2017年6月アントワープ王立美術館(アントワープ/ベルギー)に行きました。今回は、フィンセント・ファン・ゴッホ作「ジャガイモを掘り出す農婦」を紹介します。
フィンセント・ファン・ゴッホ(1853~1890年)はオランダ南部の牧師の息子に生まれました。16歳から画商のグーピル商会に勤めましたが、23歳で解雇されました。書店で働いたりしたが、聖職者を目指すことにした。アムステルダムの神学部への受験勉強で挫折。25歳で見習い伝道活動中に画家を目指すことに方針転換。グーピル商会に勤めていた弟のテオの支援で絵を描いたが、やがてパリの弟のアパートに転がり込んだ。同居に弟のテオが愚痴るようになり、1888年に(35歳で)アルルに移った。画家のコロニーを作りたいとポール・ゴーギャンを招いたが上手く行かず、挫折した。 ゴッホは熱しやすく冷めやすいようで、何かに熱中して直ぐ挫折する事の繰り返しだったようです。最後に熱中した画家は弟の支援もあり、粘り強く継続したようです。ただこれも挫折して、精神的に参ってしまったようです。
フィンセント・ファン・ゴッホは独善的で社会に適応できず、1880年に画家になることを決心しました。1881~85年の間実家やオランダ農村部で、絵画の独学・実践を続けました。ジャン=フランソワ・ミレー(1814~1875年)やジュール・ブルトン(1827~1906年)の画風に共感していたようです。二人とも一世代以上年上で画風も異なり、農村・農夫を描いた事が共通しているだけです。ミレーの油彩肖像画を見ると、描きすぎで不気味・グロテスクです。「盛る事(美男美女に描く)」をしない、出来ない画家だったようです。パステル画も多く残しています。ミレーの代表作と言われる作品は皆パステル画風油彩画です。ジュール・ブルドンはフランス生まれですがオランダで絵画を学びました。こちらはアカデミー派並みの高いデッサン力を持っていたようです。グーピル紹介発行のシャルル・バルグ画集(デッサン教本)を弟のテオから薦められ、教本としていたようです。
「ジャガイモを掘り出す農婦」は、パリのテオのアパートに転がり込む少し前に描かれました。ミレーのパステル画的油彩画を、自分なりに理解・取り込んだ作品のように思われます。少し塗り絵的な描き方です。弟のテオからもっと明るい色調で描くようアドバイスを受けました。農村を描いた作品は、受け入れられませんでした。独学で農村を描くことに限界を覚えたのでしょう。花のパリに移る決心をしたようです。「ジャガイモを食べる人々」と同じくらいの薄暗さの絵です。これ以前よりは、多少明るく描かれています。暗いのはオランダの天候とミレーの影響なんでしょうか?
フィンセント・ファン・ゴッホ(1853~1890年)はオランダ南部の牧師の息子に生まれました。16歳から画商のグーピル商会に勤めましたが、23歳で解雇されました。書店で働いたりしたが、聖職者を目指すことにした。アムステルダムの神学部への受験勉強で挫折。25歳で見習い伝道活動中に画家を目指すことに方針転換。グーピル商会に勤めていた弟のテオの支援で絵を描いたが、やがてパリの弟のアパートに転がり込んだ。同居に弟のテオが愚痴るようになり、1888年に(35歳で)アルルに移った。画家のコロニーを作りたいとポール・ゴーギャンを招いたが上手く行かず、挫折した。 ゴッホは熱しやすく冷めやすいようで、何かに熱中して直ぐ挫折する事の繰り返しだったようです。最後に熱中した画家は弟の支援もあり、粘り強く継続したようです。ただこれも挫折して、精神的に参ってしまったようです。
フィンセント・ファン・ゴッホは独善的で社会に適応できず、1880年に画家になることを決心しました。1881~85年の間実家やオランダ農村部で、絵画の独学・実践を続けました。ジャン=フランソワ・ミレー(1814~1875年)やジュール・ブルトン(1827~1906年)の画風に共感していたようです。二人とも一世代以上年上で画風も異なり、農村・農夫を描いた事が共通しているだけです。ミレーの油彩肖像画を見ると、描きすぎで不気味・グロテスクです。「盛る事(美男美女に描く)」をしない、出来ない画家だったようです。パステル画も多く残しています。ミレーの代表作と言われる作品は皆パステル画風油彩画です。ジュール・ブルドンはフランス生まれですがオランダで絵画を学びました。こちらはアカデミー派並みの高いデッサン力を持っていたようです。グーピル紹介発行のシャルル・バルグ画集(デッサン教本)を弟のテオから薦められ、教本としていたようです。
「ジャガイモを掘り出す農婦」は、パリのテオのアパートに転がり込む少し前に描かれました。ミレーのパステル画的油彩画を、自分なりに理解・取り込んだ作品のように思われます。少し塗り絵的な描き方です。弟のテオからもっと明るい色調で描くようアドバイスを受けました。農村を描いた作品は、受け入れられませんでした。独学で農村を描くことに限界を覚えたのでしょう。花のパリに移る決心をしたようです。「ジャガイモを食べる人々」と同じくらいの薄暗さの絵です。これ以前よりは、多少明るく描かれています。暗いのはオランダの天候とミレーの影響なんでしょうか?
ジャガイモを掘り出す農婦(フィンセント・ファン・ゴッホ、1885年作)

ジャガイモを食べる人々(フィンセント・ファン・ゴッホ、1885年作)

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