2015年4月にボルゲーゼ美術館(ローマ)を訪問しました。今回は、伝カラヴァッジョ作「ゴリアテの首を持つダヴィデ」を紹介します。
 ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(1571~1610年)はミラノで、三人兄弟の長男として生まれました。父親は、イタリア北部ベルガモのカラヴァッジョ侯爵家の邸宅管理と室内装飾を担当していました。1576年に(5歳で)一家でペストを避けて、ミラノからカラヴァッジョ村に移り住みました。翌年に父親が、1584年に母親が亡くなりました。1584年に(13歳で)ティツアーノの弟子だったシモーネ・ペテルツァーノに弟子入りして、4年間修業しました。1592年に(21歳で)恐らく喧嘩で役人を負傷させ、ミラノを飛び出しました。ローマに移り、ジュゼッペ・チェーザリの助手を務めました。静物画や人物画の注文が入るようになりました。1594年に(23歳で)病気でチェーザリの工房を解雇され、独り立ちしました。1595年から宗教画の注文を受けるようになりました。コンタレッリ礼拝堂の室内装飾を受注し、「聖マタイの殉教」と「聖マタイの召命」が大評判となりました。暴力的表現の宗教画の注文が増えました。
 1606年に(35歳で)一人の若者を殺害して殺人犯となり、ローマからナポリへ逃亡しました。更にマルタ騎士団を頼ってマルタに移りました。いざこざで1608年に(37歳で)マルタで投獄された上、脱獄しました。シチリアの首都パレルモに逃れましたが、やがてナポリに戻りました。
 ダヴィデとゴリアテをテーマにした絵を、カラヴァッジョは複数描いています。夫々には10枚以上の複製画があるようです。「ゴリアテの首を持つダヴィデ」も複数の模写があるので、カラヴァッジョが描いた作品があったと思われます。
 ウィーン美術史博物館所蔵の「ゴリアテの首を持つダヴィデ」は、画風・コントラスト・迫力から見てカラヴァッジョの真作で間違いないように思えます。プラド美術館所蔵の「ダヴィデとゴリアテ」も判断が微妙ですが、修復前の画像を見るとカラヴァッジョの真作と思えます。修復(クリーニング)で表面の(古い修復の)絵の具を一部洗い流したようです。どうもカラヴァッジョの絵の具も一部洗い流してしまったように感じます。これら2点の作品にはカラヴァッジョ作品共通の「一瞬を切り取った」劇的さ・迫力を感じます。
 本「ゴリアテの首を持つダヴィデ」には、真作に共通するカラヴァッジョ画風が見られません。
① 真作と思われる2作品のダヴィデと比べて、この作品のダヴィデはチャント描けていません。顔の容貌が変、右腕の肩との繫がりが変、左手の描き方が変(シッカリ首の髪を握っていない)、ダヴィデの衣服もチャント描けていない。
② ゴリアテの顔・容姿も変。ウフィツィ美術館所蔵「メドゥーサの首」を参考に描いたように思える。
③ 明暗・コントラストも描けていない。絵の具の発色も悪い。カラヴァッジョの肌の色が再現できていない。
④ カラヴァッジョ真作共通の「一瞬を切り取った・劇場型」が感じられない。
⑤ ダヴィデの頭上の空間が広く空いて、カラヴァッジョらしくない。カラヴァッジョは上の空間が狭い絵が多く、空けているときはそれに意味がある。上が空いている絵は、天上への方向性(天使・神)や安らぎを意識させる場面です。この画題は迫力が必要で、頭上に空間をとらない筈。
 真作と自信を持って言えないので、「伝カラヴァッジョ作」と記しました。
ゴリアテの首を持つダヴィデ(伝カラヴァッジョ、1609~10年作)
ゴリアテの首を持つダヴィデ カラヴァッジョ作
メドゥーサの首(カラヴァッジョ作、1597~98年作、ウフィツイ美術館蔵)

ダヴィデとゴリアテ(カラヴァッジョ、1598~99年作、プラド美術館蔵)

同上の修復前(カラヴァッジョ、1598~99年作、プラド美術館蔵)

ゴリアテの首を持つダヴィデ(カラヴァッジョ、1600~01年作、ウィーン美術史博物館蔵)