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カテゴリ: 気になる画家千夜一夜(14世紀)

 タッデオ・ディ・バルトロ(1363~1422年)はシエナで、理髪師の息子に生まれました。1389年シエナの芸術家ギルドに入会しました。それ以降各地を旅行して、1400年頃からシエナに戻りました。国際ゴシックの画風ですが、ルネッサンスの萌芽を感じられる作品も残しています。
 1389年、彼はコッレガリ、サン・ミニアート・アル・テデスコの丘陵、ピサ旅行しました最も初期の作品の1つは1390年に署名された聖母子の即位です。サン・フランチェスコ教会のサルディとカンピッリ礼拝堂のための聖母子と聖人の祭壇画(1395年)は、タッデオの初期のスタイルを示しています。  
 1400年から1401年にかけて、タッデオはシエナのパラッツォ・プッブリコで働き、12枚の小さなパネルを制作した。 1401年頃有名な祭壇画「聖母被昇天」と「キリストの受難」の場面を描いた。タッデオ・ディ・バルトロは1422年にシエナで60歳で亡くなりました。国際ゴシックの画風の画家です。
洗礼者聖ヨハネと聖アンデレと聖母子
(タッデオ・ディ・バルトロ、1395年頃作、セープムヴェシェティー美術館蔵)
聖セバスチャン(タッデオ・ディ・バルトロ作、カポディモンテ美術館蔵)
聖母子(タッデオ・ディ・バルトロ、1410年頃作、フィルブルック美術館蔵)
無原罪のお宿り(タッデオ・ディ・バルトロ作)

 ブォナミーコ・ブファルマッコ(1300年以前~1336年)はバロック期に活躍したイタリア人画家です。

          ブォナミーコ・ブファルマッコの肖像(Wenceslas Hollar作)
-Wenceslas_Hollar_-_Buffalmacco_
 ブォナミーコ・ブファルマッコはフィレンツェ、ボローニャ、ピサで活躍しました。誕生年や誕生地は伝わっていません。ブォナミーコ・ブファルマッコは夜型人間だったようです。夜絵を描いて、昼寝ていたようです。「ブファルマッコは悪戯好き」だとボッカッチョやジョルジョ・ヴァザーリが書き残しています。作品を紹介します。
         聖ミカエル(ブォナミーコ・ブファルマッコ 1320年代作)
1320-30san_michele_arcangelo,
      死の勝利と三人の死と聖(ブォナミーコ・ブファルマッコ 1335年頃作)
1355 死の勝利 三人の死と三人の生存
          パルマ洗礼堂の壁画(ブォナミーコ・ブファルマッコ作)
Battistero_di_Parma_
           パルマ洗礼堂壁画(ブォナミーコ・ブファルマッコ作)
-Battistero_di_Parma_
             ピサ納骨堂(ブォナミーコ・ブファルマッコ作)
-Buonamico_Buffalmacco_Camposanto1
            聖マカリウス(ブォナミーコ・ブファルマッコ作)
聖マカリウス
         地獄(ブォナミーコ・ブファルマッコ作原画の15世紀印刷)
地獄の模写15世紀?
 ブォナミーコ・ブファルマッコの悪戯の伝承があるそうです。本稿では省略します。

 アーニョロ・ガッディ(1350年頃~1396年)はゴシック期のイタリア人画家です。
 アーニョロ・ガッディはフィレンツェでジョットの弟子に当たる画家タッデオ・ガッディの息子に生まれました。それ以外の経歴は良く分かっていません。年代順に作品を紹介します。
茨の聖母子と聖人と天使たち(アーニョロ・ガッディ 1375年作)
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聖母の戴冠(アーニョロ・ガッディ 1380年作)
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聖シルヴェスターと竜(アーニョロ・ガッディ 1380~85年作)
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茨の聖母と聖人たち(アーニョロ・ガッディ 1380年代)
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ヘラクルス皇帝のエルサレム入城(アーニョロ・ガッディ 1385年作)
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ヘロド王の饗宴(アーニョロ・ガッディ 1387年作)
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降架(アーニョロ・ガッディ 1390年作)
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聖母戴冠と天使たち(アーニョロ・ガッディ 1390年代作)
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三位一体(アーニョロ・ガッディ 1390年代作)
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最後の晩餐(アーニョロ・ガッディ 1395年作)
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 群衆を描いた絵を見ると、高い画力を持っていたようです。ゴシックを超えてルネッサンスの萌芽を感じますね。

 ヤコポ・デル・カセンティーノ(1297~1358年)は主にトスカーナで活躍したイタリア人画家です。
ヤコポ・デル・カセンティーノの肖像
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 ヤコポ・デル・カセンティーノは名前(あだ名)からカスンティーノ出身と考えられます。フィレンツェでマスター・オブ・セント・セラリアから訓練を受け、1339年に画家の聖ルカ組合の創立メンバーの一人となりました。年代順に作品を紹介します。
茨の聖母祭壇画(ヤコポ・デル・カセンティーノ 1320年代作)
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聖ヨハネ(ヤコポ・デル・カセンティーノ 1330年作)
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St. Lucy(ヤコポ・デル・カセンティーノ 1330年作)
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架刑(ヤコポ・デル・カセンティーノ 1340~45年作)
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祖先の教え挿絵(ヤコポ・デル・カセンティーノ 1342年作)
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バンビーノの聖母(ヤコポ・デル・カセンティーノ作)
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聖母子(ヤコポ・デル・カセンティーノ作)
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架刑と最後の審判(ヤコポ・デル・カセンティーノ作)
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 ゴシックの画風ですね。

 アルティキエーロ(1330年頃~1390年頃)はゴシック期のイタリア人画家です。ジョットの弟子だったと伝わります。
 アルティキエーロは北イタリア ヴェローナのゼーヴィオ近郊で生まれました。ヴェローナ王デラ・スカーラ家に仕え、デラ・スカーラ宮殿に「ユダヤ戦記」の壁画を描いたと伝わります。1376年にパドヴァのサンタントニア大聖堂の祭壇画と壁画を、1378~84年にパドヴァのサン・ジョルジョ祈祷所の祭壇画と壁画を描きました。作品を紹介します。
サンタントニア大聖堂内部(1376年完成)
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サンタントニア大聖堂・聖ヒエロニムスの場面(アルティキエーロ 1376年作)
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同上 ラミロ王部分(アルティキエーロ 1376年作)
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サンタントニア大聖堂・架刑の場面(アルティキエーロ 1376年作)
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架刑部分(アルティキエーロ 1376年作)
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架刑部分(アルティキエーロ 1376年作)
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サン・ジョルジョ祈祷所内部(1384年完成)
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聖カトリーヌの殉教(アルティキエーロ 1378~84年作)
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聖ルシアの葬儀(アルティキエーロ 1478~84年作)
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架刑(アルティキエーロ 1378~84年作)
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東方三賢者の礼拝(アルティキエーロ 1378~84年作)
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聖ゲオルギオスの殉教(アルティキエーロ 1385年作)
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 フレスコ画しか描かなかったようです。

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