2013年3月にパラティーナ美術館(ピッティ宮殿内/フィレンツ)を訪問しました。今回は、ピーテル・パウル・ルーベンス作「戦争の恐怖」を紹介します。
ピーテル・パウル・ルーベンス(1577~1640年)は、ドイツ ケルン郊外のジーゲンで生まれました。父はネーデルランド総督のプロテスタント迫害を避けて、アントウェルペンからケルンに逃れて来た法律家でした。父親が1587年に亡くなると、家族は間もなくアントウェルペンに戻りました。
生活が苦しく、ピーテル・パウル・ルーベンスは1590年(13歳)にフィリップ・ファン・ラレング未亡人の小姓に出されました。そこで芸術的素養を認められ、アントウェルペンの画家に弟子入りすることになりました。その後経緯は良く分かりませんが、合計3人の画家に師事しました。ハンス・ホルバインの木版画やラファエロの絵画模写で修業したようです。
1598年(21歳)でアントウェルペンの画家ギルドの聖ルカ組合に入会しました。1600年にマントヴァ公の支援でイタリアに留学して、有名作品の模写をしました。1603年にマントヴァ公から外交官としてスペインに派遣され、ラファエロやティッツアーノの名品を見る機会を与えられました。1604年から4年間再度イタリア留学をしました。母が倒れた為、1608年にアントウェルペンに帰国しました。アントウェルペンで工房を構える許可を得て、1610年に工房(現在のルーベンスの家)を建てました。工房にアンソニー・ヴァン・ダイクが弟子入りして、ルーベンスが亡くなった後には工房を引き継ぎました。
「戦争の恐怖」はフェルディナンド2世・デ・メディチの為に描かれました。兜・盾・剣を身に着けた軍神マルスを、ヴィーナスが押しとどめています。マルスは書物を踏みつけ、音楽奏者や庶民を押し倒しています。まさに戦争の恐怖を表しています。
当時ドイツでカソリック教会派とプロテスタント派の争いが起こったのが切っ掛けで、ヨーロッパじゅうで独立戦争や領地争いが続きました。三十年戦争と呼ばれました。ネーデルランドの外交官もしていたルーベンスが、フェルナンド2世・デ・メディチの為にこの絵を描きました。イタリアのトスカーナ大公にこの全面戦争を終息させる力はありません。恐らく弟の枢機卿と共に、ローマ教皇に戦争終結の働きかけをする事を期待したのだと思います。
「戦争の恐怖」はフェルディナンド2世・デ・メディチの為に描かれました。兜・盾・剣を身に着けた軍神マルスを、ヴィーナスが押しとどめています。マルスは書物を踏みつけ、音楽奏者や庶民を押し倒しています。まさに戦争の恐怖を表しています。
当時ドイツでカソリック教会派とプロテスタント派の争いが起こったのが切っ掛けで、ヨーロッパじゅうで独立戦争や領地争いが続きました。三十年戦争と呼ばれました。ネーデルランドの外交官もしていたルーベンスが、フェルナンド2世・デ・メディチの為にこの絵を描きました。イタリアのトスカーナ大公にこの全面戦争を終息させる力はありません。恐らく弟の枢機卿と共に、ローマ教皇に戦争終結の働きかけをする事を期待したのだと思います。
大傑作とまでは言えないですが、名品・傑作が多数所蔵・展示されていました。




