世界美術館巡り旅

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カテゴリ:世界の美術館 > チェコの美術館

 2016年6月 シュテンベルク宮殿(プラハ)を訪問しました。シュヴァルツェンベルク宮殿で「向かいに見える建物のかどを通っていけ。」と聞いたので、建物の前でウロウロしました。正面左側にかどが見えましたが、それよりも手前に通路(下り坂)があってシュテンベルク宮殿の表示がありました。表示に従って行くと鉄格子の門があり、シュテンベルク宮殿の表示とクラナッハの絵のコピーがありました。後から分かったのですが、どうも裏口(裏門)だったようです。
シュテンベルク宮殿の裏門
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 恐る恐る鉄格子の扉を押すと建物に入れました。ヨーロッパ絵画を紹介します。
哀悼(ロレンツォ・モナコ作)

東方三博士の礼拝(シント・ヤンス作)

聖フロリアヌスの殉教(アルブレヒト・アルトドルファー作)

読書する学者(レンブラント・ファン・レイン作)

マグダラのマリア(ヤン・ホッサ―ルト、16世紀作)
美術館訪問記-154 プラハ国立美術館-シュテルンベルク宮殿
自画像(ジュゼッペ・アルチンボルド作)

キリスト(エル・グレコ作)
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盲人の寓話(ピーテル・ブリューゲル子作)
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農民の乱闘(ピーテル・ブリューゲル子、1620年作)
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アンブロジア・スピノラ(ピーテル・パウル・ルーベンス作)
聖トーマスの殉教(ピーテル・パウル・ルーベンス、1630年代作)
Peter Paul Rubens - Martyrdom  ...
海辺の聖アウグスティヌス(ピーテル・パウル・ルーベンス作)

 大作はありませんでしたが、西ヨーロッパの16,17世紀の絵も結構展示されていました。

ドイツ・オーストリア展示室の絵画を追加で投稿します。
ドイツ・オーストリア絵画展示室入口
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薔薇冠の祝祭(アルブレヒト・デューラ、1506年作)
 この絵が当館で一番有名な絵のようです。デューラーの大作は少ないし、素晴らしい完成度です。
アダムとエヴァ(ルーカス・クラナッハ作)
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聖ヒエロニムス(ルーカス・クラナッハ作)
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エレオノーラ・ディ・トレド(アーニョロ・ブロンズィーノ、1545年作)
Bronzino. Eleanor Toledskaya. OK. 1545. National Gallery. Prague
 デューラーもクラナッハも、ルネッサンスの時代と重なっています。日本ではルネッサンスが話題になりやすいですが、同時期にこのレベルの絵が描けたのです。宗教の影響が強かった地域でも、絵画の技術は高まっていたのですネ。

2016年6月 ヴェレトゥルジューニー宮殿(プラハ)を訪問しました。この美術館の中に、ムハの「スラヴ叙事詩」の展示室(別に入場料が必要)があります。「スラヴ叙事詩」以外のコレクション(常設展示)を紹介します。館内は写真が撮れましたが、綺麗さから公式ページのコピーを一部使いました。プラハ国立美術館は「たこ足」です。このヴェレトゥルジューニー宮殿には、19世紀~20世紀のヨーロッパ絵画+ムハ作品が展示されています。
ヴェレトゥルジューニー宮殿の玄関
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恋人たち(ピエール=オーギュスト・ルノアール作)
 ルノアールの美意識と男性の顔・女性の手(木陰の筈)から考えて、女性の顔色が青すぎるように思えます。画家は最後の仕上げ(上塗り)をするつもりだったと思います。何故この状態で残ってしまったのか興味が湧きます。
オン・フルールの港(シスレー作)

糸杉のある緑の麦畑(フィンセント・ファン・ゴッホ作)
こんにちは、ゴーギャンさん(ポール・ゴーギャン作)

恋人(ポール・ゴーギャン作)

ムーラン・ルージュにて(ロートレック作)

浜辺のダンス(ムンク作)
私自身(アンリ・ルソー作)
乙女(クリムト作)
マフを持つ女(クリムト作)
スラーヴィア(アルフォンス・ムハ作)

スラーヴィアの前で記念撮影
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赤い卵(ココシュカ作)

膝を挙げて座る女性(シーレ作)
 他にピカソやシャガールの作品の展示もありましたが、真作とは思えない程の違和感がありました。紹介を控えさせていただきます。

 2016年6月 サルム宮殿(Salm Palace)を訪問しました。プラハ城の西側に出た広場に面して、このサルム宮殿とシュヴァルツェンベルク宮殿があります。
プラハ城西側出口の広場
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この写真を撮った右斜め後ろに、目立つ建物が在ります。
サルム宮殿(中央の建物)
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 右端に微かに見えている建物が、シュヴァルツェンベルク宮殿です。両宮殿を繋いだ低い建物(右端中央部)のドーム(扉)を入ると、チケット売り場があります。シュテンベルク宮殿も合わせた3宮殿共通チケットが買えました。シュテンベルク宮殿がヨーロッパ古典、シュヴァルツェンベルク宮殿がボヘミア(チェコ近辺)のバロック(古典)、このサルム宮殿がボヘミアの19世紀以降近代絵画の棲み分けで展示されていました。そのような訳で、記憶にあるような画家の名前はありませんでした。公式ホームページからいくつかの作品を紹介します。
コレクションの最初に紹介された作品
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粗い画像しか添付されていませんでした。ぼやけていて、申し訳ありません。

