールの絵(画法)に繋がっている気がします。ファブリティウス最期の作品と思われます。

 マイスター・フランケ(1383年頃~1436年頃)はフラーテル・フランケとも呼ばれる、祭壇飾りを制作した画家兼修道士です。
 マイスター・フランケは現オランダ東部のズトフェンから来たドミニコ会修道士との記録が残っています。作品以外、経歴はほとんど伝わっていません。年代順に作品を紹介します。
聖バルバラの祭壇画(マイスター・フランケ 1410~15年作)
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上記祭壇画の部分パネル
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カンタベリーの聖トマスの殉死(マイスター・フランケ 1424年頃作)
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王の礼拝と子供の礼拝(マイスター・フランケ 1426年作)
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カンタベリーの聖トーマスへの嘲り(マイスター・フランケ 1426年作)
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キリストの受難(マイスター・フランケ 1430年作)
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キリストの埋葬(マイスター・フランケ 1430年作)
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キリストの復活(マイスター・フランケ 1430年作)
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痛みの人(マイスター・フランケ 1435年作)
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十字架に慟哭する女たち(マイスター・フランケ 1435年作)
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グダニスクの父親のピエタ(マイスター・フランケ作)
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ゴシックの様式でありながら、何かしら枠を外れたような画風です。

 ディルク・ボウツ(1420年頃~1475年)は初期フランドル派の画家です。詳細な経歴は分かっていません。
 ディルク・ボウツは(現オランダの)ハールレムで生まれたと推定されています。1468年から(現ベルギーの)ルーヴェンを中心に活躍しました。祭壇画など宗教関係の作品が多く残っています。年代順に作品を紹介します。
地獄への落下(ディルク・ボウツ 1450年作)
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キリストの埋葬(ディルク・ボウツ 1450年)
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受胎告知(ディルク・ボウツ 1450年代作)
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キリストの復活(ディルク・ボウツ 1455年作)
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聖エラスムスの殉教の三連祭壇画の中央パネル(ディルク・ボウツ 1458年作)
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シモンの家のキリスト(ディルク・ボウツ 1460年作)
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聖母子(ディルク・ボウツ 1463年作)
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キリストの肖像(ディルク・ボウツ 1464年作)
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アブラハムとメルキゼデクの会見(ディルク・ボウツ 1464~67年作)
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最後の晩餐(ディルク・ボウツ 1464~67年作)
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聖母子(ディルク・ボウツ 1465年作)
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聖サクラメントの祭壇画(ディルク・ボウツ 1467年作)
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ブラバントの真珠(ディルク・ボウツ 1468年作)
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茨の冠のキリスト(ディルク・ボウツ 1470年作)
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オットー3世の裁判(ディルク・ボウツ 1471~75年作)
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キリストの包衣(ディルク・ボウツ 1475年作)
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受胎告知(ディルク・ボウツ 1470年代作)
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15世紀のフランドルは絵画先進国だったようです。

 フィリップス・ワウウェルマン(1619~1668年)は戦闘場面、狩り、風景を多く描いたオランダ人画家です。
自画像の素描(フィリップス・ワウウェルマン作)
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騎士の小休止(フィリップス・ワウウェルマン 1642~43年作)
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馬上の戦い(フィリップス・ワウウェルマン 1645年作)
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丘から突撃する騎士(フィリップス・ワウウェルマン 1646年作)
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灰色の馬(フィリップス・ワウウェルマン 1646年作)
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戦闘場面(フィリップス・ワウウェルマン 1650年作)
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カルヴァリの丘(フィリップス・ワウウェルマン 1652年作)
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蹄鉄工の居る中庭(フィリップス・ワウウェルマン 1656年作)
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水浴者の居る風景(フィリップス・ワウウェルマン 1660年)
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鷹狩の出発(フィリップス・ワウウェルマン 1665年作)
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繋がれた灰色の馬(フィリップス・ワウウェルマン 1668年作)
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多種多様な風景画を描いた画家です。

 レンブラント・ファン・レイン(1606~1669年)はバロック期を代表するオランダ人画家です。
自画像(レンブラント・ファン・レイン 1640年作)
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 レンブラント・ファン・レインはライデンの製粉業の父の8番目の子として生まれました。1613年にラテン語学校に入学し、1620年に(14歳)飛び級でライデン大学に入学しました。数か月後に画家を志向して、ヤーコブ・ファン・スヴァーネンブルクに弟子入りしました。3年間基礎を学んだ後、アムステルダムのピーテル・ラストマンに半年師事しました。その後ライデンに戻り、アトリエを構えました。1631年にアムステルダムに移り、肖像画を描きました。1632年にデュルプ博士の解剖学講義を描き、名声をえました。1634年にレークルデン市長の娘サスキアと結婚しました。正式にアムステルダム市民となり、聖ルカ組合に登録されました。結婚後は子供や妻を次々と亡くしました。その後は放蕩や借金で没落した人生を送りました。年代順に作品を紹介します。
聖ステノバの殉教(レンブラント・ファン・レイン 1625年作)
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アトリエの画家(レンブラント・ファン・レイン 1628年作)
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エウロペの誘拐(レンブラント・ファン・レイン 1632年作)
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デュルプ博士の解剖学講義(レンブラント・ファン・レイン 1632年作)
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ガラリアの海の嵐(レンブラント・ファン・レイン 1633年作)
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フローラに扮したサスキア(レンブラント・ファン・レイン 1634年作)
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ペルシャザルの酒宴(レンブラント・ファン・レイン 1635年作)
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ペリシテ人に目を潰されるサムソン
(レンブラント・ファン・レイン 1636年作)
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水浴するスザンナ(レンブラント・ファン・レイン 1636年作)
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ダナエ(レンブラント・ファン・レイン 1637年作)
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夜警(レンブラント・ファン・レイン 1642年作)
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ヘンドリッキエ・ストッフェルドホテル・ヤーヘルの肖像
(レンブラント・ファン・レイン 1655年作)
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自画像(レンブラント・ファン・レイン 1658年作)
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織物商組合の幹部たち(レンブラント・ファン・レイン 1662年作)
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放蕩息子の帰還(レンブラント・ファン・レイン 1666~68年作)
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レンブラントの画風から考えて、この絵は完成していないように感じます。
ユダヤ人の花嫁(レンブラント・ファン・レイン 1667年作)
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死ぬ直前まで画力は落ちていないようです。妙な絵がレンブラント作として展示されて居ますが、未完成(下塗り)か贋作だと思います。

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