2017年6月アントワープ王立美術館(アントワープ/ベルギー)に行きました。今回は、ピーテル・パウル・ルーベンス作「東方三博士の礼拝」を紹介します。
ピーテル・パウル・ルーベンス(1577~1640年)はドイツ西部で、アントウェルペン出身のプロテスタントの家に生まれました。父の死後家族とアントウェルペンに戻りました。13歳で伯爵未亡人の下へ小姓として出されました。伯爵未亡人がピーテルの芸術的素養を見込んで、アントウェルペンの聖ルカ組合に入会させました。その後三人の画家に師事しました。1600~1608年の間、イタリアとスペインで古典の模写などで学びました。その後アントウェルペンに戻り、工房(ルーベンスの家)を設け、数々の宗教画、肖像画を描きました。
ピーテル・パウル・ルーベンス作「東方三博士の礼拝」は、10作品ほど残っています。人気の高いテーマだったようです。本作品は1624年に聖ミカエル修道院から依頼されたとの記録が残っています。翌年に修道院創立500年記念を迎えるに当たって、主祭壇に飾る為に依頼されたようです。同修道院は、災害・火災で大幅な修繕が必要でした。同修道院はアントウェルペンの成立・存続に重要な役割を果たしていました。ピーテル・パウル・ルーベンスは一人で2週間かけて完成させたと伝わります。ルーベンス独特の輪郭線の描き方が、キリストやマリアの手などに見られます。その他は比較的抑え気味に描かれていますが、デッサンなど確かです。ルーベンスが全体を監督・指示したのは間違いないと思われます。絵の一部にヤーコブ・ヨルダーンスの画風を感じます。助手として制作に参加していたように感じます。
画面中央に三博士の一人カスパールを配置しています。インド出身で、金・会計係を暗示される人物です。キリストの(王としての)地位を象徴する人物です。聖ミカエル修道院の正統性を称賛しているのでしょうか?牛と最年長博士が、鑑賞者を見つめてきます。ルーベンスの他の作品ではあまり見かけないことです。何らかの意図があると思われます。「聖ミカエル修道院の苦境を救え」と催促しているのでしょうか。
「東方三博士の礼拝」10作品中、最初の作品(アントウェルペン市庁舎装飾目的で、現プラド美術館所蔵)ルーベンス初期の傑作です。本作品は、その次の出来栄えです。
ピーテル・パウル・ルーベンス(1577~1640年)はドイツ西部で、アントウェルペン出身のプロテスタントの家に生まれました。父の死後家族とアントウェルペンに戻りました。13歳で伯爵未亡人の下へ小姓として出されました。伯爵未亡人がピーテルの芸術的素養を見込んで、アントウェルペンの聖ルカ組合に入会させました。その後三人の画家に師事しました。1600~1608年の間、イタリアとスペインで古典の模写などで学びました。その後アントウェルペンに戻り、工房(ルーベンスの家)を設け、数々の宗教画、肖像画を描きました。
ピーテル・パウル・ルーベンス作「東方三博士の礼拝」は、10作品ほど残っています。人気の高いテーマだったようです。本作品は1624年に聖ミカエル修道院から依頼されたとの記録が残っています。翌年に修道院創立500年記念を迎えるに当たって、主祭壇に飾る為に依頼されたようです。同修道院は、災害・火災で大幅な修繕が必要でした。同修道院はアントウェルペンの成立・存続に重要な役割を果たしていました。ピーテル・パウル・ルーベンスは一人で2週間かけて完成させたと伝わります。ルーベンス独特の輪郭線の描き方が、キリストやマリアの手などに見られます。その他は比較的抑え気味に描かれていますが、デッサンなど確かです。ルーベンスが全体を監督・指示したのは間違いないと思われます。絵の一部にヤーコブ・ヨルダーンスの画風を感じます。助手として制作に参加していたように感じます。
画面中央に三博士の一人カスパールを配置しています。インド出身で、金・会計係を暗示される人物です。キリストの(王としての)地位を象徴する人物です。聖ミカエル修道院の正統性を称賛しているのでしょうか?牛と最年長博士が、鑑賞者を見つめてきます。ルーベンスの他の作品ではあまり見かけないことです。何らかの意図があると思われます。「聖ミカエル修道院の苦境を救え」と催促しているのでしょうか。
「東方三博士の礼拝」10作品中、最初の作品(アントウェルペン市庁舎装飾目的で、現プラド美術館所蔵)ルーベンス初期の傑作です。本作品は、その次の出来栄えです。
東方三博士の礼拝(ピーテル・パウル・ルーベンス、1625年作)

東方三博士の礼拝
(ピーテル・パウル・ルーベンス、1609年作、プラド美術館蔵)

(ピーテル・パウル・ルーベンス、1609年作、プラド美術館蔵)
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