2013年3月にパラティーナ美術館(ピッティ宮殿内/フィレンツ)を訪問しました。今回は、アーニョロ・ブロンズィーノ作「コジモ1世の肖像」を紹介します。
アーニョロ・ブロンズィーノ(1503~1572年)は、フィレンツェ近郊の貧しい肉屋の息子として生まれました。最初にラファエリーノ・デル・カルボに弟子入りしました。1515年頃にポントルモの工房で働き始めました。このポントルモは、ピエロ・ディ・コジモの孫弟子に当たります。ブロンズィーノの本名はアーニョロ・ディ・コジモで、髪の毛がブロンズ色だったことからの通称と思われています。
1523年頃から師匠のポントルモとともに、修道院回廊・教会礼拝堂の装飾を請け負っていたようです。1531年にデッラ・ローヴェレ家に招請され、ペーザロに移住しました。1539年に師匠のポントルモの要請で、フィレンツェに戻りました。その後、メディチ家の宮廷画家になったようです。1557年に師匠のポントルモが亡くなると、サン・ロレンツォ教会の装飾を引き継いで完成させました。1572年にブロンズィーノは亡くなりました。師匠のポントルモの最後まで従い、尽くしたようです。
「コジモ1世の肖像」はブロンズィーノがメディチ家の宮廷画家だった1545年に描かれました。ローマ教皇の勢力をフィレンツェから追い出すために共闘したスペイン軍を、コジモ1世は外交・金銭で追い出しました。フィレンツェ完全独立を達成した後に、本作品は描かれました。コジモ1世が鎧を着て、自信満々の顔で描かれています。
「コジモ1世の肖像」はブロンズィーノがメディチ家の宮廷画家だった1545年に描かれました。ローマ教皇の勢力をフィレンツェから追い出すために共闘したスペイン軍を、コジモ1世は外交・金銭で追い出しました。フィレンツェ完全独立を達成した後に、本作品は描かれました。コジモ1世が鎧を着て、自信満々の顔で描かれています。

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