世界美術館巡り旅

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2025年01月

 2016年6月 ミマラ美術館(ザグレブ/クロアチア)を訪問しました。クロアチアでは最大の美術館で、国立美術館ランクの扱いのようです。彫刻、ガラス器、焼き物も展示され、博物館に近いと思います。入館料は現金支払いが必要でした(カードが使えなかった)。
ミマラ美術館前景(Wikipediaから)

訪問時のミマラ美術館前景
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ミマラ美術館玄関で記念撮影
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美術館玄関踊り場で、ボルボの新車発表会をやっていました。お国柄でしょうか?
聖ヤコブと聖バーソロミュー(パオロ・ヴェネツァーノ作)

聖アントニウスの誘惑(伝ヒエロニムス・ボス作)

聖母子と洗礼者ヨハネ(伝ラファエロ・サンティ作)

ルーカス・ヴァン・ライデンの作品

入浴する女性(伝ピエール=オーギュスト・ルノワール作)

祈る女性(伝ピエール=オーギュスト・ルノワール作)

ステファン・ジョバンニの作品
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ヒエロニムス・ボスの祭壇画(修復中表示?)
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ベラスケスの作品
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マネの作品
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ドガの作品
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彫刻、陶磁器、ガラス器、調度品も多数展示されていました。それらに興味のある方は、そちらも楽しめると思います。ここを訪れないと見られないという程の作品はありませんでした。

 2013年3月にアッカデミア美術館(ベネツィア)を訪問しました。今回は、ティッツアーノ・ヴェチェッリオ「ピエタ」を紹介します。
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1488~1576年)はヴェネツィア派、或いはルネッサンスを代表する画家の一人です。
 ティツィアーノ・ヴェチェッリオはヴェネツィア共和国ベッルーノ近郊ピエーヴェ・ディ・カドーレで、ピエーヴェ・ディ・カドーレ城の管理者の長男に生まれました。父親は評議員で軍人と言う名士でした。10歳チョットの時に弟とヴェネツィア在住の叔父の元に行き、ジョヴァンニ・ベリーニの下で修業しました。その後ジョルジョーネの助手となり、やがて共同制作者となりました。ジョルジョーネが1510年に、ベリーニも1516年に死去すると、ティツィアーノ・ヴェチェッリオはヴェネツィア派を代表する画家となりました。晩年にはスペイン王フェリペ2世の下で主に暮らしました。  
 「ピエタ」は当初キリストと聖母マリアを描いただけの作品だった。その後自分の埋葬される教会・礼拝堂で揉めて、一度自分が引き取った。最終埋葬礼拝堂をイメージして、キャンバスと画面を大幅に拡大した。周りの神殿や天使を追加したが、完成前に亡くなった。ティッツアーノの作品模写などで修業していたパルマ・イル・ジョーヴァネ(1549年生まれの27歳)が最低限の加筆で完成させた。経緯は、キリストの下の石の銘文に記されている。
  最晩年の未完成数作品は、この作品と似た色調とラフなタッチで描かれています。作者の若い頃の画風とはかなり違います。最後の上塗りが施されていないのか、80歳を超えた老化(白内障)によるのか、自分の死を予感した画風変化か、飾られる場所(礼拝堂)を意識して粗いタッチにしたか、本人に聞かないと分からない変化です。
ピエタ(ティツィアーノ・ヴェチェッリオ、1576年作)
ピエタ ティッツァーノ作

 2016年6月 シュテンベルク宮殿(プラハ)を訪問しました。シュヴァルツェンベルク宮殿で「向かいに見える建物のかどを通っていけ。」と聞いたので、建物の前でウロウロしました。正面左側にかどが見えましたが、それよりも手前に通路(下り坂)があってシュテンベルク宮殿の表示がありました。表示に従って行くと鉄格子の門があり、シュテンベルク宮殿の表示とクラナッハの絵のコピーがありました。後から分かったのですが、どうも裏口(裏門)だったようです。
シュテンベルク宮殿の裏門
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 恐る恐る鉄格子の扉を押すと建物に入れました。ヨーロッパ絵画を紹介します。
哀悼(ロレンツォ・モナコ作)

東方三博士の礼拝(シント・ヤンス作)

聖フロリアヌスの殉教(アルブレヒト・アルトドルファー作)

読書する学者(レンブラント・ファン・レイン作)

マグダラのマリア(ヤン・ホッサ―ルト、16世紀作)
美術館訪問記-154 プラハ国立美術館-シュテルンベルク宮殿
自画像(ジュゼッペ・アルチンボルド作)

キリスト(エル・グレコ作)
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盲人の寓話(ピーテル・ブリューゲル子作)
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農民の乱闘(ピーテル・ブリューゲル子、1620年作)
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アンブロジア・スピノラ(ピーテル・パウル・ルーベンス作)
聖トーマスの殉教(ピーテル・パウル・ルーベンス、1630年代作)
Peter Paul Rubens - Martyrdom  ...
海辺の聖アウグスティヌス(ピーテル・パウル・ルーベンス作)

