世界美術館巡り旅

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2025年08月

 2017年6月にベルギー王立美術館(ブリュッセル)に行きました。今回は、ルネ・マグリット作「楕円」を紹介します。
 ルネ・マグリット(1898~1967年)はベルギー西部レシーヌで生まれ、14歳の時に母が理由不明の入水自殺をし、1916年に(18歳で)ブリュッセル美術学校に入学しました。シュールレアリスム画家に分類されています。シュールレアリスムは元来は、既成概念・道徳などに囚われずに自由に思いつくままに記述する・描写するということです。これが進んで既成概念・道徳に反する芸術も含まれたようです。
 ルネ・マグリットは1922年に幼馴染のジョルジェット・ベリジェと結婚しました。1923年にジョルジョ・デ・キリコ作「愛の歌」の複製を見て、大変感銘を受けたようです。この後、シュールレアリスムに傾倒していったようです。ルネ・マグリットは1927年にベルギー ブリュッセルで本人初めての個展を開催しましたが、不評でした。それを機に3年ほどパリに滞在して、新進画家・シュールレアリスム画家と交流を深めたようです。シュールレアリスムの理論指導者だったアンドレ・ブルトンと馬が合わず、1930年にブリュッセルに戻りました。3LDKのアパートに夫婦と犬で住み、小市民的生活に徹しました。
 シュールレアリスムのリーダー格のアンドレ・ブルトンは大学の精神医学科で、フロイト哲学も学びました。学業途中で第一次世界大戦勃発され、従軍しました。退役後、ダダイズムの人々と交流しました。やがてそれには飽き足らず、シュールレアリスム運動を始めました。宣言を見て見ると、理性・現実・正義などから完全決別して芸術・創作活動する事を目指していたようです。結局、キリコやマグリットは着いていけなかったようです。二人とも彼らから距離をとりました。二人ともシュールレアリスムに近いが、現実にあるかもしれない世界を描きました。評論家は、形而上学的絵画と名付けました。
 第二次世界大戦も終わり、世の中も落ち着いてきました。ルネ・マグリットは独自の画風を確立したいと焦っていました。1950年以降は独自の世界を描くようになりましたが、その直前の苦しい時期でした。シュールレアリスム運動が商業的で、ツマラナイと結論付けたようです。自分の中に残ったシュールレアリスムと傲慢なパリ芸術界の影響・遺産を取り除きたいと焦っていたようです。
 原語の画題は「L'ellipse」で、直訳すると「楕円」です。古代ギリシャ語の不足・欠損が語源です。円というには不足な形という意味でしょうか。絵の構成を見てみます。この男は眼の付いた帽子を被り、シュールレアリスムから抜け切れていないことを示しています。右手には左手が描かれ、その上に右手が重なっています。ちぐはぐです。肌の色は緑で、ブリュッセル・自宅に根を張ったようです。両目はまん丸で、鼻は銃口です。まだシュールレアリスムとパリ芸術から脱却できていないとの自画像なんでしょうか?
楕円(ルネ・マグリット、1948年作)
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 2015年4月にケンウッド・ハウス(ロンドン)を訪問しました。三十余の作品しか現存しないと言われるフェルメールの作品があるとの事で、足をのばしました。近郊電車の駅から林の中を30分くらい歩いて、やっと到着しました。きれいな庭園もあり、地元の人々がゆったりと日差しを楽しんでいました。
ケンウッド・ハウス前景(Wikipediaから)
1200px-Kenwood_House_front_with_extensions_2005
ケンウッド・ハウス玄関前で記念撮影
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ギターを弾く女(ヨハネス・フェルメール、1672年作)
ギターを弾く女 フェルメール
フェルメールの絵の前で
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二つの円のある自画像(レンブラント・ファン・レイン、1669年作)
747px-Rembrandt_van_rijn-self_portrait
ピーター・ファン・デン・ブロッケの肖像
(フランス・ハルス、1633年作)
ピーター・ファン・デン・ブロッケの肖像 フランス・ハルス
ヘンリッタ王女の肖像(アンソニー・ファン・ダイク、1630年代作)
Princess Henrietta of Lorraine  Anthony-van-dyck[1]
チャールズ1世の子供たち
(アンソニー・ファン・ダイク、1630年代作)
チャールズ1世の子供たち アンソニー・ファン・ダイク
ドルトレヒトの眺望(アルベルト・カイプ、1655年作)
View of Dordrecht  Aelbert Cuyp
花摘み(フランシス・ブーシェ、18世紀中頃作)
花摘み ブーシェ
作物の交換(フランシス・ブーシェ、18世紀中頃作)
作物の交換 ブーシェ
ペデスタルに寄り掛かる少女
(ジョシュア・レイノルズ、18世紀後半作)
Joshua Reynolds   Pedestalに寄り掛かる少女
少女の肖像
(フリードリッヒ・フォン・アマーリング、19世紀前半作)
少女の肖像 アメリング
ミス・マレー(トマス・ローレンス、1830年代作)
ミス・マレー
こじんまりとしたコレクションで、林での散策と庭園での日向ぼっこも含めて納得という感じです。このような処で休日をゆったりと過ごせるロンドンの生活にあこがれました。

