世界美術館巡り旅

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カテゴリ:世界の美術館 > ロシアの美術館

 一度投稿しましたが、写真を追加して再投稿します。
 2015年11月にプーシキン美術館(モスクワ)を訪問しました。印象派/後期印象派画家の作品に集中して、質の高い作品が多く展示されていました。
本館の建物から細い道を隔ててヨーロッパ絵画館が建てられて、そこに展示されていました。
プーシキン美術館本館(Wikipediaから)
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プーシキン美術館本館正面
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19~20世紀ヨーロッパ・アメリカ美術ギャラリー前景(Wikipediaから)
ヨーロッパ絵画館入口

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エステルの饗宴に於けるアハシュエロス王とハマン
(レンブラント・ファン・レイン、1660年作)

アポロンとマルシュアスの居る風景(クロード・ロラン、1639年作)

ユピテルとカリスト(ブーシェ作)

草上の昼食(クロード・モネ、1866年作)
草上の昼食
女優ジャンヌ・サマリーの肖像
(ピエール=オーギュスト・ルノワール、1877年作)

黒い服の娘達(ピエール=オーギュスト・ルノワール作)

ムーラン・ド・ギャレットの庭で(ピエール=オーギュスト・ルノワール)

写真スタジオでポーズをする踊り子(エドガー・ドガ作)

セーブル橋とクラマールの丘 サン=クルーとベルヴェの眺め
(アンリ・ルソー作)
赤い葡萄畑(フィンセント・ファン・ゴッホ作)

刑務所の中庭(フィンセント・ファン・ゴッホ作)

アルルの夜のカフェにて(フィンセント・ファン・ゴッホ、1889年作)
アルルの夜のカフェにて
ピエロとアルルカン(ポール・セザンヌ作)
オリエンタル・カーペットの上の塑像と花瓶(アンリ・マティス、1908年作)

金魚(アンリ・マティス作)
生命感溢れる水の中: マティスの「金魚」紹介 | たそがれ君の ...

 2015年11月にトレチャコフ美術館(モスクワ)を訪問しました。ロシア国民の間では、プーシキン美術館より人気があるそうです。
トレチャコフ美術館前景(Wikipediaから)

玄関のトレチャコフ像
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トレチャコフ美術館門の前で
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日本で一番有名な絵は、次の「見知らぬ女」だと思います。
見知らぬ女(イワン・クラムスコイ作)の横で
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見知らぬ女/忘れられぬ女(イワン・クラムスコイ、1883年作)
ウラジーミルの生神女(伝聖ルカ作)
戦争の結末(ヴェレシチャーギン)
 マリア・ロプキナの肖像(ボロヴィ・トルフスキー作)

民衆の前に現れたキリスト(アレクサンドル・イワノフ作)
ドストエフスキーの肖像(ヴァシリ・ペロフ作)
クルスク県の復活大祭の十字行(イリヤ・レーピン作)

皇女ソフィア(イリヤ・レーピン、1879年作)

勇士たち(ヴィクトル・バスネツォフ、1881~98年作)

黄金色の秋(イリヤ・オストロウーホフ作)
コンポジション 7(カンディンスキー作)
モロゾフ侯爵の令嬢(ワシーリー・スリコフ)の横で
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モロゾフ侯爵の令嬢(公式HPから)
この「モロゾフ侯爵の令嬢」のその大きさ・迫力と、その背景に強く感動しました。
ロシア正教の教皇が代替わりして、新しい作法を強要したようです。それまで二本の指で十字を切っていたのを、三本の指で十字を切れというものだったようです。この令嬢は従来の二本指を改めず、引き回しの上処刑されたようです。妹がそっと近寄り、三本指に変えれば命が助かると囁いても、二本指を突き上げて拒否したようです。

 2015年11月にエルミタージュ美術館(サンクト・ペテルスブルグ)を訪問しました。彫刻や考古学遺物も含めると巨大な美術館ですが、今回は絵画だけで評価しました。
エルミタージュ美術館の全景
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聖母子と聖ドミニクス、聖トマス・アクイナス(フラ・アンジェリコ、1435年頃作)

聖母子と髭の無い聖ヨセフ(ラファエロ・サンティ、1506年作)
ユディト(ジョルジョーネ、1504年作)
コネスタビレの聖母(ラファエロ・サンティ、1504年作)

貴婦人の肖像(コレッジオ、1517~20年作)

聖家族と洗礼者ヨハネ(ヤコポ・ダ・ポントルモ、1522~23年作)

ダナエ(ティッツアーノ・ヴェスプッチ、1553~55年作)

洗礼者ヨハネの誕生(ティントレット、1555年頃作)
悔悛するマグダラのマリア(ティッツアーノ・ヴェスプッチ、1565年作)
リュートを弾く若者
(ミケランジェロ・ブオナローティ・カラヴァッジョ、1595年作)

聖母被昇天(グエルチーノ、1623年頃作)

聖ペテロと聖パウロ(エル・グレコ、1587~92年作)
昼食の風景(ベラスケス、1617~18年作)
犬を連れた少年(バルトロメオ・エスティバン・ムリーリョ、1655~60年作)

祈る幼いマリア(フランシスコ・デ・スルバラン、1658~60年作)
アントニオ・サラテの肖像(フランシスコ・デ・ゴヤ、1810~11年作)
大地と水の結合(ピーテル・パウル・ルーベンス、1618年頃作)

