世界美術館巡り旅

世界の美術館・旅行・画家・絵画の情報共有サイト

カテゴリ: フランス人の画家

 エーロ・ヤルネフェルト(1863~1937年)は写実主義のフィンランド人画家です。
自画像(エーロ・ヤルネフェルト作)
Järnefelt_selfportrait
 エーロ・ヤルネフェルトは帝政ロシア統治下のカレリアのヴィープリ(現ヴェボルグ)で、ロシア軍将校の息子に生まれました。1883~85年の間サンクトペテルブルク芸術アカデミーで学びました。1886年からパリに留学して、戸外主義の絵に惹かれたようです。年代順に作品を紹介します。
フレンチ・ワイン・バー(エーロ・ヤルネフェルト 1888年作)
1888 フレンチ・ワイン・バー
夏の月夜(エーロ・ヤルネフェルト 1889年作)
1889  夏の月夜
川岸の洗濯(エーロ・ヤルネフェルト 1889年作)
1889  川岸の選択
水上を歩くキリスト(エーロ・ヤルネフェルト 1891年作)
1891  水上を歩くキリスト
雑木林を焼く(エーロ・ヤルネフェルト 1893年作)
1893雑木林を焼く
森のハヤブサ(エーロ・ヤルネフェルト 1895年作)
1895  森のハヤブサ
葦のベッド(エーロ・ヤルネフェルト 1905年作)
1905 葦のベッド
キリストと嵐の中で(エーロ・ヤルネフェルト 1926年作)
1926 In a storm with Jesus
Ester Sihtolaの肖像(エーロ・ヤルネフェルト 1934年作)
1934 Ester Sihtola
Koliの眺望(エーロ・ヤルネフェルト 1935年作)
1935 Koli no View
 屋外(戸外)の絵が多いですね。

 ギュスターヴ・モロー(1826~1898年)は、象徴主義のフランス人画家です。聖書や神話を題材に、幻想的な絵を描きました。
自画像(ギュスターヴ・モロー 1850年作)
イメージ 1
 ギュスターヴ・モローはパリで建築家の父と音楽家の母の間に生まれました。体が弱く、6歳のころから素描で遊びました。1843年にイタリア旅行をすると、1844年にフランソワ=エドウアール・ピコの弟子になりました。1846年にエコール・デ・ボザールに入学しました。1848年と49年のローマ賞に挑戦しましたが失敗、ついには退学してしまいました。
 1852年に「ピエタ」をサロンに出品、1855年のパリ万博に出品しました。1857~59年の間、自費でローマ留学をしました。1888年に美術アカデミー会員にえらばれ、1892年にエコール・デ・ボザールの教授になりました。年代順に作品を紹介します。
ピエタ(ギュスターヴ・モロー 1852年作)
イメージ 2
オイディプスとスフィンクス(ギュスターヴ・モロー 1864年作)
イメージ 10
イアソンとメディア(ギュスターヴ・モロー 1865年作)
イメージ 3
エウロペと雄牛(ギュスターヴ・モロー 1869年作)
イメージ 4
出現(ギュスターヴ・モロー 1876年作)
イメージ 5
サロメ(ギュスターヴ・モロー 1876年作)
イメージ 6
ガラティア(ギュスターヴ・モロー 1880年作)
イメージ 7
人生の生(ギュスターヴ・モロー 1886年作)
イメージ 8
ジュピターとセメレ(ギュスターヴ・モロー 1895年作)
イメージ 9
ヘラクレスとヒュドラ(ギュスターヴ・モロー作)
イメージ 11
聖ゲオルギオスとドラゴン(ギュスターヴ・モロー作)
イメージ 12
独特の神秘的画風の画家です。

