世界美術館巡り旅

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2025年05月

 2013年3月にブレラ美術館(ミラノ)を訪問しました。撮影禁止だったのか、翌日「最後の晩餐」を鑑賞する予定で気がそぞろだったのか、写真が残っていませんでした。イエスズ会の建物を1772年にマリア・テレジアが入手して、美術アカデミーとしました。19世紀初頭にナポレオン1世が接収し、1809年から美術館として公開されました。1882年委国立美術館となりました。所蔵品は、宗教画(キリスト、聖母子など)が大部分でした。この美術館の代表絵画を公式ページからコピーして紹介します。
ブレラ美術館の中庭(Wikipediaから)
1200px-Milano_brera_cortile
死せるキリストと弔う人(アンドレア・マンテーニヤ、1480年作)
死せるキリスト アンドレア・マンテーニャ作
この絵が一番有名ですが、まだまだ名品がありました。
智天使の聖母子像(アンドレア・マンテーニヤ、1485年頃作)
アンドレア・マンテーニャ作_智天使の聖母
サン・ルカの多翼祭壇画(アンドレア・マンテーニャ、1453~54年作)
マンテーニャ作サン・ルカの祭壇画 アンドレア・
ヴァッレ・ロミータの多翼祭壇画
(ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ、1400~10年作)
聖会話(ピエロ・デラ・フランチェスカ、1472~74年作)
聖会話 ピエロ・デラ・フランチェスカ
ブレラの聖母子(ジョバンニ・ベリーニ、1510年作)
ブレラの聖母 ジョヴァンニ・ベッリーニ作
ピエタ(ジョバンニ・ベリーニ、1465~70年作)
ピエタ ジョヴァンニ・ベッリーニ作
蝋燭の聖母(カルロ・クリヴェッリ、1490年以降作)
蝋燭の聖母 再生の聖母 カルロ・クリヴェッリ作
聖母の結婚(ラファエロ・サンティ、1504年作)
聖母の婚礼 ラファエロ
聖ステパノの議論(ヴィットーレ・カルパッチョ、1514年作)

荒野の聖ヒエロニムス(ティッツァーノ・ヴェチェッリオ作)
荒野の聖ヒエロニムス ティッツァーノ作
サン・マルコの死体の発見(ティントレット、1548年作)
Jacopo_Tintoretto_-サン・マルコの死体の発見
十字架に祈る聖ヘレナと聖バルバラ(ヤコポ・ティントレット作)
十字架に祈る聖ヘレナと聖バルバラ ヤコポ・ティントレット
東方三賢人の礼拝(コレッジオ、1518年作)
東方三賢人の礼拝 コレッジオ作
ラウラ・ダ・ポラの肖像(ロレンツオ・ロット、1543年作
ロレンツオ・ロット ラウラ裏・ダ・ポラの肖像
ネプチューンに扮したアンドレア・ドーリア
アニョロ・ブロンズィーノ、1550~55年作
ブロンズィーノ ネプチューンに扮したアンドレア・ドーリア
井戸べのサマリアの女(アンニーバレ・カラッチ、1594~95年作)
アンニーバレ・カラッチThe_Samaritan_Woman_at_Well
エマオの晩餐(ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ、1606年作)
エマオの晩餐 ミケランジェロ・カラヴァッジョ作
ハガルとイシュマルを追放するアブラハム(グエルチーノ、1657年作)
グエルチーノ Abraham casting out Hagar and Ishmael
最後の晩餐(ピーテル・パウル・ルーベンス、1630~31年作)
最後の晩餐 ルーベンス
貴婦人の肖像(アンソニー・ファン・ダイク、1634~35年作)
貴婦人の肖像 アンソニー・ファン・ダイク
クレオパトラの死(グイド・カニッチャ作
グイド・カニッチャ クレオパトラの死
キス(フランチェスコ・アイエツ、1859年作)
キス フランチェスコ・アイエツ
マルタ・ボナールの肖像(ピエール・ボナール作)
マルタ・ボナールの肖像 ピエール・ボナール
 こじんまりとした美術館でしたが、名品・傑作が沢山所蔵されていました。

