世界美術館巡り旅

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2025年11月

 イタリア ミラノにあるピナコテカ・アンブロジアーナ(アンブロジアーナ絵画館)を紹介します。図書館と美術館が併設されています。レオナルド・ダ・ヴィンチのメモが多数所蔵されているそうです。ダ・ヴィンチはある期間ミラノに呼ばれて軍事顧問等をやったとの記録があります。その際のメモが残ったのでしょうか?
アンブロジアーナ図書館前景(公式HPから)
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ピナコテカ・アンブロジアーナ前景(公式HPから)
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アテナイの学堂の下絵(ラファエロ・サンティ作)
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パディリオーネの聖母(サンドロ・ボッテチェリ、1493年作)
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果物籠
(ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ、1599年作)
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マグダラのマリア(ティッツアーノ・ヴェスプッチ作)
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音楽家の肖像
(伝レオナルド・ダ・ヴィンチ、1483~87年作)
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若い女性の肖像
(アンブロジオ・デ・プレディス、1490年頃作)
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洗礼者聖ヨハネ
(サライことジャン・ジャコモ・カプロッティ、1520年頃作)
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幼児礼拝(ブラマンティーノ、1485年頃作)

聖家族と聖アンナ、洗礼者ヨハネ
(ベルナルディーノ・ルイーニ、1530年頃作)
図書館に絵も所蔵・展示しているという状況でしょうか?

 2017年6月アントワープ王立美術館(アントワープ/ベルギー)に行きました。
 ヤーコブ・ヨルダーンス(1593~1678年)はアルトウエルペン派の画家で、ルーベンスが亡くなった後の第一人者の画家でした。ルーベンスの画風に良く似ていますが、画中女性の容貌が少し違います。女性の容貌を詳しく観察すると、ルーベンス作品とヨルダーンス作品が識別できます。
 ヤーコブ・ヨルダーンスは1593年アントウエルペンの麻織物商人の子として生まれました。アントウエルペンで当時高名な画家のアダム・ファン・ノールトに8年間師事しました。ルーベンスと兄弟弟子に当たる筈ですが、ルーベンスは1年しかいなかったようです。年齢差から、弟子の期間が重なっていなかったと思われます。1616年に(23歳で)、画家ギルトの聖ルカ組合に登録されました。師匠の娘と結婚して、1939年に隣家を買い取って工房を拡張しました。イタリアに行かず、作品のみを研究したようです。ヨルダーンスは弟子が多く、少なくとも21名は公式に弟子をとったようです。ルーベンスの影響を受け、ルーベンスの下絵を引き伸ばす仕事も請け負ったようです。
 ヤーコプ・ヨルダーンスの作品は、1620年前と後で大きく画風が変わります。1620年以前の作品では、人間の骨格が感じられません。アダム・ファン・ノールトの工房では旧作品の模写などで訓練されたと思われます。人体・骨格の研究やデッサンの勉強をしていなかったと思われます。独り立ちしてルーベンスの工房に出入りしました。その際人体・骨格の研究やデッサンの勉強をしたと思われます。1620年以降画風が変わり、人体の骨格を感じられるようになりました。ルーベンスの筆頭弟子のアンソニー・ファン・ダイクと似た画風です。一緒にデッサンを勉強したのでしょう。
 ヤーコブ・ヨルダーンスは「
親に倣って子も歌う」という諺に因んだ作品を、何枚か描いています。本作品の「大人が歌えば子供笛吹く」は最も早い時期の作品と言われます。モデルの容姿がその他作品よりも気品があり、ルーベンスの画風を思わせます。ルーベンスは1635年頃から痛風が酷くなり、ステーン城に住まうようになりました。工房のルーベンスの家に居る時間も限られたと思われます。本作品はルーベンスが下絵を描き、ヤーコプ・ヨルダーンスが完成させたと推定します。少し遅れて描いた「親に倣って子も歌う」の登場人物は非常に庶民的で、ヨルダーンスらしさが全面に出ています。読者の皆様も見比べてみてください。
大人が歌えば子供笛吹く(ヤーコブ・ヨルダーンス、1638年作)
親に倣って子も歌う
(ヤーコブ・ヨルダーンス、1638~40年作、ヴァランシェンヌ美術館蔵)

