世界美術館巡り旅

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2024年12月

 2013年3月にパラティーナ美術館(ピッティ宮殿内/フィレンツ)を訪問しました。今回は、ピーテル・パウル・ルーベンス作「戦争の恐怖」を紹介します。
 ピーテル・パウル・ルーベンス(1577~1640年)は、ドイツ ケルン郊外のジーゲンで生まれました。父はネーデルランド総督のプロテスタント迫害を避けて、アントウェルペンからケルンに逃れて来た法律家でした。父親が1587年に亡くなると、家族は間もなくアントウェルペンに戻りました。
 生活が苦しく、ピーテル・パウル・ルーベンスは1590年(13歳)にフィリップ・ファン・ラレング未亡人の小姓に出されました。そこで芸術的素養を認められ、アントウェルペンの画家に弟子入りすることになりました。その後経緯は良く分かりませんが、合計3人の画家に師事しました。ハンス・ホルバインの木版画やラファエロの絵画模写で修業したようです。
 1598年(21歳)でアントウェルペンの画家ギルドの聖ルカ組合に入会しました。1600年にマントヴァ公の支援でイタリアに留学して、有名作品の模写をしました。1603年にマントヴァ公から外交官としてスペインに派遣され、ラファエロやティッツアーノの名品を見る機会を与えられました。1604年から4年間再度イタリア留学をしました。母が倒れた為、1608年にアントウェルペンに帰国しました。アントウェルペンで工房を構える許可を得て、1610年に工房(現在のルーベンスの家)を建てました。工房にアンソニー・ヴァン・ダイクが弟子入りして、ルーベンスが亡くなった後には工房を引き継ぎました。
 「戦争の恐怖」はフェルディナンド2世・デ・メディチの為に描かれました。兜・盾・剣を身に着けた軍神マルスを、ヴィーナスが押しとどめています。マルスは書物を踏みつけ、音楽奏者や庶民を押し倒しています。まさに戦争の恐怖を表しています。
 当時ドイツでカソリック教会派とプロテスタント派の争いが起こったのが切っ掛けで、ヨーロッパじゅうで独立戦争や領地争いが続きました。三十年戦争と呼ばれました。ネーデルランドの外交官もしていたルーベンスが、フェルナンド2世・デ・メディチの為にこの絵を描きました。イタリアのトスカーナ大公にこの全面戦争を終息させる力はありません。恐らく弟の枢機卿と共に、ローマ教皇に戦争終結の働きかけをする事を期待したのだと思います。
戦争の恐怖(ピーテル・パウル・ルーベンス、1637年作)
聖家族(ピーテル・パウル・ルーベンス作)
Rubens,聖家族
 大傑作とまでは言えないですが、名品・傑作が多数所蔵・展示されていました。

 ヴィクトリア国立美術館(メルボルン)を紹介します。南半球で最も古く(1861年設立)、南半球で最も多く名画を所蔵しています。オーストリアで唯一と言っても良い美術館です。訪問できるか微妙なので、所蔵名画を紹介してしまいます。
室内の聖母(伝ヤン・ファン・エイク、1433年作)
聖母の腕の中のキリスト(ハンス・メムリンク、1475年作)

聖母子と洗礼者ヨハネ(伝コレッジオ、1514~15年作)
紅海の渡海(二コラ・プッサン、1634年作)

論争する二人の老人(レンブラント・ファン・レイン、1528年作)

クレオパトラの饗宴
(ジョヴァンニ・ダティスタ・ティエポロ、1743~44年作)

10月(バスティアン・ルパージュ、1878年作)
ヴェトユールの風景(クロード・モネ、1879年作)
ジェネヴィラ―の平原(ギュスターヴ・カイユボット、1884年作)

モンマルトルの通り、朝、曇り(カミーユ・ピサロ、1897年作)

バッファロー・レンジ(ニコラス・シェヴァリエ、1864年作)

雄羊の毛刈り(トム・ロバーツ、1890年作)

