2015年4月にボルゲーゼ美術館(ローマ)を訪問しました。今回は、ピントゥリッキオ作「聖ヒエロニムスと聖クリストフォロスと磔刑」を紹介します。
ピントゥリッキオ(1454~1513年)はペルージャで生まれ、地元画家の下で修業しました。その後バチカンのシスティーナ礼拝堂フレスコ画制作で、ペルジーノの助手を務めました。その後1484~92年の間、ローマのサンタ・マリア・デル・ポポロ教会礼拝堂の装飾を手掛けました。1493年から教皇アレクサンドル6世に雇われ、バチカン宮殿の六つの部屋の装飾を手掛けました。1497~1500年でサンタ・マリア・イン・アラチェーリ教会ブファリーニ礼拝堂の装飾を手掛けました。当時もっとの評判の高い礼拝堂装飾画家だったと思われます。「聖ヒエロニムスと聖クリストフォロスと磔刑」はピントゥリッキオの最初期の作品で、初期フランドルの影響を感じさせます。(幼いキリストを肩に川を渡ったという聖クリストフォロスから)谷の川を背景に磔刑が描かれています。左側には聖ヒエロニムスと飼いならされたライオン、枢機卿の帽子、胸を打つ為の石が描かれています。右の聖クリストフォロスは殉教の象徴のヤシの葉を持ち、肩に幼いキリストを担いでいます。聖クリストフォロスは正教会などで聖人ですが、史実性が薄いとカソリックでは聖人から除外されています。
ピントゥリッキオは20歳頃に既に高い画力を持ち、ペルジーノの助手になったのも納得です。更にルネッサンスには初期フランドルの(特に絵の具の技法の)影響が分かる作品です。
イタリアでは(卵の黄身で顔料を混ぜる)テンペラ技法が15世紀末近くまで主流でした。初期フランドルでは(鉱油で顔料を混ぜる)油絵が発達して、イタリアに波及しました。油絵具は乾くのが遅く画面の上で混ぜられて、微妙がグラデーションが描けました。
聖ヒエロニムスと聖クリストフォロスと磔刑
(ピントゥリッキオ、1475年頃作)

(ピントゥリッキオ、1475年頃作)























![01_Profil[1]](https://livedoor.blogimg.jp/galleryhopping/imgs/4/7/473ceaca-s.jpg)