 所蔵作品紹介を強化して再投稿します。余りにも名品が多く、今回はイタリア・ルネッサンス、北方ルネッサンスの作品を紹介します。
 2014年7月にウィーン美術史博物館(ウィーン)を訪問しました。ベラスケスやブリュ-ゲルのコレクションが特に有名ですが、名画・傑作を多数所蔵展示しています。
ウィーン美術史博物館の玄関と噴水
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 訪問時は(後方の)建物が改修中で、公園を挟んだ向かい側の建物で仮設展示がされていました。仮設展示でも名品・傑作が沢山ありました。公式HPのコレクション紹介写真を見ると、更に多くの名品・傑作が所蔵されているようです。とても一度で投稿できないので、今回ルネッサンス期以前の画家の所蔵作品を紹介します。
キリストの磔刑(ウェイデン作)
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キリストの磔刑(ヒエロニムス・ボス作)
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茨の聖母(メムリンク作)
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聖母子(アントネッロ・ダ・メッシーナ作)
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化粧する若い女(ジョヴァンニ・ベッリーニ作)
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若い女性の肖像(ジョルジョーネ作)
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KARDINAL NICCOLO ALBERGATIの肖像(ヤン・ファン・エイク作)
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キリストの包衣(フーゴ・ファン・デル・グース作)
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ヴェネツィアの若い女性の肖像(アルブレヒト・デューラー作)
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梨の聖母子(アルブレヒト・デューラー作)
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キリストの復活(アルトドルファー作)
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高原の聖母(ラファエロ作)
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サン・セバスチャン(マンテーニャ作)
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ヴィオランテ(ティッツァーノ作)
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マース、ヴィーナスとアモール(ティッツァーノ作)
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キリストの磔刑(ルーカス・クラナハ作)
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ユデイト(ルーカス・クラナハ作)
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Jane Seymourの肖像(ハンス・ホルバイン作)
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農家の婚礼(ピーテル・ブリューゲル作)
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雪中の狩人(ピーテル・ブリューゲル作)
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子供の遊戯(ピーテル・ブリューゲル作)
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バベルの塔(ピーテル・ブリューゲル作)
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ブリューゲルの絵が多数あり、一部屋に入りきらない程でした。

 ミラノ訪問時には不勉強で、このポルディ・ペッツォーリ美術館(ミラノ)の存在を知りませんでした。個人の邸宅と収集絵画・彫刻を基にした美術館のようです。調べるとミラノの貴族で美術収集家だったポルディ・ペッツォーリの私邸とコレクションが1879年にミラノ市に遺贈されたのが起源の美術館のようです。公式HPで入手した写真を紹介します。
ポルディ・ペッツォーリ美術館前景(Wikipediaから)
_Palazzo_Poldi_Pezzoli
若い女性の肖像
(ピエロ・デル・ポッライオーロ、1462~64年作)
少女の肖像Piero_Pollaiuolo_
このポッライオーロは、フィレンツのルネッサンス創成期の画家です。15世紀後半に描かれたことを考えると、名品です。
ピエタ(フィリッポ・リッピ、1437~38年作)

キリストの血を受ける聖フランチェスコ
(カルロ・クリヴェッリ、1490~95年作)
『キリストの血を受ける聖フランチェスコ』、カルロ・クリヴェッリ
書物の聖母
(サンドロ・ボッティチェリ、1480~81年作)

キリストの哀悼
(サンドロ・ボッティチェリ、1490~95年作)
キリストの包衣と聖人たち ボッティチェリ作
ピエタ(ジョヴァンニ・ベッリーニ、1460年作)
ジョヴァンニ・ベッリーニ作Imago Pietatisピエタの面影
聖二コラ・ダ・トレンティーノ
(ピエロ・デッラ・フランチェスカ、1454~69年作)

聖母子(アンドレア・マンテーニャ、1490年作)
聖母子 アンドレア・マンテーニャ作
ミノタウルスを殺すテセウス(チーマ・ダ・コネリアーノ、1505年頃作)