パープルの正午の透明な力(アーサー・ストリートン、1896年作)
南半球でよくぞ収集したとの印象です。

 2013年3月にパラティーナ美術館(ピッティ宮殿内/フィレンツ)を訪問しました。今回は、アンドレア・デル・サルト作「聖人たちの居るピエタ」を紹介します。
 アンドレア・デル・サルト(1486~1531年)はフィレンツェ派に数えられる画家です。日本では余り知られていませんが、同世代のミケランジェロやラファエロがローマに行って活躍した時代に、フィレンツェに残ってフィレンツェ派を存続させました。作品には宗教画が多く、肖像画がいくつか残っている程度です。
 幼い頃の記録は残っていませんが、名前からフィレンツェの仕立て屋の息子として生まれたと推定されます。ピエロ・ディ・コジモに師事して、遅くとも1510年(24歳)までには独り立ちしたようです。1510年以降の作品が残っています。
 絵の中の人物が非常に人間性を感じるのが、この画家の特徴のようです。非常に多種多様な表情(微笑み、訴える等)を的確に描き分けていることから受ける印象と思われます。
 1518年にランス王フランソワ1世に招かれて、フォンテーヌブローに行ったようです。1520年にフィレンツェで画業を再開したようです。
 「聖人たちの居るピエタ」では磔刑から降ろされたキリストを、洗礼者ヨハネが背中を支えています。聖母マリアがキリストの腕を支えています。後ろには聖ペテロと聖パウロが経っています。キリストの足元には、マグダラのマリアが跪いています。その後ろには、アレキサンドリアの聖カタリナが跪いています。聖母マリアの容貌が、年相応に描かれています。生真面目な性格だったのでしょう。
聖人たちの居るピエタ(アンドレア・デル・サルト、1523~24年作)
ピエタアンドレア・デル・サルト 聖人と

 アルゼンチン国立美術館(ブエノスアイレス)を紹介します。日本から最も遠く、南米で唯一の世界110大絵画美術館です。訪問してこの眼で確認してから紹介するのを基本原則としてきましたが、この美術館に行けるような気がしません。公式ホームページから所蔵作品のコピーを紹介します。私と一緒に、行った気持ちになりましょう。
アルゼンチン国立美術館正面
イメージ 1
若い女性の肖像(レンブラント・ファン・レイン、1684年作)
オリーブの庭のキリスト(エル・グレコ)
驚くニンフ(エドアール・マネ、1861年作)

アルジャントゥイユの橋(クロード・モネ、1875年作)
ムーラン・ド・ラ・ギャレット
(フィンセント・ファン・ゴッホ、1886年作)
海の女(ポール・ゴーギャン、1887年作)

二人の踊り子(エドガー・ドガ、1887年作)

ベルグラーノの洗濯場(プリリディア―ノ・プエイレドン、1865年作)

貧しい人々のスープ(レイナルド・ジュディチ、1884年作)

マロンの帰還(アンヘル・デラ・ヴァッレ、1892年作)

ランチタイム(ピオ・コリヴァディーノ、1903年作)

 2013年3月にパラティーナ美術館(ピッティ宮殿内/フィレンツ)を訪問しました。今回は、ホセ・デ・リベーラ作「アッシジの聖フランシス」を紹介します。
 ホセ・デ・リベーラ(1591~1652年)は、カラヴァジスト(カラヴァッジョ風画家)のスペイン人画家です。作品の間には、カラヴァッジョが描いたかと思わせる絵があります。
 ホセ・デ・リベーラは、スペイン バレンシア近郊で靴職人の息子に生まれました。若い頃はバレンシアで(恐らく)フランシスコ・リバルタに師事しました。イタリア北部のロンバルティアを遍歴して、1610年頃(20歳前後)にパルマに移住しました。そのころには、カラヴァジスト(カラヴァッジョ風画家)として名が知られていたようです。1613年に(22歳で)ローマのサン・ルカ・美術アカデミーの会員に登録されました。1616年にスペイン領だったナポリに移住して、ナポリ派と呼ばれるようになりました。その後ムリーリョの名声により、忘れ去られていきました。
 アッシジの聖フランシス(1182~1226年)はフランシスコ会の創設者です。「裸のキリストに裸で従う」を信条として、清貧・改悛と神の国をモットーに布教しました。天を見上げて、髑髏を持っています。
アッシジの聖フランシス(ホセ・デ・リベーラ、1643年作)
リベラ作瞑想する聖フランシス  

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