世界美術館巡り旅

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2025年04月

 2015年4月にボルゲーゼ美術館(ローマ)を訪問しました。今回は、ピーテル・パウル・ルーベンス作「キリストの埋葬」を紹介します。
 ピーテル・パウル・ルーベンス(1577~1640年)はドイツ西部で、アントウェルペン出身のプロテスタントの家に生まれました。父の死後家族とアントウェルペンに戻りました。13歳で伯爵未亡人の下へ小姓として出されました。伯爵未亡人がピーテルの芸術的素養を見込んで、アントウェルペンの聖ルカ組合に入会させました。その後三人の画家に師事しました。1600~1608年の間、イタリアとスペインで古典の模写などで学びました。その後アントウェルペンに戻り、工房(ルーベンスの家)を設け、数々の宗教画、肖像画を描きました。
 「キリストの埋葬」はルーベンスがイタリアで古典の模写をしていた頃に描かれたと思われます。容貌などの描き方を見ると、初々しい感じです。後の作品の沈痛な画面とは少し異なっています。
キリストの埋葬(ピーテル・パウル・ルーベンス、1602年作)
降架 ルーベンス作
キリスト降架
(ピーテル・パウル・ルーベンス、1611~14年作、聖母大聖堂蔵)

カラヴァッジョ作「キリストの埋葬」の模写
(ピーテル・パウル・ルーベンス、1612年作、カナダ国立美術館蔵)
キリストの埋葬(ピーテル・パウル・ルーベンス作) : 世界 ...

 2014年7月にクレラー・ミュラー美術館(アーネム)を訪問しました。広大な公園の入口でバスを降ろされ、チケット売り場に行かされました。オランダ美術館の年間パス(イヤーカルト)を買いたいと言ったら、「美術館で買え」と言われました。公園の入園券だけを買ってバスに戻りました。イヤーカルトは60ユーロ程で、オランダ中の美術館に1年間(何回でも)入れる優れものです。
クレラー・ミュラー美術館前庭(Wikipediaから)
Entrance_Kröller-Müller_Museum wiki
クレラー・ミュラー美術館前庭のブロンズ像と
DSCN1507
前庭のオブジェで記念撮影
DSCN1510
先ずはゴッホの最高傑作を紹介します。
アルルの跳ね橋(フィンセント・ファン・ゴッホ、1888年作)
アルルの跳ね橋 ゴッホ
この「跳ね橋」がゴッホの最高傑作だと再確認しました。
馬鈴薯を食べる人々(フィンセント・ファン・ゴッホ、1885年作)
馬鈴薯食べる人々 ゴッホ
馬鈴薯を食べる人々の横で
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夜のカフェテラス(フィンセント・ファン・ゴッホ、1888年作)
夜のカフェテラス ゴッホ
四本の切ったヒマワリ(フィンセント・ファン・ゴッホ、1887年作)
4輪のヒマワリの切り花 ゴッホ
糸杉と星の見える田舎道(フィンセント・ファン・ゴッホ、1890年作)
夜のプロヴァンスの田舎道 ゴッホ
機織り機(フィンセント・ファン・ゴッホ、1884年作)
DSCN1521
ジヌー夫人の肖像(フィンセント・ファン・ゴッホ、1890年作)
_L'_Arlesienne_(Madame_Ginoux) ゴッホ
 ゴッホ作品以外にも名品が所蔵・展示されています。
カフェにて(ピエール・オーギュスト・ルノワール、1876年作)
カフェにて ルノアール
喫煙者(ヤン・スティーン作)
喫煙者 ステーン
モネのアトリエ舟(クロード・モネ作)
モネのアトリエ船 モネ
パンを焼く女性(ミレー作)
パンを焼く女性 ミレー
シャユ踊り(ジョルジュ・スーラ、1889~90年作)
シャユ踊り スーラ
オンフルールの波止場(ジョルジュ・スーラ作)
オンフルールの波止場 スーラ
ポントイーズの虹(ピサロ作)
ポンとイーズの虹 ピサロ
朝食(ポール・シニャック 1887年作)
イメージ 5
マルセイユの港(ポール・シニャック作)
マルセイユの港 シニャック
漁師(アンリ=エドモン・クロス、1895年作)
漁師 クロス
ジョッキ(ロートレック作)
ジョッキー ロートレック
黄色いスカーフをまとったルドン夫人(オディロン・ルドン、1902年作)
黄色いショール ルドン
キュプロークス(オディロン・ルドン、1914年作)
キュプロークス ルドン
フルーツ・ボウルの静物(ファン・グリス、1914年)
カード遊びをする兵士たち(レジェ作)
レジェ作カード遊びをする兵士たち 
ギター(パブロ・ピカソ作)
ギター ピカソ
サロメ(パブロ・ピカソ作)
サロメ ピカソ
若い女性の肖像(パブロ・ピカソ作)
若い女性の肖像 ピカソ
「跳ね橋」と「四本の切ったヒマワリ」はゴッホ好きの方は、必見です。ゴッホのデッサン力の高さが光っています。ここにはゴッホの神髄といえる作品が揃っています。

