2017年6月アントワープ王立美術館(アントワープ/ベルギー)に行きました。今回は、ロヒール・ファン・デル・ウェイデン作「七つの奇蹟の祭壇画」を紹介します。
ロヒール・ファン・デル・ウェイデン(1399~1464年)は、ネーデルランドのトゥルネー(現在のベルギー国内)で刃物職人の息子として生まれました。1426に結婚して、二人の子供に恵まれました。1427~32年の間ロベルト・カンピンの下で修業したという説がありますが、違うという説もあります。1432年頃トゥルネーの芸術家ギルド聖ルカ組合にマイスターとして登録されました。独り立ちしたようです。1435年にブリュッセルに移住し、翌年ブリュッセルの公式画家に認定されたようです。代表作の「十字架降架」が1435年に描かれて、それ以前の絵は残っていません。1435年(35歳)で画力・技量は完成の域となっています。修行中の絵は残っていません。
「七つの奇蹟の祭壇画」は各パネル上部に、二つの盾形紋章が描かれています。司教ジャン・シュヴロと都市トゥルネーの紋章とみられています。ジャン・シュヴロはスイス国境が近いフランス東部ポルニー終身の多才な人物で、宰相ニコラス・ロランとも親交がありました。1460年に教皇により、トゥルネーとトゥールの司教に任命されました。私の眼では本作品は1445年よりももっと後の制作のように見えます。1460年の司教就任を記念して、委嘱された作品だと思います。
中央パネルには、磔刑と聖体の奇蹟が描かれています。左パネルには、洗礼・堅信・ゆるしの奇蹟が描かれています。委嘱者の司教ジャン・シュヴロも描かれています。右パネルには、叙階・婚姻・病者の塗油の奇蹟が描かれています。ウェイデンとその工房の作とみられています。
トゥルネーの司教になる前に司教の姿で描くとは考えにくく、1460年以降の作と思います。
ロヒール・ファン・デル・ウェイデン(1399~1464年)は、ネーデルランドのトゥルネー(現在のベルギー国内)で刃物職人の息子として生まれました。1426に結婚して、二人の子供に恵まれました。1427~32年の間ロベルト・カンピンの下で修業したという説がありますが、違うという説もあります。1432年頃トゥルネーの芸術家ギルド聖ルカ組合にマイスターとして登録されました。独り立ちしたようです。1435年にブリュッセルに移住し、翌年ブリュッセルの公式画家に認定されたようです。代表作の「十字架降架」が1435年に描かれて、それ以前の絵は残っていません。1435年(35歳)で画力・技量は完成の域となっています。修行中の絵は残っていません。
「七つの奇蹟の祭壇画」は各パネル上部に、二つの盾形紋章が描かれています。司教ジャン・シュヴロと都市トゥルネーの紋章とみられています。ジャン・シュヴロはスイス国境が近いフランス東部ポルニー終身の多才な人物で、宰相ニコラス・ロランとも親交がありました。1460年に教皇により、トゥルネーとトゥールの司教に任命されました。私の眼では本作品は1445年よりももっと後の制作のように見えます。1460年の司教就任を記念して、委嘱された作品だと思います。
中央パネルには、磔刑と聖体の奇蹟が描かれています。左パネルには、洗礼・堅信・ゆるしの奇蹟が描かれています。委嘱者の司教ジャン・シュヴロも描かれています。右パネルには、叙階・婚姻・病者の塗油の奇蹟が描かれています。ウェイデンとその工房の作とみられています。
トゥルネーの司教になる前に司教の姿で描くとは考えにくく、1460年以降の作と思います。
七つの奇蹟の祭壇画
(ロヒール・ファン・デル・ウェイデン、1440~45年作)
(ロヒール・ファン・デル・ウェイデン、1440~45年作)
キリストの嘆き部分/司教ジャン・シェヴロの肖像
(ロヒール・ファン・デル・ウェイデン作、マウリッツハイス美術館蔵)
(ロヒール・ファン・デル・ウェイデン作、マウリッツハイス美術館蔵)

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