 2013年3月にサン・マルコ美術館(フィレンツェ)を訪問しました。今回は、フラ・アンジェリコ作「最後の審判」を紹介します。
  フラ・アンジェリコ(1390~1455年)はフィレンツェ近郊ヴィッキオのルペカニーニャで生まれました。1417年にカルメル修道会に入信しました。装飾写本画家で修業をして、シエナ派の影響が見られます。1436年にフィレンツェのサン・マルコ修道院に移りました。この時は工房の部屋を宛がわれたようです。1445年にローマ教皇エウゲニウス4世から招かれ、サン・ピエトロ大聖堂の装飾画を描きました。ドメニコ・ギルランダイオはフラ・アンジェリコの孫弟子に当たるという説があります。
 「最後の審判」は新選任修道院長アンブロージョ・トラヴェルサーリの為に、カマルドリ修道会から注文されました。1450年頃にも「最後の審判」をフラ・アンジェリコは描いていて、それはベルリン絵画館に所蔵されています。そちらは更にルネッサンス風になっていて、全面奥行き感が出ています。
 このサン・マルコ美術館所蔵品は、上部と右側が、ゴシック風で平面的です。中央下部と左側は、奥行き感が出ています。
 上部には、キリスト、聖母マリア、福音記者ヨハネ、聖人たち、天使が描かれています。天使が最後の審判を知らせるトランペットを吹いています。キリストは左右の手で、楽園と地獄を指示しています。左側は楽園で、楽しそうに踊っています。右側は地獄で、地獄に落ちた人々は火あぶりや煮られたりで酷い目に遭っています。入り口ではサタンが、引きずり込んだり・噛みついたりしています。
 中央部では墓が暴かれ、右側の人々は地獄に追い込まれています。左側の人々は地獄行きを免れ、ヤレヤレという感じです。
 最後の審判の定番の「天秤を持った大天使ミカエル」が描かれていなので、本格的な絵画・祭壇画を調べてみました。どうも1450年頃のウェイデンやメムリンクの作品が最初のようです。紹介します。それより古いのは、イコンに描かれたものでした。古くはギリシャ神話の女神テミスが使う正義の天秤のようです。天秤はフランドルでよく使われたのでしょうか。
最後の審判(フラ・アンジェリコ、1425~30年作)

左側(天国の場面)

右側(地獄の場面)

前方中央(暴かれた墓)

最後の審判(フラ・アンジェリコ、1450年頃作、ベルリン絵画館蔵)
ファイル:Angelico, giudizio universale di berlino.jpg
最後の審判(ロヒール・ファン・デル・ウェイデン、1445~50年作、オテル・デュー蔵)

ヤコポ・タニの祭壇画(ハンス・メムリンク、1467年作、グダニスク国立博物館蔵)


 2013年3月3月にウフィツィ美術館(フィレンツェ)を訪問しました。中規模美術館ですが、ルネッサンスの名作を所蔵しています。
中庭から見たウフィツィ美術館(Wikipediaから)
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 展示の様子を紹介します。
展示室の様子
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 先ずはボッティチェリの作品を紹介します。
プリマヴェラ(四季の春、サンドロ・ボッティチェリ、1480年作)
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ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」の方が有名ですが、絵としてはこれの方がより傑作です。
ヴィーナスの誕生(サンドロ・ボッティチェリ、1483年頃作)
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ザクロの聖母(サンドロ・ボッティチェリ、1487年頃作)
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マグニフィカの聖母(サンドロ・ボッティチェリ、1481年頃作)
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聖母の戴冠(サンドロ・ボッティチェリ、1480年頃作)
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三賢人の礼拝(サンドロ・ボッティチェリ作)
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サンタ・トリニタの聖母(チマブーエ、1280~90年作)

オンニサンティの聖母(ジョット・ディ・ボンドーネ、1310年頃作)

聖女マルガリータと聖アンサヌスの居る受胎告知
(シモーネ・マルティーニ、1333年作)


聖母戴冠(ロレンツォ・モナコ、1414年作)

東方三博士の礼拝(ジェンテーレ・ダ・ファブリアーノ、1423年作)
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聖アンナと聖母子(マンティーニャとマソリーノ、1424~25年作)

聖母戴冠(フラ・アンジェリコ、1434~35年作)

聖母戴冠(フィリッポ・リッピ、1441~47年作)

聖母子と二天使(フィリッポ・リッピ、1445~50年作)

サンロマーノの戦い(パオロ・ウッチロ、1450年代作)
『サンロマーノの戦い』でニッコロ・マウルジ・ダ・トレンティーノは、ベルナルディーノ・デラ・カルダを倒した[3](1435–1455年ごろ)、板上のテンペラ、182×320 cm、 ウフィツィ美術館 (フィレンツェ)
キリストの哀悼(ロヒール・ファン・デル・ウェイデン、1460~63年作)

ウルビーノ公夫妻の肖像(ピエロ・デラ・フランチェスカ、1472~74年作)
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キリストの洗礼(アンドレア・デル・ヴェロッキオ、1475年頃作)

パガニョッティ三連祭壇画中央パネル(ハンス・メムリンク、1480年頃作)

受胎告知(レオナルド・ダ・ヴィンチ、1475~80年作)
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オットの祭壇画(フィリッピーノ・リッピ、1486年作)

キリストの哀悼(ピエトロ・ペルジーノ、1483~93年作)

聖なる寓意(ジョヴァンニ・ベッリーニ、1490~1500年作)

東方三博士の礼拝(アルブレヒト・デューラー、1504年作)
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ヒワの聖母(ラファエロ・サンティ、1505~06年作)

聖家族(ミケランジェロ・ブオナローティ、1507年作)