 2017年6月にへント美術館(へント/ベルギー)を訪問しました。今回は、マールテン・ファン・ヘームスケルク作「悲しみの男」を紹介します。
 
マールテン・ファン・ヘームスケルク(1498~1574年)はオランダ西部ヘームスケルクで、地主の息子に生まれました。ハールレムかデルフトで修行しました。1527年からハールレムのヤン・ファン・スコーレルの工房で働きました。ヤン・ファン・スコーレルは教皇に招かれてローマで働いて、帰国していました。1532年に枢機卿への推薦状を持たされ、ローマへ向かいました。5年程ローマで働いて帰国、ハールレムのサン・ルカ組合に入会しました。油絵とともに、多くの版画原画を描きました。
 「悲しみの男」は制作年以外、制作経緯が分かっていません。キリストが磔刑から降ろされたことは、右胸の傷などで分かります。キリストは死んでいないか、既に復活しています。日本ではあまり知られていませんが、優れた画力の画家だったようです。
悲しみの男(マールテン・ファン・ヘームスケルク、1532年作)


 2015年4月にハンタリア美術館(グラスゴー)を訪問しました。グラスゴー大学付属美術館の位置づけで、グラスゴー大学敷地内にありました。
ハンタリアン美術館全景
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ハンタリアン美術館玄関
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 世界最大のホィッスラー作品収集を誇っているそうです。他に、レンブラント、シャルダン、コローの作品も展示されていました。写真撮影禁止で、作品の写真はありません。公式ホームページからいくつかの写真を紹介します。
展示室の様子
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巻き毛の顎髭を生やした老人
(ピーテル・パウル・ルーベンス、1609~10年作)

キリストの埋葬(レンブラント・ファン・レイン作)

エッケ・ホモ(レンブラント・ファン・レイン作)

善き羊飼いとしての幼児キリスト
(バルトロメ・エスティバン・ムリーリョ、1665年作)

お茶を淹れる婦人
(ジャン・シメオン・シャルダン、1735年作)
お茶を入れる婦人 シャルダン
家政婦(ジャン・シメオン・シャルダン作)
ワイン蔵小僧(ジャン・シメオン・シャルダン、1738年作)
1736-38 ワイン蔵の少年
コルベイユの遠景(カミーユ・コロー作)

霧の朝、ルーアン(カミーユ・ピサロ、1896年作)

ノートルダム・ド・モレ(アルフレッド・シスレー作)

朝の陽(アーサー・ウォルトン、1883年作)
自画像(ホイッスラー、1859年作)
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ホイッスラーの作品
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リンジーの家からバタシーに到着(ホイッスラー作)
ホイッスラーBattersea Reach from Lindsay Houses
 マッキントッシュ・ハウスが併設されていて、デザイン作品や室内デザインが展示されていました。
マッキントッシュの展示
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ホイッスラーの作品が多数展示されていました。

 2017年6月にベルギー王立美術館(ブリュッセル)に行きました。今回は、ルネ・マグリット作「秘密の遊戯者」を紹介します。
 ルネ・マグリット(1898~1967年)はベルギー西部レシーヌで生まれ、14歳の時に母が理由不明の入水自殺をし、1916年に(18歳で)ブリュッセル美術学校に入学しました。シュールレアリスム画家に分類されています。シュールレアリスムは元来は、既成概念・道徳などに囚われずに自由に思いつくままに記述する・描写するということです。これが進んで既成概念・道徳に反する芸術も含まれたようです。
 ルネ・マグリットは1922年に幼馴染のジョルジェット・ベリジェと結婚しました。1923年にジョルジョ・デ・キリコ作「愛の歌」の複製を見て、大変感銘を受けたようです。この後、シュールレアリスムに傾倒していったようです。ルネ・マグリットは1927年にベルギー ブリュッセルで本人初めての個展を開催しましたが、不評でした。3年ほどパリに滞在して、新進画家・シュールレアリスム画家と交流を深めたようです。シュールレアリスムの理論指導者だったアンドレ・ブルトンと馬が合わず、1930年にブリュッセルに戻りました。3LDKのアパートに夫婦と犬で住み、小市民的生活に徹しました。 
 「秘密の遊戯者」は「難しい交差点」の翌年の1927年の「外海の男」の前後に描いた作品です。「難しい交差点」との共通性から、妙な棒はシュールレアリスムの象徴です。カーテンから、作者はまだ自宅にいます。まだパリに出て、シュールレアリスムの評論家・画家と交流する決心がついていないようです。桜並木は、花の都パリの象徴です。バットを使ったりしている遊戯者は、マグリットには未経験の野球(論争)をやっているようです。右の箱に入ってマスクをしている女性は、一緒に行こうと言ってくれない妻です。黒いウミガメが、「外海に出たら数年は帰ってこない」の象徴でしょうか。ルネ・マグリットが後半生(1950年以降)に辿り着いた、(シュールレアリスムとは違う、実在の端の)マグリット独自の世界にまだ到達していないようです。まだ、謎解きの絵のレベルだったようです。産みの苦しみだったのでしょう。悩みを吐き出すような絵です。
秘密の遊戯者(ルネ・マグリット、1927年作)
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難しい交差点(ルネ・マグリット、1926年作、個人蔵)
未定義

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