 2015年4月にボルゲーゼ美術館(ローマ)を訪問しました。今回は、ヘラルト・ファン・ホントホルスト作「コンサート」を紹介します。
 ヘラルト・ファン・ホントホルスト(1592~1656年)は、「夜のゲラルト(ヘラルト)」と呼ばれ、夜を描いた作品を得意としたオランダ人画家です。ヘラルト・ファン・ホントホルストはユトレヒトで生まれ、若い頃にアブラハム・ブルーマールトの下で修業をしました。1616年にイタリアへ行き、ローマで修業をしました。1620年に帰国し、カラヴァッジスト(カラヴァッジョ追従者)のヘンドリック・テル・ブルッヘンと一緒に画学校を始めました。1623年にはユトレヒトの画家組合長となりました。ハーグ駐在だったイングランド全権公使に絵を気に入られて、徐々に流行画家となりました。1626年にはルーベンスの訪問を受けたようです。1628年にチャールズ 1世がホントホルストをイングランドへ招聘しました。イングランドから帰国後ユトレヒトに住み、オラニエ公アマーリエの宮廷画家になりました。
  ホントホルストは多くのコンサート関連の絵画を描きました。他の作品と比べると、随分畏まったというか上品な描き方です。ホントホルストは1623年に結婚して、同年にユトレヒトの画家組合長になりました。その後イングランド全権公使ダドリー・カールトン卿が気に入ってパトロンとなりました。1626年にはルーベンスが来訪して、1628年にはチャールズ1世がイングランドへ招聘しました。本作品を描くころに風俗画家から、高貴な顧客の肖像画家に変化しました。名士となり、低俗な風俗画を描きづらくなったと推定します。上流階級の合奏・合唱を描いています。
コンサート(ヘラルト・ファン・ホントホルスト、1626~30年作)
コンサート ホントホルスト
コンサート(ヘラルト・ファン・ホントホルスト、1623年作、
ワシントン・ナショナルギャラリー蔵)

コンサート(ヘラルト・ファン・ホントホルスト、1623年作、リヨン美術館蔵)
Image of Sotheby's NY Old Master sales
バルコニーでのコンサート
(ヘラルト・ファン・ホントホルスト、1624年作、ルーヴル美術館蔵)

取り持ち女(ヘラルト・ファン・ホントホルスト、1625年作)
ヘラルト・ファン・ホントホルスト — Google Arts & Culture

 

 まだ訪問していない日本の美術館を調べてみました。今回は、山梨県立美術館を紹介します。ミレーを含むバルビゾン派画家の作品を収集しているようです。所蔵品を紹介します。
山梨県立美術館前景(Wikipediaから)

ポーリー・V・オノの肖像(ジャン=フランソワ・ミレー、1841~42年作)
Albert Bierstadt Museum: Portrait of Aupuli Jean Francois Millet
眠れるお針子(ジャン=フランソワ・ミレー、1841~42年作)
眠れるお針子 ミレー 絵画作品の解説
ダフニスとクロエ(ジャン=フランソワ・ミレー、1841~42年作)
ジャン・フランソワ・ミレー『ダフニスとクロエ』
種を蒔く人(ジャン=フランソワ・ミレー、1850年作)
コレクション展 | 展覧会・イベント | 山梨県立美術館 | YAMANASHI PREFECTURAL MUSEUM of ART
夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い(ジャン=フランソワ・ミレー、1857~60年作)
ジャン・フランソワ・ミレー『夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い』
冬(凍えたキューピッド)(ジャン=フランソワ・ミレー、1864~65年作)
ジャン・フランソワ・ミレー『冬(凍えたキューピッド)』
雁を見上げる羊飼いの少女(ジャン=フランソワ・ミレー、1865年作)
ジャン・フランソワ・ミレー『雁を見上げる羊飼いの少女』
市日(コンスタン・トロワイヨン、1859年作)

