世界美術館巡り旅

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2025年07月

 2017年6月にエクス・アン・プロヴァンスに在るグラネ美術館を鑑賞しました。その際、別館に当たるチャペル・グラネの入場券も貰いました。別館があるという情報を知らずに行ったので、一旦ホテルに帰ってしまいました。鞄やポケットの中を整理して、チャペル・グラネの入場券を貰ったことに気づきました。地図を見るとグラネ美術館から数十メートルの位置にあるようでした。20世紀の絵を見ていないことにも気づき、行ってみることにしました。
チャペル・グラネの前景
Chapel-of-the-White-Penitents-Aix-en-Provence-France-1[1]
調べると2013年にこの別館が完成したそうです。
工事中のチャペル・グラネ(公式HPから)
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チャペル・グラネ入り口の記念写真
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チャペル・グラネ展示の様子
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様々な色のグラジオラスの花束(フィンセント・ファン・ゴッホ 1886年作)
様々な色のグラジオラスの花束(ゴッホ作)の前で
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カンネの階段(ピエール・ボナール、1946年作)
bonnard-カンネの階段
セーヌ川のヨット(フェリックス・ヴァロットン作)
次の芸術家によるアート作品: Felix Edouard Vallotton
セーヌ川のヨット(フェリックス・ヴァロットン作)の前で
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オペラの受け皿(デビュッフェ作)
dubuffet-オペラの受け皿
赤いポット(フェルナン・レジェ1926年作)
赤いポット レジェ
文字による植字(フェルナン・レジェ、1919年作)
薔薇とコンパスと穀物(フェルナン・レジェ、1925年作)
rose-compas-crop reje
Aixの美術館(パウル・クレー作)
Paul_Klee_-_Musée_Aix
バルコニーの女(パブロ・ピカソ、1937年作)
バルコニーの女-picasso[1]
救助(パブロ・ピカソ、1933年作)
picasso-救助
女とパイプの男(パブロ・ピカソ、1968年作)
Picasso  女とパイプの男
女性の肖像(パブロ・ピカソ作)
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ピカソの作品の前で
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ルオーの作品の前で
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後期印象派以降の画家の絵を、チャペル・グラネに分割展示したという感じです。こちらも見ないと片手落ちというか、もったいないというか。

 2017年6月にベルギー王立美術館(ブリュッセル)に行きました。今回は、エミール・クラウス作「レイエ川を渡る雄牛」を紹介します。
 エミール・クラウス(1849~1924年)はベルギー西部のヘント(ゲント)とリールの街道途中のワレヘムで、食料品商人も家に生まれました。地元の美術学校から、アントウェルペンの王立美術学校に進み、1874年に(25歳で)卒業しました。初期は暗い色調の画風でした。1879年からスペイン・モロッコ・アルジェリアを旅行しました。1882年のサロン・ド・パリに出品して好評を得て、生活が安定しました。1887年にフランス印象派の作品展が開かれ、在住の画家が刺激を受けて「20人会」を結成しました。フランスの印象派画家が老齢化して、後期印象派の画家に注目が集まりました。ベルギーの若い画家が引き継ぎ、ベルギー印象派・光輝主義が発展しました。モネは白内障が進行して、朦朧とした連作(似た作品)を描きました。ルノワールもパステル画調になり、新規性・斬新性を重視する芸術から工芸品的になりました。ベルギーの若手画家は印象派の陽光を描くというテーマを追求しました。
 「レイエ川を渡る雄牛」はパリ万国博覧会で金賞を受賞した大作を、縮小模写した作品のようです。ギラギラと陽光の下の風景です。まさに光輝主義の作品です。レイエ川は北フランスからベルギーに流れて故郷のワレヘムを通って、ヘント(ゲント)でスヘルド川に合流します。ベルギーの天候は曇りが多く、緯度も高い。このようなきつい陽光は、地中海近くだと思います。多分光輝主義で、多少盛ったと思います。
 点描的な描き方もの見られ、印象主義の極致という感じです。その意味では、素晴らしい作品だと思います。
レイエ川を渡る雄牛(エミール・クラウス、1899年以降作)