 ギュスターヴ=アドルフ・モッサ(1883~1971年)は象徴主義のフランス人画家です。
 ギュスターヴ=アドルフ・モッサはニースのデッサン学校経営者の息子に生まれました。父親はニース美術館館長も務め、ニースのカーニバルのポスターを多く描きました。父親から絵の手ほどきを受けたと思われます。その後ギュスターヴ・モローなどから象徴主義、更にラファエル前派/アール・ヌーヴォーの影響を受けました。1905~18年の間、怪奇的/退廃的な絵を描きました。第一次世界大戦に従軍して負傷しました。その後は絵画から遠ざかりました。年代順に作品を紹介します。
自画像(ギュスターヴ=アドルフ・モッサ作)
イメージ 1
エレーヌの接吻(ギュスターヴ=アドルフ・モッサ 1905年作)
イメージ 2
彼女(ギュスターヴ=アドルフ・モッサ 1906年作)
イメージ 3
エルサレム(ギュスターヴ=アドルフ・モッサ 1907年作)
イメージ 4
死の夫人(ギュスターヴ=アドルフ・モッサ 1908年作)
イメージ 5
ブリュージュでの死(ギュスターヴ=アドルフ・モッサ 1911年作)
イメージ 6
ダヴィデとバテシバ(ギュスターヴ=アドルフ・モッサ作)
イメージ 7
封印する乙女(ギュスターヴ=アドルフ・モッサ作)
イメージ 8
不気味で退廃的な絵が多いですが、世界大戦の足音が聞こえたり、自分の従軍が予見されたのでしょうか?自分の死が近いと考えていたのでしょうか?

 エドゥアール・モイーズ(1827~1908年)はユダヤ人の生活などを描いた、ラビ派のフランス人画家です。
 エドゥアール・モイーズはフランス北東部のナンラーで商人の息子に生まれました。パリのフランス国立高等美術学校に進学して、ミシェル・マルタン・ドロランに師事しました。18歳でサロンに出品して、銀賞を受賞しました。1860年代からユダヤ人を題材にした絵を多く描きました。年代順に作品を紹介します。
自画像(エドゥアール・モイーズ 1853年作)
イメージ 1
ユダヤ最高法院サンヘドリン(エドゥアール・モイーズ 1867年作)
イメージ 2
雄弁なユダヤ人の説教(エドゥアール・モイーズ 1897年作)
イメージ 3
制作年や作品名が分かるのは、これくらいでした。
祝祷(エドゥアール・モイーズ作)
イメージ 4
画題も良く分からなかった作品をいくつか紹介します。
イメージ 5

イメージ 6
Moyseという名前は、十戒のモーゼと同じスペルです。オランダの音楽家などにもみられる名前です。これだけユダヤ人の画題に拘った処から、ユダヤ系の血筋だったと推定します。

 リュック=オリヴィエ・メルソン(1846~1920年)は新古典派的な絵を描いたフランス人画家です。
 リュック=オリヴィエ・メルソンはパリの芸術家の息子に生まれました。修業時代の経歴は良く分かっていませんが、1866年に(20歳で)サロン初出品を果たしました。1869年にローマ賞を受賞して、5年間ローマに留学しました。1875年のサロンで第一等メダルを受賞しました。以降アカデミー会員に選ばれました。年代順に作品を紹介します。
マラトンの勝利を伝える伝令(リュック=オリヴィエ・メルソン 1869年作)
イメージ 1
透視(リュック=オリヴィエ・メルソン 1872年作)
イメージ 2
殉教者聖エドマンド(リュック=オリヴィエ・メルソン 1874年作)
イメージ 3
グッビオの狼(リュック=オリヴィエ・メルソン 1877年作)
イメージ 4
エジプト逃避行の休息(リュック=オリヴィエ・メルソン 1880年作)
イメージ 5
春の眼ざめ(リュック=オリヴィエ・メルソン 1884年作)
イメージ 6
聖母への挨拶(リュック=オリヴィエ・メルソン 1885年作)
イメージ 7
サロメ(リュック=オリヴィエ・メルソン 1899年作)
イメージ 8
家族(リュック=オリヴィエ・メルソン 1901年作)
イメージ 9
真実(リュック=オリヴィエ・メルソン 1901年作)
イメージ 10
神に対面するジャンヌ・ダルク(リュック=オリヴィエ・メルソン 1901年作)
イメージ 11
受胎告知(リュック=オリヴィエ・メルソン 1908年作)
イメージ 12
ローマ賞を受賞しただけあって、上手い画家です。

↑このページのトップヘ