世界美術館巡り旅

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2024年12月

 2013年3月にブレラ美術館(ミラノ)を訪問しました。今回は、ヤコポ・ティントレット作「十字架に祈る聖ヘレナと聖バルバラ」を紹介します。
 ヤコポ・ティントレット(1518~1594年)はルネッサンス後期のヴェネツィア派画家です。登場人物の動きを適格に描写して、ダ・ヴィンチやティッツアーノから更に進歩したという印象です。特に二点消失遠近法駆使では、独壇場です。
 ヤコパ・ティントレットは1518年にヴェネツィアの染物屋の息子として生まれました。ティントレットとは、「染物屋の息子」とう意味です。ティッツアーノに師事して、1539年に(21歳で)マエストロを自称しました。独り立ちしたと思われます。
 「十字架に祈る聖ヘレナと聖バルバラ」にはティントレット得意の二点消失遠近法を使っていません。奥行き感の無い作品です。聖ヘレナは320年頃にゴルゴダに巡礼して、キリストの十字架を発見したと伝わります。ローマ皇帝コンスタンティヌス・クロルスの捕虜に囚われ、その後妾となった。やがてコンスタンティヌス・クロルスが亡くなり、彼女の息子のコンスタンティヌスが副帝となった。313年に国教がキリスト教に変更になると、息子から十字架を捜索するように言われた。その結果、十字架・釘・槍・三博士の遺骸も発見した。それらの奇跡により、ギリシャ正教・カソリック共に聖人に列挙された。20世紀半ば過ぎに奇跡の実在性を示す証拠がないことから、カソリックの聖人からは外された。聖バルバラはキリスト教を信じたが、父親から塔に閉じ込められた。やがて剣で殺され殉教した。右側の女性が塔を抱えているので、聖バルバラです。左側が、聖ヘレナです。左奥が洗礼者ヨハネ、左前が聖パウロかと思います。右下の黒い服装の人物が、寄進者・委嘱者と思われます。右上の聖人が、寄進者の守護聖人かと思われます。特徴が少なく、判定できません。ヴェネツィアの守護聖人の福音書記者聖マルコの可能性も考えましたが、そうとも決めきれませんでした。
 人物の顔や手先を見るとティントレット作品かと思われますが、それ以外は手抜きのように見えます。原因は分かりません。
十字架に祈る聖ヘレナと聖バルバラ(ヤコポ・ティントレット、1560年頃作)
十字架に祈る聖ヘレナと聖バルバラ ヤコポ・ティントレット

 2016年6月 アテネウム美術館(ヘルシンキ)を訪れました。アテネウムとは「アテネ風」という意味で、フィンランド国立美術館の扱いのようです。フィランド人画家作品の展示がメインとなっていました。古典作品は展示されていませんでした。19世紀以降の作品ばかりでした。
アテネウム美術館正面前景(Wikipediaから)

アテネウム美術館前景
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ヘルシンキ中央駅からは、道を渡った向かい側にありました。
アテネウム美術館玄関で記念写真
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この美術館の最大の目玉は、次の作品のようです。
              傷ついた天使(ヒューゴ・シンベリ、1903年作)

快復期(ヘレン・シャフルベック、1888年作)

闘う雷鳥(フェルディナンド・フォン・ライト、1886年作)

オペラ歌手イダ・バジラー(マリア・ヴィーク、1887年作)

野焼き(エーロ・ヤルネフェルト、1893年作)

レミンカイネンの母(アクセリ・がッレン=カッレラ、1897年作)

フィンランド以外の画家作品は少なかった。
エスタックの道路橋、エスタック近くの高架橋
(ポール・セザンヌ、1879~82年作)

オーヴェル=シュル=オワーズの道
(フィンセント・ファン・ゴッホ、1890年作)

画家レオポルド・シュルヴァ―ジュの肖像
(アメディオ・モディリアーニ、1918年作)

豚と馬の居る風景(ポール・ゴーギャン作)
額装絵画 - ポール・ゴーギャン - ドミニカ共和国の風景または豚と馬のいる風景、50 x 60 cm
ジニー(アリス・アニール、1984年作)
アリス・ニール
吹き抜けの風景
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美術学校の卒業生作品らしき展示
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20世紀以降フィンランド人画家の作品が多く展示されていました。

 2013年3月にブレラ美術館(ミラノ)を訪問しました。今回は、アンニーバレ・カラッチ作「キリストとサマリアの女」を紹介します。
 アンニーバレ・カラッチ(1560~1609年)は初期バロック時期のイタリア ボローニャ派の画家です。作品を見ると、劇的な場面を描きたいという意欲が強く表れています。
 アンニーバレ・カラッチはボローニャで、画家一家に生まれました。兄がアゴスティーノ・カラッチ、従妹がルドヴィーコ・カラッチでそれぞれ画家です。バルトロメオ・パッサロッティの下で修業したようです。1585年頃カラッチ一族はボローニャに、アカデミア・デリ・インカミナーティを設立しました。実態は学校と言うより、工房に近かったようです。デッサンなどの基礎を教え、グイド・レーニ、ドメニキーノ、グエルチーノなどの著名画家を輩出しました。1595年にローマに出ました。1597年ファルネーゼ宮殿の天井装飾を受注して、弟子とともに制作に励みました。報酬が予想以上に安く、うつ病になったと伝わります。
 「キリストとサマリアの女」は兄のアゴスティーノ・カラッチ作「キリストと姦淫の女」と従弟のルドヴィコ・カラッチ作「キリストとカナンの女」でキリスト三部作と呼ばれたりしているようです。キリスト教旧約聖書に書かれた逸話を基に描かれています。三人は同じ工房を経営していたので、一括りに扱われたのかもしれません。キリストがサマリアの井戸に水汲みに来た女性に、「水を飲ませてくれ。」と言ったという逸話を基に描かれています。アンニーバレ・カラッチの画風が、発色が一番良いです。
キリストとサマリアの女(アンニーバレ・カラッチ,、1594~95年作)
アンニーバレ・カラッチThe_Samaritan_Woman_at_Well
キリストと姦淫の女(アゴスティーノ・カラッチ作)
Image of Jesus Christ and the woman taken in adultery (oil on by ...
キリストとカナン人の女(ルドヴィコ・カラッチ作)
IMG_7319J Ludovico Carracci. 1555-1619. Bologne | Ludovico C… | Flickr