マルティン・ルターの肖像(ルーカス・クラナハ、1529年作)
マルティン・ルターの肖像 クラナハ
ボーラのカトリナの肖像(ルーカス・クラナハ作)
ボーラのカトリナの肖像  クラナハ
バラの聖母
(ジョヴァンニ・アントニオ・ボルトラッフィオ、1495年作)
バラの聖母 ジョヴァンニ・アントニオ・ボルトラッフィオ
 このボルトラッフィオはレオナルド・ダ・ヴィンチといくつかの作品で共作をしています。
聖女カタリナの神秘の結婚(ベルナーディ・ルイーニ、1520年頃作)

イエズス会宣教師の肖像(ホセ・デ・リベーラ、1638年作)
イエズス会宣教師の肖像 リベラ作
友人たちの肖像と自画像
(フランシスコ・アイエツ、1824~27年作)
友人たちの間の自画像 フランシスコ・アイエツ
 大作は少なそうですが、名品・傑作を多く所蔵・展示しているようです。チャンスがあったら、行ってみたい美術館です。

 2017年6月アントワープ王立美術館(アントワープ/ベルギー)に行きました。今回は、ヤーコブ・ヨルダーンス作「羊飼いの礼拝」を紹介します。
 ヤーコブ・ヨルダーンス(1593~1678年)はアルトウエルペン派の画家で、ルーベンスが亡くなった後の第一人者の画家でした。ルーベンスの画風に良く似ていますが、画中女性の容貌が少し違います。女性の容貌を詳しく観察すると、ルーベンス作品とヨルダーンス作品が識別できます。
 ヤーコブ・ヨルダーンスは1593年アントウエルペンの麻織物商人の子として生まれました。アントウエルペンで当時高名な画家のアダム・ファン・ノールトに8年間師事しました。ルーベンスと兄弟弟子に当たる筈ですが、ルーベンスは1年しかいなかったようです。年齢差から、弟子の期間が重なっていなかったと思われます。1616年に(23歳で)、画家ギルトの聖ルカ組合に登録されました。師匠の娘と結婚して、1939年に隣家を買い取って工房を拡張しました。イタリアに行かず、作品のみを研究したようです。ヨルダーンスは弟子が多く、少なくとも21名は公式に弟子をとったようです。ルーベンスの影響を受け、ルーベンスの下絵を引き伸ばす仕事も請け負ったようです。
 ヤーコプ・ヨルダーンスの作品は、1620年前と後で大きく画風が変わります。1620年以前の作品では、人間の骨格が感じられません。アダム・ファン・ノールトの工房では旧作品の模写などで訓練されたと思われます。人体・骨格の研究やデッサンの勉強をしていなかったと思われます。独り立ちしてルーベンスの工房に出入りしました。その際人体・骨格の研究やデッサンの勉強をしたと思われます。1620年以降画風が変わり、人体の骨格を感じられるようになりました。ルーベンスの筆頭弟子のアンソニー・ファン・ダイクと似た画風です。一緒にデッサンを勉強したのでしょう。
 ヤーコブ・ヨルダーンスは聖ルカ組合登録時期(1616年)から1618年にかけて、「羊飼いの礼拝」を数作品描いています。1609年のルーベンス作品に触発されたと思われます。ルーベンス工房でデッサンを重ね、自分の画風を確立しようと努めたのでしょう。1616年時点では人体の骨格が感じられず、1618年の作品では骨格を感じます。この時点で開眼したのでしょう。
 本作品はちょうど過渡期です。骨格をたどるとチョット不自然な個所が見られます。明暗の対比が強調して描かれています。イエス・キリストが最後の晩餐で聖ペテロに「明日朝鶏が二度鳴くまでに、イエスを知らないと三度言うだろう。」と予言した事を暗示するために、鶏が二羽描かれています。聖ペテロに因んだ教会・修道院に飾る目的で委嘱されたのでしょうか?
羊飼いの礼拝(ヤーコブ・ヨルダーンス、1616~17年作)

羊飼いの礼拝
(ピーテル・パウル・ルーベンス、1609年作、聖パウロ教会蔵)

羊飼いの礼拝
(ヤーコブ・ヨルダーンス、1616年作、メトロポリタン美術館蔵)

羊飼いの礼拝
(ヤーコブ・ヨルダーンス、1618年作、マウリッツ・ハイス美術館蔵)

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