2017年6月にグルーニング美術館(ブルージュ)を訪問しました。今回は、ヘラルト・ダフィット作「キリストの洗礼の三連祭壇画」を紹介します。
ヘラルト・ダヴィト(1460年頃~1523年)はオランダ ユトレヒト近郊で生まれました。1483年にブルッヘ(ブルージュ)に移住して、翌年聖ルカ組合に加入しました。1496年に金細工師組合長老格の娘と結婚しました。1501年には聖ルカ組合の長老格となりました。ハンス・メムリンクが亡くなったのちは、ブルッヘ画家でもっとも有名な画家でした。修業の経歴は伝わっていませんが、初期の画風からハールレムで修業したと考えられています。
「キリストの洗礼の三連祭壇画」は当初、ブルッヘのシント・バシリウス聖堂に飾られていたようです。寄進者はヤン・デ・トロンパスとの別記録があり、守護聖人との一致性が見られるので間違いないと考えられます。中央パネルの中央に洗礼されるキリストが描かれ、頭上には天上の神と使者の白い鳩が描かれています。右には洗礼者ヨハネが、左側は福音書記聖ヨハネが描かれています。左パネルには、寄進者のヤン・デ・トロンパスと幼い息子と守護聖人の福音書記聖ヨハネが描かれています。名前のヤンは、ヨハネの短縮系あだ名です。右パネルは寄進者妻のエリザベト・ファン・デル・メールシュと娘たちと守護聖人の聖エリザベトが描かれています。三連祭壇画を閉じると左側に聖母子が、右側に後妻のマグダレーネ・ルーラント・コルディエールと守護聖人のマグダラのマリアが描かれています。
寄進者は幼い息子(後継者)の無事な成長・成人とトロンパス家の発展と継承を記念して、本作品を依頼したと思われます。依頼主も画家も後妻のことにまで配慮して、本作品を描いたようです。立派な作品ですが、労作でもあります。
ヘラルト・ダヴィト(1460年頃~1523年)はオランダ ユトレヒト近郊で生まれました。1483年にブルッヘ(ブルージュ)に移住して、翌年聖ルカ組合に加入しました。1496年に金細工師組合長老格の娘と結婚しました。1501年には聖ルカ組合の長老格となりました。ハンス・メムリンクが亡くなったのちは、ブルッヘ画家でもっとも有名な画家でした。修業の経歴は伝わっていませんが、初期の画風からハールレムで修業したと考えられています。
「キリストの洗礼の三連祭壇画」は当初、ブルッヘのシント・バシリウス聖堂に飾られていたようです。寄進者はヤン・デ・トロンパスとの別記録があり、守護聖人との一致性が見られるので間違いないと考えられます。中央パネルの中央に洗礼されるキリストが描かれ、頭上には天上の神と使者の白い鳩が描かれています。右には洗礼者ヨハネが、左側は福音書記聖ヨハネが描かれています。左パネルには、寄進者のヤン・デ・トロンパスと幼い息子と守護聖人の福音書記聖ヨハネが描かれています。名前のヤンは、ヨハネの短縮系あだ名です。右パネルは寄進者妻のエリザベト・ファン・デル・メールシュと娘たちと守護聖人の聖エリザベトが描かれています。三連祭壇画を閉じると左側に聖母子が、右側に後妻のマグダレーネ・ルーラント・コルディエールと守護聖人のマグダラのマリアが描かれています。
寄進者は幼い息子(後継者)の無事な成長・成人とトロンパス家の発展と継承を記念して、本作品を依頼したと思われます。依頼主も画家も後妻のことにまで配慮して、本作品を描いたようです。立派な作品ですが、労作でもあります。
キリストの洗礼の三連祭壇画(ヘラルト・ダフィット、1502年作)


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