ペルセウスとアンドロメダ、1620~21年作)
放蕩息子の帰還(レンブラント・ファン・レイン、1663~65年作)
フローラに扮したサスキア(レンブラント・ファン・レイン、1634年作)

王様が飲む(ヤーコブ・ヨルダーンス、1638年頃作)

一杯のレモネード(ヘラルト・テル・ボルフ、1664年頃作)

アポロンとクマエの巫女の居る海岸の風景(クロード・ロラン、1645~49年作)

食前の祈り(シャルダン、1744年作)

盗まれた接吻(フラゴナール、1787年作)
庭の女(クロード・モネ、1867年作)
ジャンヌ・サマリーの肖像(ピエール=オーギュスト・ルノワール、1878年作)
タバコを吸う男(ポール・セザンヌ、1889年作)
アルルの女たち(フィンセント・ファン・ゴッホ、1888年作)
果実を持つ女(ポール・ゴーギャン、1893年作)
トラの居る熱帯の嵐(アンリ・ルソー、1908~09年作)

レオナルド・ダ・ヴィンチ作として展示されている聖母の絵の真贋が噂されている。私も真作である可能性は低いと考えている。

 2015年11月にプーシキン美術館(モスクワ)を訪問しました。本館の建物から細い道を隔ててヨーロッパ絵画館が建てられて、そこに展示されていました。今回は、ポール・セザンヌ作「ピエロとアルルカン」を紹介します。
 ポール・セザンヌは1839年に南仏エクス・アイ・プロヴァンスで、帽子行商出身の銀行家の息子として生まれました。地元の中学時代(13歳の頃)、後に高名な小説家となるエミール・ゾラがパリから転校してきました。余所者と虐められていたゾラに話しかけた事から、セザンヌは袋叩きになりました。翌日ゾラがリンゴ入りの籠を贈り、後に天文学者になるバティスタ・バイユと三人で親交を深めました。
 1857年(18歳)からエクス・アン・プロヴァンスの私立素描学校に通いました。1858年からエクス・アン・プロヴァンス大学法学部に通いました。ゾラから誘われて1861年にパリに行きましたが、官立美術学校から入学を断られました。画塾のアカデミー・シュイスに通いました。同じ年の9月には故郷に帰り、父の銀行に勤めながら美術学校に通いました。一年でパリに戻り、絵の修行に励みました。
 1874年第一回印象派展に3作品を出品しました。その後もサロン出展を目指し続けて印象派リーダーと気まずくなり、1878年に故郷に帰り画作を続けました。1882年(43歳)に「L・A氏の肖像」でサロン・ド・パリに初入選しました。審査員の弟子という事にして、審査員弟子一人の入選枠を使ったようです。要するに裏口入学のようなものです。
 1886年に父が亡くなり、多額の遺産を受け継ぎました。1890年頃から糖尿病を患いました。1895年に初個展、死後の1907年に回顧展が開かれましたが、酷評を受けました。1925年頃から評価が急に高まりました。
 1886年に父親が亡くなり遺産相続し、長年連れ添った内縁の妻と正式に結婚しました。エクス・アン・プロヴァンスでの隠遁生活も落ち着いたころの作品です。セザンヌは幾つかの画風で作品を描いていますが、「カード遊びをする人々」の画風の最初の作品がこの「ピエロとアルルカン」だと思います。「カード遊びをする人々」は安定した構図ですが、逆に動きがないつまらない構図です。こちらの方が出来が良いと思います。
ピエロとアルルカン(セザンヌ、1888年作)

カード遊びをする人々(セザンヌ、1890~92年作)

 2015年11月にプーシキン美術館(モスクワ)を訪問しました。本館の建物から細い道を隔ててヨーロッパ絵画館が建てられて、そこに印象派・後期印象派作品が展示されていました。今回は、伝ルノワール作「むーらん・ド・ギャレットの中庭」を紹介します。
 ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841~1919年)は仕立て屋の末っ子に生まれ、磁器工場の絵付け職人になりました。1858年に失職して画家を目指し、1862年にエコールド・ボザールに入学し、モネ、シスレー等と知己をえました。一緒に絵を描いたりしていましたが、1876年に「ムーラン・ド・ギャレットの午後」を描き上げました。それの習作かなんかの位置づけだと思われますが、描写が甘い。1876年制作の「ムーラン・ド・ギャレットの午後」、「日光の下の裸婦」ともに、日の光、日陰などが実に美しく・正確にに描かれています。「ムーラン・ド・ギャレットの中庭」には光も日陰も感じません。左側の女性の衣装は、「ムーラン・ド・ギャレットの午後」の前方中央の女性のそれを意識していると思われますが、登場人物の描写がぼんやりとしています。左側女性の足元に暗い部分が描かれています。そうだとすれば晴れで、もっと木漏れ日の光景になっていると思われます。「ムーラン・ド・ギャレットの午後」、「日光の下の裸婦」を描いた画家が、同じ時期にこのような絵を描くとは考えにくい。
 「黒い服の娘たち」と「女優ジャンヌ・サマリーの肖像」は真作と思います。他の画家では、この絵は描けないと思います。
ムーラン・ド・ギャレットの中庭(伝ルノアール、1876年作)
黒い服の娘たち(ルノアール、1881年作)
女優ジャンヌ・サマリーの肖像(ルノアール、1877年作)

ムーラン・ド・ギャレットの午後(ルノワール、1876年作、オルセー美術館蔵)

日光の下の裸婦(ルノアール、1875~76年作、オルセー美術館蔵)
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