 2017年6月の南仏旅行の際、グラネ美術館(エクス・アン・プロヴァンス)に行きました。「セザンヌのアトリエ」と「セザンヌの丘」に行った日の午後に行きました。途中ミラボー通りに毎週火曜日のマルシェ(露店)が開かれていて、観光客でごった返していました。その印象が強烈だったせいか、エクス・アン・プロヴァンス旧市街の南東部にグラネ美術館はひっそりとありました。
グラネ美術館前景(公式HPから)
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グラネ美術館玄関での記念写真
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 この美術館は1838年に開設されました。画家のフランソワ=モーリス・グラネが1849年に没し、そのコレクション300点余が寄贈されました。それに因みグラネ美術館と呼ばれるようになったようです。
フランソワ・マリウス・グラネの肖像(ドミニコ・アングル、1807年作)
753px-Jean_Auguste_Dominique_Ingresグラねの肖像
グラネの肖像の前で
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かぼちゃの収穫(フランソワ・マリウス・グラネ、1796年作)
La Récolte des citrouilles à la Bastide de Malvalat (1796) グラネ美術館所蔵、エクス=アン=プロヴァンス
緑の緑(フランソワ・マリウス・グラネ作)
Vert-Vert_(Granet)緑の緑
マルヴァルトの農場から望むサン・ヴィクトリ―山
(フランソワ・マリウス・グラネ作)
マルヴァルトの農場からの眺望サン・ヴィクトリ―山  グラネ
この美術館で一番有名なのは、次の作品です。
ユピテルとテテイス(ドミニコ・アングル、1811年作)
ジュピターとティテスpor_Dominique_Ingres
この絵が予想以上に大きかったのと、美術館の中でも特別扱いだったのが印象的でした。美しい作品でした。アングルの最高傑作のひとつだと思います。
ユピテルとテテイス(アングル作)の前で
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非常に大きい作品だという事がお分かりになると思います。
ユピテルとテテイス(アングル作)の展示の様子
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二部屋続きの展示室の奥の部屋にドーンと飾られていました。              
アングルは「泉」で有名です。壺を肩に載せた裸婦の絵です。その清楚さと美しさから、私は歴代最高の裸婦像だと思っています。
受胎告知(ジョット・ディ・ボンドーネ、14世紀初頭作)

栄光の聖母と聖人たち(ロベルト・カンピン、1520~30年作)
栄光の聖母と聖人たち ロベルト・カンピン
聖母子(フランチェスコ・サルヴィアーティ、16世紀中頃作)
Francesco_Salviati_-_La_Vierge_à_l'Enfant
聖テレサとキリストの出現(グエルチーノ、17世紀前半作)
エリザベート訪問(ピエール・ピュジェ、17世紀後半作)
Pierre_Puget_-_The_Visitation
自画像(レンブラント・ファン・レイン、1660年頃作)
csm_portrait-rembrandt_c74375ed6d[1]
男の肖像(ピーテル・パウル・ルーベンス作)
男の肖像 ルーベンス
少年の肖像(ジャック=ルイ・ダヴィッド作)
母親のペネロペの前でテオクリメンを招くテレマコス
(ヤコブ・ヨルダーンス作)
母親のペネロペの前でテオクリメンを招くテレマコス ヨルダーンス
化粧するヴィーナス(フォンティーヌ・ブロー派、1860年作)
カマルグで群れを導くリーダー(エミール・ローボン、19世紀前半作)
カマルグで群れを導く頭   エミール・ローボン
海沿いの岩の上で眠るジェーヌ・グレック(テオドール・ジェリコー作)
眠るじぇーぬ・グレックテオドール・ジェリコー
ギター奏者(マッティア・プレティ、17世紀後半作)
Mattia_Preti_-_ギター奏者
鮭の切り身のある静物(ジャン・シメオン・シャルダン作)
シャルダンの静物画の前で
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水浴(ポール・セザンヌ作)
大水浴  cezanne[1]  
 画題とバーンズ財団で見た絵の印象から、ある程度の大作を期待していました。実物は非常に小さくて、大笑いでした。
水浴(セザンヌ作)の前で
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セザンヌ夫人の肖像(ポール・セザンヌ作)
Cézanne-母MadameCézanne-Aix
静物画(ポール・セザンヌ、1866年作)
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ジャス・デ・ブッファンからの眺望(ポール・セザンヌ作)
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エミール・ゾラの肖像(ポール・セザンヌ作)
portrait-エミール・ゾラ[1]セザンヌ
 アングルの作品が傑出していますネ。事前勉強で所蔵されている筈のピカソ作品がありませんでした。後ほど分かったのですが、「チャペル・グラネ」という別館を開設してそちらに展示していました。ホテルに戻ってから「チャペル・グラネ」の入場券も貰ったのに気づき、大急ぎで行きました。危うく見落とすところでした。「チャペル・グラネ」の様子は別途紹介します。