 一度投稿しましたが、写真を追加して再投稿します。
 2015年11月にプーシキン美術館(モスクワ)を訪問しました。印象派/後期印象派画家の作品に集中して、質の高い作品が多く展示されていました。
本館の建物から細い道を隔ててヨーロッパ絵画館が建てられて、そこに展示されていました。
プーシキン美術館本館(Wikipediaから)
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プーシキン美術館本館正面
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19~20世紀ヨーロッパ・アメリカ美術ギャラリー前景(Wikipediaから)
ヨーロッパ絵画館入口

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エステルの饗宴に於けるアハシュエロス王とハマン
(レンブラント・ファン・レイン、1660年作)

アポロンとマルシュアスの居る風景(クロード・ロラン、1639年作)

ユピテルとカリスト(ブーシェ作)

草上の昼食(クロード・モネ、1866年作)
草上の昼食
女優ジャンヌ・サマリーの肖像
(ピエール=オーギュスト・ルノワール、1877年作)

黒い服の娘達(ピエール=オーギュスト・ルノワール作)

ムーラン・ド・ギャレットの庭で(ピエール=オーギュスト・ルノワール)

写真スタジオでポーズをする踊り子(エドガー・ドガ作)

セーブル橋とクラマールの丘 サン=クルーとベルヴェの眺め
(アンリ・ルソー作)
赤い葡萄畑(フィンセント・ファン・ゴッホ作)

刑務所の中庭(フィンセント・ファン・ゴッホ作)

アルルの夜のカフェにて(フィンセント・ファン・ゴッホ、1889年作)
アルルの夜のカフェにて
ピエロとアルルカン(ポール・セザンヌ作)
オリエンタル・カーペットの上の塑像と花瓶(アンリ・マティス、1908年作)

金魚(アンリ・マティス作)
生命感溢れる水の中: マティスの「金魚」紹介 | たそがれ君の ...

 2013年3月にブレラ美術館(ミラノ)を訪問しました。今回は、カルロ・クリヴェッリ作「蝋燭の聖母」と「サント・ドメニコ・ディ・カメリーノの祭壇画」を紹介します。
 カルロ・クリヴェッリ(1430年頃~1495年)はヴェネツィアで生まれ、パドヴァ派のフランチェスコ・スクァルチォーネの弟子に当たります。アンドレア・マンテーニャとは、兄弟弟子に当たります。ゴシックの影響を強く受けながら、斬新な絵を描いたルネッサンス画家です。弟のヴィットリオ・クリヴェッリも画家で、祭壇画などを残しています。こちらはおとなしい画風の絵を描きました。カルロ・クリヴェッリの私生活は可成りハチャメチャで、二十代で(1457年に)船員の妻を誘拐して6ケ月投獄されたようです。その後ユーゴスラビア等を放浪して、イタリア中部東側のマルケ州に定住しました。マルケ州のウルビーノや地方都市の教会からの祭壇制作を引き受けました。
 「蝋燭の聖母」は1492年頃カメリーノ大聖堂多翼祭壇画の主パネルとして、制作されました。ナポレオン軍の侵略で破損して、バラバラになったようです。1480年制作「サント・ドメニコ・ディ・カメリーノの祭壇画」に類似した構成になっていたと思われています。カルロ・クリヴェッリは斜め横から見た顔を描くのが多いのですが、何故かこの絵では正面斜め下を見ています。
 幼いキリストの持っている洋梨は、人類救済・受難・復活の象徴です。自分の運命を理解しているということでしょう。聖母の周りに飾られているのは、エデンの園の知恵の実です。愛欲・食欲・名誉欲などの象徴です。聖母はそれらを、更に足元のリンゴも見ていません。見つめているのは正面の百合とバラです。これらは純潔の象徴です。足元の蝋燭は、神への感謝の象徴です。他の作品と違ってこの絵の聖母が強張って正面下だけを見ているのは、どうやら「無原罪のお宿り」と似たような意味を持っていそうです。周りのパネルは、受胎告知、エリザベート訪問、洗礼者ヨハネなどで構成されていたと思われます。
蝋燭の聖母(カルロ・クリヴェッリ、1492年頃作)
蝋燭の聖母 再生の聖母 カルロ・クリヴェッリ作
サント・ドメニコ・ディ・カメリーノの祭壇画(カルロ・クリヴェッリ、1482年作)

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