世界美術館巡り旅

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カテゴリ: 隠れ名画

 2017年6月アントワープ王立美術館(アントワープ/ベルギー)に行きました。今回は、ルーカス・クラナハ父作「慈愛」を紹介します。
 ルーカス・クラナハ父(1472~1553年)はルネサンス期のドイツ人画家です。ピッテンベルクに工房を構え、ザクセン選帝侯フリードリヒ3世の御用絵師だったと伝わります。マルティン・ルターと友人関係だったようです。ルーカス・クラナハ子も画風が似ていますが、子の生年(1515年)から考えて1530年代までの作品は父親の作品と思われます。それ以降の作品の判定は難しいと思います。子の方が写実的で発色が良く、父親の方が観念的・装飾的な画風に感じます。
 ルーカス・クラナハ父は前半生では、宗教画・肖像画がメインでした。御用絵師になった以降も、他の依頼を受けたようです。神話・聖書を題材にした裸婦画、寓話画も多く描きました。「慈愛」は慈悲とも繋がり画面で若い母親が授乳して、他の赤ん坊二人も世話しています。戒律と寄付に厳しいカソリック教会に反発するプロテスタントの絵だという評論家もいるようです。
 ルーカス・クラナハ父は「アダムとエヴァ」と多数描いていますが、楽園を追放されるアダムとエヴァは一枚も描いていません。この「慈愛」も上部にリンゴを描いています。恋愛などを肯定した大らかな画題です。プロテスタント(カソリック教会に反抗する)というよりも、現生を肯定する絵です。貴族か裕福な商人などからの依頼品のように思えます。
 ルーカス・クラナハ父の作品は、ルネッサンス風(微妙なグラデーションで立体的に描く、油絵風)、ゴシック風(定型的・色を置いた感じの画風、テンペラ風)と組み合わせた画風のものがあります。人物・人体・薄布はルネッサンス風で統一されています。衣服・衣装や背景の一部がゴシック風に描かれている場合が見られる。使い分けの理由は特定出来ません。
 容貌や裸婦は作品ごとに結構違っていて、複数のモデルを使い、デッサンしていたと思われます。大きな工房を持って、多数の作品を描きました。人物は直筆で、背景・衣装は弟子・助手に描かせたのでしょうか?「慈愛」の大部分をルーカス・クラナハ父が描いたように見えます。
慈愛(ルーカス・クラナハ父、1540年作)



 2017年6月アントワープ王立美術館(アントワープ/ベルギー)に行きました。
 ルーカス・クラナハ父(1472~1553年)はドイツのヴィッテンベルクに工房を構え、ザクセン選帝侯フリードリヒ3世の御用画家として多くの作品を残しました。
 ルーカス・クラナッハ父は多くの「アダムとエヴァ」を描いていますが、二枚の立像で描いています。一枚のパネルで描いているのは、コートールド美術館所蔵作品とここで所蔵されている一枚だけです。コートールド美術館所蔵品は多くの動物も描いています。それが一枚で描いた理由と思われます。このアントワープ王立美術館所蔵品は理解不能です。他の作品と違い、アダムがエヴァを見ていません。アダムとエヴァの容貌も何となく違い、工房の作品と思われます。
  「エヴァ」は容貌や描き方から、ルーカス・クラナッハの真筆と思われます。ウフィツイ美術館所蔵品と似た構成で、アダムとエヴァの対作品から(何らかの理由で)切り出したように思えます。非常に完成度が高い作品で、アダムとエヴァで揃っていたらルーカス・クラナッハ父の最高傑作「アダムとエヴァ」だったような気がします。
エヴァ(ルーカス・クラナッハ、1528~30年作)
アダムとエヴァ(ルーカス・クラナッハ工房作)
アダムとエヴァ(ルーカス・クラナッハ、1526年作、コートールド美術研究所蔵)

アダムとエヴァ
(ルーカス・クラナッハ父、1528年作、ウフィツィ美術館蔵)

アダムとエヴァ
(ルーカス・クラナッハ父、1508~10年作、ブザンソン美術館蔵)

アダムとエヴァ
(ルーカス・クラナッハ父、1510~20年作、ウィーン美術史博物館蔵)