 大作はありませんでしたが、西ヨーロッパの16,17世紀の絵も結構展示されていました。

ドイツ・オーストリア展示室の絵画を追加で投稿します。
ドイツ・オーストリア絵画展示室入口
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薔薇冠の祝祭(アルブレヒト・デューラ、1506年作)
 この絵が当館で一番有名な絵のようです。デューラーの大作は少ないし、素晴らしい完成度です。
アダムとエヴァ(ルーカス・クラナッハ作)
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聖ヒエロニムス(ルーカス・クラナッハ作)
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エレオノーラ・ディ・トレド(アーニョロ・ブロンズィーノ、1545年作)
Bronzino. Eleanor Toledskaya. OK. 1545. National Gallery. Prague
 デューラーもクラナッハも、ルネッサンスの時代と重なっています。日本ではルネッサンスが話題になりやすいですが、同時期にこのレベルの絵が描けたのです。宗教の影響が強かった地域でも、絵画の技術は高まっていたのですネ。

 2013年3月にアッカデミア美術館(ベネツィア)を訪問しました。今回は、ヒエロニムス・ボス作「隠遁する聖人たちの三連画」を紹介します。
 ヒエロニムス・ボス(1450年頃~1516年)は、ベルギー国境近くの地方都市で画家一族に生まれました。祖父、父、三人の叔父、兄も画家であったようです。裕福な家の娘と結婚し、「聖母マリア兄弟会」に入会して幹部となっていたようです。「兄弟」と入っているのと既存教会に問題視していることから、フランシスコ会に近い団体と思われます。聖フランチェスコが弟子などと「兄弟」と呼び合っていたからです。「フランシスコ会」は、自ら達を「小さき兄弟会」と呼んでいました。
 ヒエロニムス・ボスの心には、堕落した既存教会への反発、聖人への尊敬、最後の審判への恐れがあったと思われます。それを絵画に表現しました。その際既存教会から迫害されるのを恐れ、難解な比喩・描き換えを行いました。それが、シューリアリスムを連想させると考えます。既存教会勢力(多額の寄付や教義を盾にした制約)に困っていた王侯貴族が、彼の絵に共感して争って依頼・購入しようとしました。
 「隠遁する聖人たちの三連画」は、枢機卿のドメニコ・グリマーニのコレクションに入っていた。委嘱したパトロンの可能性もある。この祭壇画も火災に遭っていて、相当傷んでいる。左翼は聖アントニウスと地獄の生物や裸婦が描かれている。聖アントニウスの誘惑を意識して描かれている。右翼は、聖アエギディウスが描かれている。小鹿が受ける筈だった矢を胸に受けている。身体障害者や乞食などの守護聖人です。中央パネルには聖ヒエロニムスが描かれている。キリストの十字架に祈っている。三人三様に信仰を貫いている様子を描いています。禁欲的な枢機卿ならば委嘱しそうな作品です。この祭壇画も、ヴェネツィアのドゥカーレ宮殿に飾られていたようです。ドメニコ・グリマーニは後のヴェネツィアの総督になったアンドレ・グリマーニの長男でした。枢機卿になった時も、父親が莫大な寄付を教皇にしたようです。ドメニコ・グリマーニは絵画彫刻を買い集め、父親の総督邸宅・政庁のドゥカーレ宮殿に飾ったようです。行動から考えて、この祭壇画を委嘱した人物は別にいそうです。
隠遁する聖人たちの三連画(ヒエロニムス・ボス、1493年頃作)

2016年6月 ヴェレトゥルジューニー宮殿(プラハ)を訪問しました。この美術館の中に、ムハの「スラヴ叙事詩」の展示室(別に入場料が必要)があります。「スラヴ叙事詩」以外のコレクション(常設展示)を紹介します。館内は写真が撮れましたが、綺麗さから公式ページのコピーを一部使いました。プラハ国立美術館は「たこ足」です。このヴェレトゥルジューニー宮殿には、19世紀~20世紀のヨーロッパ絵画+ムハ作品が展示されています。
ヴェレトゥルジューニー宮殿の玄関
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恋人たち(ピエール=オーギュスト・ルノアール作)
 ルノアールの美意識と男性の顔・女性の手(木陰の筈)から考えて、女性の顔色が青すぎるように思えます。画家は最後の仕上げ(上塗り)をするつもりだったと思います。何故この状態で残ってしまったのか興味が湧きます。
オン・フルールの港(シスレー作)

糸杉のある緑の麦畑(フィンセント・ファン・ゴッホ作)
こんにちは、ゴーギャンさん(ポール・ゴーギャン作)

恋人(ポール・ゴーギャン作)

ムーラン・ルージュにて(ロートレック作)

浜辺のダンス(ムンク作)
私自身(アンリ・ルソー作)
乙女(クリムト作)
マフを持つ女(クリムト作)
スラーヴィア(アルフォンス・ムハ作)

スラーヴィアの前で記念撮影
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赤い卵(ココシュカ作)

膝を挙げて座る女性(シーレ作)
 他にピカソやシャガールの作品の展示もありましたが、真作とは思えない程の違和感がありました。紹介を控えさせていただきます。

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