フローラ(ティツィアーノ・ヴェチェッリオ、1515年頃作)
ハルピュイアの聖母(アンドレア・デル・サルト、1517年作)
アダムとイヴ(ルーカス・クラナッハ、1528年作)
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リュートを弾く天使(ロッソ・フィオレンティーノ、1521年作)

エマオの晩餐(ヤコポ・ダ・ポントルモ、1525年作) 
  
ウルビーノのヴィーナス(ティツィアーノ・ヴェチェッリオ、1538年作)
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バッカス(ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ、1598年頃作)
ゴリアテの首を持つダヴィデ(グイド・レーニ、1604~06年作)
傑作・名作が目白押しで、中身の濃い美術館です。

 2013年3月 ローマ国立近代美術館(ローマ)を訪問しました。今回は、ヴィンチェンツォ・カムッチーニ作「ユリウス・カエサルの死」を紹介します。
 ヴィンチェンツォ・カムッチーニ(1771~1844年)は、ローマの商人の息子に生まれました。絵画修復師の兄の支援で、宗教画家ドメニコ・コルヴィに学びました。30歳までは、ラファエロ作品の模写を職業としていました。1798年にフランス軍がローマ侵攻をすると、フィレンツェに逃れました。1802年にローマへ戻り、アカデミア・ディ・サン・ルカの会員に選ばれました。1806年35歳で校長に就任しました。1803年からローマ教皇ピウス7世から教皇庁の美術品保存責任者に任命されました。1820年にフランスの芸術アカデミーの海外会員となりました。1829年ニューヨークのナショナル・アカデミー・オブ・デザインの名誉会員となりました。1830年爵位を授けられ、バチカン絵画館の整備を任されました。1844年にローマで亡くなりました。作品からもわかるように、新古典主義の画家でした。
 紀元前1世紀ローマ帝国ではカエサル、ポンぺウス、クラッススの第一回三頭政治が行われていました。カエサルは元老院の承認無しでガリア遠征を始め、成功しました。ポンぺウスは追放され、エジプトで亡くなりました。クラッススはパルティア遠征に出かけ、亡くなりました。やがて、カエサルによる独裁政治が始まりました。敗退勢力の共和制支持者たちに、暗殺されました。暗殺者の中には、カエサル支持者のはずだったブルートゥスもいました「ユリウス・カエサルの死」は暗殺場面を描いた、堂々たる歴史画です。新古典主義に則った大作です。
ユリウス・カエサルの死(ヴィンチェンツォ・カムッチーニ作)

 2013年3月 ローマ国立近代美術館(ローマ)を訪問しました。初めてボルゲーゼ美術館に行き、「事前予約が必要。当日の予約は受けない。」と言われました。翌日はフィレンツェに行く計画で、泣く泣くボルゲーゼ美術館への入館を諦めました。予定が狂ってしまいボルゲーゼ公園を歩いていて、偶然この美術館を見つけました。彫刻やオブジェが目立ちましたが、印象派以降の油絵小品も展示されていました。写真を撮っていなかったのですが、公式ホームページからいくつかを紹介します。
国立近代美術館前景(Wikipediaから)
2016_Galleria_Nazionale_11-700x344[1]
訪問(シルヴェストロ・レーガ、1867年作)
軍事演習(ジョヴァンニ・ファットリー作)

浴女(フランチェスコ・アイエツ作)

カエサルの死(ヴィンチェンツォ・カムッチーニ作)
雪中の密猟者(ギュスターヴ・クールベ、1867年作)
Courbet_雪の密猟者
睡蓮(クロード・モネ作)
Monet_睡蓮
睡蓮の池としだれ柳(クロード・モネ作)
横木に繋がれた牛(ジョヴァンニ・セガンティーニ、1886~88年作)
Segantini_夕暮れ
女性の三段階(ギュスタフ・クリムト、1905年作)
クリムト 人生の階段
ジュールダンのキャビン(ポール・セザンヌ作)
C‚zanne ジュールダンのキャビン
アルルの女/ジヌー夫人(フィンセント・ファン・ゴッホ、1890年作)
VanGogh_アルルの女
ハンカ・ズボロウスカの肖像(アメディオ・モディリアーニ、1917年作)
Modigliani_ハンカ・ズボロウスカの肖像
入浴の後(エドガー・ドガ作)
Degas_入浴後
自画像(ジョルジョ・デ・キリコ、1925年作)
De-Chirico_自画像
画家の母(ジョルジュ・デ・キリコ、1911年作)

眠るディアナ(ジョルジュ・デ・キリコ、1933年作)
ドラゴンを倒す聖ゲオルギウス(ジョルジュ・デ・キリコ作)

不思議な水浴(ジョルジュ・デ・キリコ作)
ウィリアム・モリス夫人の肖像(ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ作)
Rossetti_モリス夫人の肖像
ロダンのブロンズ像
Rodin_Et…-del-bronzo[1]
彫刻・オブジェが多かったのと先生に引率された小学生の記憶が強いのですが、小品ながら印象派以降一通りの油絵が揃っていました。画家の「代表作のひとつ」と言える絵もありました。

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