 2017年6月アントワープ王立美術館(アントワープ/ベルギー)に行きました。今回は、ハンス・メムリンク作「ローマ・コインを持つ男の肖像」を紹介します。
 ハンス・メムリンク(1435年頃~1494年)は初期フランドル派の画家で、ヤン・ファン・エイクやファン・デル・ウェイデンに続いて活躍しました。ハンス・メムリンクはドイツ フランクフルト近郊のゼーリゲンシュタットに生まれました。ブリュッセルのロヒール・ファン・デル・ウェイデンの工房で修業しました。ファン・デル・ウェイデンが1464年に亡くなったのを機にブルッヘ(ブルージュ)に移り、1465年にブルッヘ市民権を得たようです。その後ブルッヘで活躍して、多くの作品を制作しました。現存する作品の大部分が、宗教画です。
 「ローマ・コインを持つ男の肖像」のモデルは、ヴェネツィア大使だったベルナルド・ベンボ(1433~1519年)と推定されています。パドヴァ大学で哲学を学び、その後法律を学びました。1471~74年の間ブルゴーニュ公国在の大使でした。軍事遠征でブルッヘにも滞在しました。その際に肖像画を依頼したと考えられています。ベルナルド・ベンボはコイン収集家で、描かれているコインは古代ローマ皇帝ネロ時代のセステルティウス(デナリウス銀貨の四分の一の補助銀貨)と考えられています。非常に希少なコインで、収集を誇示している姿と考えられています。背景に月桂樹が描かれていて、彼の紋章の象徴と考えられます。背景の川辺に騎士が立ち止まっていて、彼が軍事遠征でブルッヘに一時滞在していた事を象徴しているかのようです。
 肖像画に片手だけを、背景にきれいな風景を描いたのは、メムリンクが最初だとの意見もあるようです。 
ローマ・コインを持つ男の肖像(ハンス・メムリンク、1474年頃作)
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 2017年6月アントワープ王立美術館(アントワープ/ベルギー)に行きました。今回は、ハンス・メムリンク作「音楽を奏でる天使とキリスト」を紹介します。
 ハンス・メムリンク(1435年頃~1494年)は初期フランドル派の画家で、ヤン・ファン・エイクやファン・デル・ウェイデンに続いて活躍しました。ハンス・メムリンクはドイツ フランクフルト近郊のゼーリゲンシュタットに生まれました。ブリュッセルのロヒール・ファン・デル・ウェイデンの工房で修業しました。ファン・デル・ウェイデンが1464年に亡くなったのを機にブルッヘ(ブルージュ)に移り、1465年にブルッヘ市民権を得たようです。その後ブルッヘで活躍して、多くの作品を制作しました。現存する作品の大部分が、宗教画です。
 「音楽を奏でる天使とキリスト」はスペインの小さな村ナヘラのサンタ・マリア・ラ・ レアル修道院のオルガンの装飾を目的として、1487年にブルッヘ滞在領事ペドロとアントニオ・デ・ナヘラにより委嘱されたと伝わります。絵の中にスペインのカスティーリャ・イ・レオンの紋章が描かれていて、この伝承は正しそうです。165cmx672cmという巨大な祭壇画です。この下に主パネル「聖母被昇天」のある多翼祭壇画だったと伝わるようですが、チョット疑わしいと思います。
 下に「聖母被昇天」があるとすると、「
音楽を奏でる天使とキリスト」の中央パネルの幅で縦が400~500cmとなります。合計で600~700cmとなります。巨大な祭壇画となります。多翼祭壇画の場合は、画家と弟子が修道院に住み込みで描くことになりますが、そのような記録はなさそうです。多翼祭壇画は畳める構造ですが、「音楽を奏でる天使とキリスト」は中央パネルが小さくて畳めません。これは一枚の絵で、スペインに運ぶ為分割して制作したと思われます。
 下に「聖母被昇天」があると、天上のキリストの下に黒い雲があって、聖母が天上に昇れません。色々な観点から多翼祭壇画ではなく、一枚の祭壇画と思います。
 サンタ・マリア・ラ・ レアル修道院の聖歌隊部屋がほぼ同時期に建造されたようです。写真を添付しましたが、奥にパイプオルガンが見えます。上の手すり奥に細長い壁があり、ここに飾れるような飾れないような・・・。ただ上の(聖母と聖人が描かれた)フレスコ画の下に天上とキリストでは、ミスマッチです。反対の壁に飾ろうとしたのでしょうか?どちらにしろ、天上のキリストは聖歌隊を見ているようです。「聖母被昇天」はこの下になかったと思います。
音楽を奏でる天使とキリスト
(ハンス・メムリンク、1483~94年作)
イメージ 8
同上の中央パネル
サンタ・マリア・ラ・ レアル修道院の聖歌隊部屋(1493~95年建造)

 2017年6月アントワープ王立美術館(アントワープ/ベルギー)に行きました。今回は、アントネロ・ダ・メッシーナ作「キリストの磔刑」を紹介します。
 アントネロ・ダ・メッシーナ(1430~1479年)はシチリアのメッシーナで大理石職人の息子に生まれました。ナポリで修業して、その際フランドルの画風を習得したようです。メッシーナで工房を構え仕事をしました。晩年1475年から1年ほど、ヴェネツィアで仕事をしました。
 「キリストの磔刑」は磔刑を描いた作品の間で、何か特別なものを感じます。非常に静かな画面で整っていますが、堅苦しさを感じません。非常に不思議に思い、アントネロ・ダ・メッシーナの作品を俯瞰してみました。そうすると大きな特徴があり、一つは肖像画はほぼすべて四分の三正面(左右両方あり)で、構成は左右対称の一部乱しです。左右対称の対称線を画面中央から少しずらしたり、一部アンバランスにしたりです。
 キリストの姿は左右対称で、首を少しだけ傾けています。その傾きを補正するため、右足を上にしてくぎ打たれています。これでキリストが向かって左に傾いて行ってしまいそうなのを止めています。左右の罪人は左右対称の配置ですが、真横から四分の三前後ろにずらして、バランスをとっています。左右の木も左右対称の様で、微妙にずらしています。足元の聖母マリアと福音記者聖ヨハネの配置も左右対称ながら、向いている方向をずらしています。奥の湖・湾も左右対称から、微妙にずらしています。全体を纏めて見ると左右対称で安定・安心な構図ですが、所々乱れているので窮屈さを感じさせません。この時代のフランドル絵画の技法をうまく取り入れています。同時代の有名画家よりも、よりフランドル風な画家です。フランドル地方を旅行したという説もあるようですが、地元のメッシーナとナポリに行ったという記録しか見つからないようです。
キリストの磔刑(アントネロ・ダ・メッシーナ、1475年作)

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