 2016年6月 シュヴァルツェンベルク宮殿(プラハ)を訪問しました。プラハ城の西側に国立美術館があるということで、プラハ城の脇の細道を通って行きしました。プラハ城の西端近くに鉄柵があり、通り抜け禁止となっているのでびっくり。立っていた警備員に「通り抜けたい。」と言ったら、「ここはダメ。少し戻ると階段があるので、それを昇ってプラハ城の中庭に入れ。そこから行け。」との事でした。言われたように行くと、フラッチャー広場とプラハ城西側出口から出ました。一番目立つ建物が美術館のようなので入場してチケットを買いました。この地区の3宮殿(国立美術館)の共通チケットだと説明され、パンフレットも貰いました。
シュヴァルツェンベルク宮殿(国立美術館)入口
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 この宮殿は、ボヘミア地域のバロック美術の展示が分担のようでした。建物とそのタイルが有名なようです。公式ページから全景を紹介します。
シュヴァルツェンベルク宮殿前景
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 入館して見て回ったところ、名前の分かる画家の作品はありませんでした。ボヘミア地区のバロック画家の絵は、日本まで伝わっていないようです。一番有名な絵は、次の絵のようです。
Karel Skretaの作品
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公式ホームページに載っていた作品を紹介します。
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 どの絵も、どの画家も、技量としては高いレベルと見受けました。残念ながら、強烈な個性みたいなものは感じられませんでした。既知の画家の名前が無く、どうも目指した美術館ではなさそうだと気付きました。パンフレットを見ると、シュテンベルク宮殿という宮殿にヨーロッパ古典絵画が展示されていそうだと分かりました。学芸員らしき人にパンフレットを指さして「何処?」と聞くと、窓から見える建物を指さして「その角を進め。」ということだった。そこで移動することにしました。

 2016年6月 ヴェレトゥルジューニー宮殿(プラハ国立美術館)を訪問しました。館内の「スラヴ叙事詩」展示室は入口が別(入館料も別)になっていました。パリから帰国したムハ(フランス読みではミーシャ)がスメタナの組曲「我が祖国」に感動して、「汎スラヴ主義(スラヴ言語を話す民族は古代統一国家だった)」の考えで20枚の大作を描き上げました。1918年にハプスブルグ家のオーストリア帝国が滅びて、チェコ・スロバキア共和国が樹立されました。その後ナチス・ドイツに占領され、第二次大戦後はソ連に管理されました。ソ連崩壊により、チェコはやっと独立国になりました。ムハもナチに捕らえられて厳しい尋問を受け、解放された数か月後に亡くなりました。ナチの厳しい追及を受けたのは、この「スラヴ叙事詩」が原因と思われます。私は余り政治的な絵を好みませんが、彼が命と引き換えに残した20枚を静かに鑑賞しました。これらの絵には静けさと緊張を感じます。画面の左端下や中央下で鑑賞者をジット見つめる人(女性)が描かれています。これが、緊張を醸し出しているようです。
 これらの絵は輪郭が描かれていないのと大きいためか、私の小型カメラではオートフォーカスが上手く動作しないようです。公式ページのコピーを一部使わせてもらいました。
スラヴ叙事詩第一作(原故郷のスラヴ民族)
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同上の鑑賞者を見つめる女性たち
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 この絵を鑑賞している人が、この次にどう行動するかを注視しています。「この絵を見たら行動してくれるだろう。」と見つめています。
スラヴ叙事詩(クロムニ・ジージェのヤンミリチ)
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同上の鑑賞者を見つめる女性
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スラヴ叙事詩(セン・アモス・コメンスキー)
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 20作の中で、この絵にだけ「MUCHA」のサインがある事で有名です。
ムハのサイン
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スラヴ叙事詩(第20作)
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 この絵は「1918年のチェコ・スロバキア共和国の建国を祝っている。」と言われています。私はそれに疑いを持っています。理由は二つです。この絵の完成は建国から10年以上後です。そのような古新聞の内容を、ムハが描くとは思えません。もう一つの理由は画面右中央の欧米国旗です。一番前が星条旗(アメリカ国旗)です。この絵を描いた1930年代はナチスが台頭した時期です。彼はナチスがチェコ・スロバキア共和国に侵攻することを予感したのではないかと思います。それをアメリカが先頭に立って、チェコ・スロバキア共和国を解放してくれることを希望したと思われます。ナチスがムハを目の敵にした原因は、この絵のような気がします。
 政治的な背景は忘れて、「スラヴ叙事詩」の20作を見ましょう。そうすれば、まぎれもない傑作です。「卓越した技量、その大きさ、美しさ、斬新性」で見る人を感動させます。

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