 2017年6月にベルギー王立美術館(ブリュッセル)に行きました。今回は、エドワード=バーン・ジョーンズ作「プシュケの結婚」を紹介します。
 エドワード=バーン・ジョーンズ(1833~1898年)はラファエル前派と密接なイギリス人画家・デザイナーです。ラファエル前派をイギリス画壇主流に押し上げた功労者の一人です。死後忘れられた存在でしたが、1970年代に再発見・再評価されました。独特の美しい女性を描いた作品を多く残しています。
 エドワード・バーン=ジョーンズはバーミンガムでメッキ師の息子に生まれました。誕生間もなく母親が亡くなり、父親と家政婦に育てられました。キング・エドワード 6世グラマー・スクールを出て、1848年~1852年オックスフォード大学エクスター・カレッジで神学を学びました。その後ロセッテイに師事して絵画を学び、イタリア旅行で特有のスタイルを確立しました。結局学位を得ずに、オックスフォード大学を卒業しました。1860年に結婚して、当初ステンドグラス美術伝統の復活に打ち込みました。1867年にロンドンへ移住しました。1877年グロウブナー・ギャラリーから油絵展示の要請を受け、高評価を受けました。これで運が開けました。1881年オックスフォード大学から名誉学位を受け、1883年には特待校友に選ばれました。1885年にバーミンガム芸術協会会長に就任、1894にナイトに叙せられました。
 紀元前2世紀のアプレウス「黄金のロバ」の挿話「プシュケとクピド」が元になった作品と思われます。ヴィーナスの娘三姉妹の一番若い妹のプシュケはその美しさと気品から、領民から慕われていました。ヴィーナスはそれを妬み、クピドに卑しい男と恋に落とすよう命じました。クピドが誤って、自分が恋に落ちました。
 神が「プシュケを山の頂に人身御供として捧げよ。」と神託しました。一人残されたプシュケは、やがて気を失い風に運ばれました。気が付くと(クピドの)宮殿の中でした。クピドは正体を明かさず、暗闇の中でだけプシュケと逢瀬を重ねました。夫の姿を見たいと、クピドが寝ているときにランプをかざしました。・・・。藩士はまだ続きますが、神託に従い山頂に向かうプシュケとその行列の様子を描いています。通常は(裸婦を描く方便に使われ)裸のプシュケとクピドが描かれます。多くの画家が描いていて、ジャック=ルイ・ダヴィッドの作品を紹介します。
 エドワード=バーン・ジョーンズは少しひねって、山頂に向かう行列を描いています。先頭の女性と後ろの老人だけが、真っ直ぐ前を見ています。前の四人は下を見るか、プシュケを見ないようにして花を撒いています。後ろの楽器を奏でている女性も、沈鬱な顔をしています。
 叙勲直後に描いているので、神託に従うプシュケの姿に、自分がナイトに叙勲された姿を重ねているのか?気が重かったのでしょうか?
プシュケの結婚(エドワード=バーン・ジョーンズ、1895年作)
プシューケーとクピドの物語 主な絵画とカノーヴァの彫刻
アムールとプシュケー(ジャック=ルイ・ダヴィッド、1817年作)
『アムールとプシュケ』( Cupid and Psyche )  1817年 ジャック=ルイ・ダヴィッド クリーブランド美術館蔵