大農園(ジャン=バティスト=カミーユ・コロー、1860~65年作)
大農園

 2015年4月にボルゲーゼ美術館(ローマ)を訪問しました。今回は、伝カラヴァッジョ作「ゴリアテの首を持つダヴィデ」を紹介します。
 ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(1571~1610年)はミラノで、三人兄弟の長男として生まれました。父親は、イタリア北部ベルガモのカラヴァッジョ侯爵家の邸宅管理と室内装飾を担当していました。1576年に(5歳で)一家でペストを避けて、ミラノからカラヴァッジョ村に移り住みました。翌年に父親が、1584年に母親が亡くなりました。1584年に(13歳で)ティツアーノの弟子だったシモーネ・ペテルツァーノに弟子入りして、4年間修業しました。1592年に(21歳で)恐らく喧嘩で役人を負傷させ、ミラノを飛び出しました。ローマに移り、ジュゼッペ・チェーザリの助手を務めました。静物画や人物画の注文が入るようになりました。1594年に(23歳で)病気でチェーザリの工房を解雇され、独り立ちしました。1595年から宗教画の注文を受けるようになりました。コンタレッリ礼拝堂の室内装飾を受注し、「聖マタイの殉教」と「聖マタイの召命」が大評判となりました。暴力的表現の宗教画の注文が増えました。
 1606年に(35歳で)一人の若者を殺害して殺人犯となり、ローマからナポリへ逃亡しました。更にマルタ騎士団を頼ってマルタに移りました。いざこざで1608年に(37歳で)マルタで投獄された上、脱獄しました。シチリアの首都パレルモに逃れましたが、やがてナポリに戻りました。
 ダヴィデとゴリアテをテーマにした絵を、カラヴァッジョは複数描いています。夫々には10枚以上の複製画があるようです。「ゴリアテの首を持つダヴィデ」も複数の模写があるので、カラヴァッジョが描いた作品があったと思われます。
 ウィーン美術史博物館所蔵の「ゴリアテの首を持つダヴィデ」は、画風・コントラスト・迫力から見てカラヴァッジョの真作で間違いないように思えます。プラド美術館所蔵の「ダヴィデとゴリアテ」も判断が微妙ですが、修復前の画像を見るとカラヴァッジョの真作と思えます。修復(クリーニング)で表面の(古い修復の)絵の具を一部洗い流したようです。どうもカラヴァッジョの絵の具も一部洗い流してしまったように感じます。これら2点の作品にはカラヴァッジョ作品共通の「一瞬を切り取った」劇的さ・迫力を感じます。
 本「ゴリアテの首を持つダヴィデ」には、真作に共通するカラヴァッジョ画風が見られません。
① 真作と思われる2作品のダヴィデと比べて、この作品のダヴィデはチャント描けていません。顔の容貌が変、右腕の肩との繫がりが変、左手の描き方が変(シッカリ首の髪を握っていない)、ダヴィデの衣服もチャント描けていない。
② ゴリアテの顔・容姿も変。ウフィツィ美術館所蔵「メドゥーサの首」を参考に描いたように思える。
③ 明暗・コントラストも描けていない。絵の具の発色も悪い。カラヴァッジョの肌の色が再現できていない。
④ カラヴァッジョ真作共通の「一瞬を切り取った・劇場型」が感じられない。
⑤ ダヴィデの頭上の空間が広く空いて、カラヴァッジョらしくない。カラヴァッジョは上の空間が狭い絵が多く、空けているときはそれに意味がある。上が空いている絵は、天上への方向性(天使・神)や安らぎを意識させる場面です。この画題は迫力が必要で、頭上に空間をとらない筈。
 真作と自信を持って言えないので、「伝カラヴァッジョ作」と記しました。
ゴリアテの首を持つダヴィデ(伝カラヴァッジョ、1609~10年作)
ゴリアテの首を持つダヴィデ カラヴァッジョ作
メドゥーサの首(カラヴァッジョ作、1597~98年作、ウフィツイ美術館蔵)

ダヴィデとゴリアテ(カラヴァッジョ、1598~99年作、プラド美術館蔵)

同上の修復前(カラヴァッジョ、1598~99年作、プラド美術館蔵)

ゴリアテの首を持つダヴィデ(カラヴァッジョ、1600~01年作、ウィーン美術史博物館蔵)
 

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