2017年6月アントワープ王立美術館(アントワープ/ベルギー)に行きました。今回は、ヤン・ファン・エイク作「泉の聖母」を紹介します。
 ヤン・ファン・エイク(1390年頃~1441年)は初期フランドル画家です。兄を引き継いで描いた「ヘントの祭壇画(神秘の羊)」で有名な巨匠です。テンペラ画がまだ主流だった時代に、油絵の技術を確立しました。名前から考えて、マースエイクで生まれ育ったと推定されています。どのように修業したかは分かっていません。兄弟姉妹も画家になっています。兄のフーベルト・ファン・エイクも宗教画を早くから描いています。聖ルカ組合に名前が見られないので、修道士画家だったと推定する研究者もいます。ヤン・ファン・エイクも初期に挿絵を描いていて、トリノ=ミラノ時祷書の一部がヤン・ファン・エイク作だという研究者もいます。1422~24年の間、バイエルン公ヨハン3世の宮廷画家としての記録が残っています。1425年からブルゴーニュ公フィリップ3世の宮廷画家になりました。当初リールに工房を構えましたが、1年後にブルッヘ(ブルージュ)に移住して工房を構えました。フィリップ3世の外交官としての仕事も続けました。ヤンは読み書きもでき、きちっとした教育を受けたようです。
 「泉の聖母」は19cmx12cmの小さな作品で、油彩としては超細密描写です。ラファエロ作「三美神」よりも小さくて細密です。額縁には、「我に能う限り、ヤン・ファン・エイクたる我がこの作品を1439年に完成させし」と記されています。オリジナルの額縁と考えられています。
 恐らくこの作品用に細描き筆も自作したと思われます。50歳前後の画家が自分の技量を極める・確認するために細密描写の極限に挑戦したと思います。
 ヤン・ファン・エイク最晩年の作品がもう一つあり、「教会の聖母子」という作品です。こちらも31cmx14cmの超細密画です。こちらは小さな画面に教会の空間性がどこまで描けるか挑戦した感じです。こちらは左右のパネルの一方で、反対側に寄進者とその守護聖人が描かれていたと推定されています。後の世に複数の模写が描かれましたが、それぞれの反対パネル絵柄が違います。オリジナルでどのようなパネルが描かれたかは不明です。「泉の聖母」は超細密描写の初作品で結構行けるとなり、誰かからの依頼・委嘱を受けて「教会の聖母子」を描いたと思われます。
 どちらの作品も教会で公開したとは考えにくく、自宅・自宅の礼拝堂に飾ったと思われます。
泉の聖母(ヤン・ファン・エイク、1439年作)
教会の聖母子(ヤン・ファン・エイク、1438~40年作、ベルリン絵画館蔵)