 2017年6月にカルヴェ美術館(アヴィニョン/南フランス)を訪問しました。アヴィニヨン旧市街のひっそりした通りで、美術館の門を見つけました。
カルヴェ美術館入り口の門で記念撮影
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カルヴェ美術館入り口で記念撮影
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 ジャック=イニャス・ド・ヴィルヌーヴ侯爵の邸宅だった建物に、医者だったエスプリカ・カルヴェのコレクションを展示したのが始まりのようです。1811年にナポレオン1世の美術館を造れという政令が引き金になっているようです。
エスプリ・カルヴェの肖像(ウジェーヌ・ディヴェリア作) 
Eugène_Devéria_-_Portrait_de_Calvet_
 三賢人の礼拝(ヒエロニムス・ボス作)が展示されていたことに、びっくりしました。この美術館に所蔵されているという情報がなかったからです。プラド美術館にある三連祭壇画の中央パネルの絵と同じです。
三賢人の礼拝(伝ヒエロニムス・ボス作)
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有名な「三賢人の礼拝(ヒエロニムス・ボス作)」はマドリードのプラド美術館にあります。
三賢人の礼拝
(ヒエロニムス・ボス、1510年代作/プラド美術館所蔵)
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 見比べると絵柄はほぼ同じです。カルヴェ美術館所蔵品は木板に描かれ、木板繋ぎ目にひびが入っていました。かなり古いし、高い画力で描かれていました。ヒエロニムス・ボスは同じ絵を複数枚描いた事例(放蕩人など)もあります。カルヴェ美術館所蔵品が真作である可能性もありそうです。真贋がクリアーになっていないから、公式HPに紹介されていないのでしょうか?ヒエロニムス・ボスに興味をお持ちの方は、自分の眼で一度ご覧ください。
村の劇場でのバザールと行列(ピーテル・ブリューゲル作)
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 有名な父親のピーテル・ブリューゲルか同名の長男なのかは色調が判断基準になります。父親はくすんだ色調で、長男は少し発色が良い(弟のヤンに近い)。この絵は両者が混在して、判別できませんでした。父親風の部分が過半ですが、発色の良い部分もありました。
農民の結婚式の行列(ヤン・ブリューゲル、17世紀初頭作)
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息子のヤンです。花の絵を見た方が多いのではないかと思います。
 14世紀にローマ法王庁がアヴィニョンに移った時期があります。法王がローマに帰った後も教皇使節が15世紀も駐在したようです。イタリアの有名画家が移住し、教会関係の仕事も多いため画家が集まったようです。
キリストと姦淫の女(ピエトロ・デラ・ヴェッキア作)

羊飼いの礼拝(モン・デ・シャロン、16世紀中頃作)
聖シモン・ストックにスカプラリオを授与する聖母マリア
(二コラ・ミニャール、17世紀中頃作)

砂漠で祈るサン・ブルーノ(ニコラ・ミニャール、17世紀中頃作)
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キリストの復活(ヨハン・ケルベッケ、1457年作)
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窓辺の犬と子供(ヤン・ウィニックス、17世紀後半作)

ジョセフ・バラの死(ジャック=ルイ・ダヴィッド作)
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 「ナポレオン皇帝と皇妃ジョセフィーノの戴冠」とか「ナポレオン騎馬像」などを描いたダヴィッドですが、こういう絵も描いています。記念写真を撮りました。
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イタリアの風景(ジャン=バティスト・カミーユ・コロー作)
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アルプスの羊飼い(ジョセフ・ヴェルネ、18世紀中頃作)

マゼッパと狼(オーラス・ヴェルネ、1826年作)

泉で眠るニンフ(テオドール・シャセリオー、1850年作)

モレの教会(アルフレッド・シスレー、1890~94年作)
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ギターと帽子の静物(エドゥアール・マネ作)
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バーで(マウリス・デ・ヴラマンク、1900年作)
ヴラマンク at-the-bar
「バーで」の前で記念撮影
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白い母(モーリス・ドニ作)
白い母 ドニ
窓辺の犬と少年(ヤン・ウィーニクス、1700年前後作)
Jan-Weenix  madobe inu to kodomo
手紙を読む若い女(ジャン・ラウー、18世紀初頭作)
Jean_Raoux-手紙を読む若い女
復活(ピエール・パロセル作)

ジュゼッピーナ・グラッシー二の肖像
(エリザベート・ヴィジェ・ル・ブラン、19世紀初頭作)
ルションノセレの村(シャイム・スーチン、1920年頃作)
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スーチンの珍しい風景画です。
エイの静物画(シャイム・スーチン作)
村の白痴(シャイム・スーチン作)
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村の白痴(スーチン作)」の前で
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没落(シャイム・スーチン、1920年頃作)
関連する画像の詳細をご覧ください。Pastozs triepiens, apvienības "Tilts" darbības pirmsākumi — uzdevums ...
「没落(スーチン作)」の前で
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手を組む老人(シャイム・スーチン作)
スーチンの作品も充実していました。
中庭に塑像がありました。
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何かにフォーカスして集めた形跡はなく散漫ですが、名品が揃っていました。収集した人の眼力があったのか。アヴィニョン旧市街にある小さな名品美術館でした。

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