世界美術館巡り旅

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2024年10月

 デトロイト美術館に訪問しようかどうか迷っていました。デトロイトの治安が悪いとの評判が高いからです。公式HPを事前調査しました。作品を紹介します。
デトロイト美術館前景(Wikipediaから)
聖ヒエロニムス(ヤン・ファン・エイク、1442年作)

茨の聖母(マスター・オブ・フランクフルト、15世紀作)

聖カタリナの神秘の結婚(コレッジオ、1512年頃作)
聖クリストフォロス(ルーカス・クラナッハ 父、1518~20年作)
野外での婚礼の踊り(ピーター・ブリューゲル子?、1566年作)
描写と色合いから、子供の方のピーター・ブリューゲルと思われる。
マルタとマグダラのマリア
(ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ、1598年頃作))

画家の兄フィリップ・ルーベンス
(ピーテル・パウル・ルーベンス、1611~12年作)

貴人の肖像(ディエゴ・ベラスケス、1623年作)
エリザベート訪問(レンブラント・ファン・レイン、1640年作)
ユダヤ人墓地(ヤーコプ・ファン・ロイスダール、1657年作)

夢魔(ヨハン・ハインリヒ・フュースリー、1781年作)
ワトソンと鮫(ジョン・シングルトン・コプレー、1782年作)

バイオリニストと若い女性(エドガー・ドガ、1870~72年作)
水浴する人々(ポール・セザンヌ、1879年作)
麦わら帽子を被った自画像(ヴィンセント・ファン・ゴッホ、1887年作)

郵配達人のジョセフ・ルーラン(ヴィンセント・ファン・ゴッホ、1888年作)

木の実集め(ウィリアム・アドルフ・ブグロー、1888年作)
自画像(ポール・ゴーギャン、1893年作)
ドガの作品
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質の高い絵が所蔵されています。収集した人の眼力が確かだったのだろうと思います。写真で見る限り絵も非常に綺麗です。修復やクリーニングが適切のされているのだと思います。一流の美術館だと思います。行きたいなーと思います。

 2013年3月3月にウフィツィ美術館(フィレンツェ)を訪問しました。今回は、ロヒール・ファン・デル・ウェイデン作「キリストの哀悼」を紹介します。
 ウェイデンは初期フランドル派の画家で、15世紀後半にはヤン・ファン・エイクよりその名声が高かったようです。現代ではロベルト・カンピン、ヤン・ファン・エイクと並んで、初期フランドル派三大巨匠とみなされています。
 ロヒール・ファン・デル・ウェイデン(1399~1464年)は、ネーデルランドのトゥルネー(現在のベルギー国内)で刃物職人の息子として生まれました。1426に結婚して、二人の子供に恵まれました。1427~32年の間ロベルト・カンピンの下で修業したという説がありますが、違うという説もあります。1432年頃トゥルネーの芸術家ギルド聖ルカ組合にマイスターとして登録されました。独り立ちしたようです。1435年にブリュッセルに移住し、翌年ブリュッセルの公式画家に認定されたようです。代表作の「十字架降架」が1435年に描かれて、それ以前の絵は残っていません。1435年(35歳)で画力・技量は完成の域となっています。修行中の絵は残っていません。
十字架降架
(ロヒール・ファン・デル・ウェイデン、1435年作、プラド美術館蔵)
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 「キリストの哀悼」はロレンツ・デ・メディチが1492年に死去した際の財産目録に入っていた絵と考えられています。1450年にウェイデンがイタリア訪問した際メディチ家から受注した数作品の内の一つと考えられています。聖母マリアと洗礼者ヨハネに支えられたキリストの遺骸が埋葬される場面です。キリストの足元にマグダラのマリアが跪いています。キリストの後ろに、アリマタヤのヨセフとニコデモが立っています。洗礼者ヨハネの足元の板やマグダラのマリアの足元は、上から見た画面です。キリストとマリアより奥の視点とは違っています。この時点では一点消失遠近法を完全には理解していなかったようです。35歳の時の作品「十字架降架」と比べると画力が落ちています。60歳以上になっていたので、弟子や工房の作品でしょうか?
キリストの哀悼(ロヒール・ファン・デル・ウェイデン、1460~63年作)

 サンディエゴ美術館を訪問出来ていません。調査をしましたので、紹介します。
サンディエゴ美術館前景(公式HPから)
サンディエゴ美術館 クチコミ・アクセス・営業時間 ...
聖者と聖母子(フラ・アンジェリコ作)
キリストの捕縛(ヒエロニムス・ボス工房、1515年頃作)

男の肖像(ジョルジョーネ作)

聖ペテロ(エル・グレコ作)

アイザック・アブラハムズの肖像(フランス・ハルス、1635年頃作)
アイザック・アブラハムズの肖像画の画像。マッサ
マルメロ、キャベツ、メロン、キュウリ(ファン・サンチェス・コタン、1602年作)

スザンナと老人たち(ホセ・デ・リベーラ作)

聖家族と聖フランシスコ、聖アンヌ、洗礼者ヨハネ
(ピーター・パウル・ルーベンス、1625年頃作)
聖家族と聖フランシスコ、アンヌ、洗礼者ヨハネのイメージ
アエネアスと彼の父、トロイアから逃げる(シモン・ヴィ―エ、1635年頃作)

神秘の子羊(フランシスコ・スルバラン、1635~40年作)

イギリスのヘンリエッタ・マリア女王
(アンソニー・ヴァン・ダイク、1636~38年作)

マグダラのマリア(ムリーリョ作)

パドヴァの聖アントニオの透視(ジャンヴァッティスタ・ピット―二、1730年作)

サン・マルコ湾の埠頭(カナレット作)

ビセンテ・マリア・デ・ベラ・アラゴン、ドゥケ・デ・ラ・ロカ
(フランシスコ・デ・ゴヤ、1795年頃作)

オルナン近くのルー川の鏡(クールベ作)

若い羊飼い(ブーグロー作)

静物(ホセ・アグスティン・アリエタ、1870年頃作)

日の出のシャィイの干し草の山(クロード・モネ作)

髪をとかす女(ピエール=オーギュスト・ルノワール、1907年作)

しゃがむ赤毛の裸婦(ロートレック作)

赤い花(アレクセイ・フォン・ヤウレンスキー、1910年作)

青い目の少年(アメディオ・モディリアーニ作)

読書する裸婦(ロバート・ドローネー、1915年作)

 2013年3月3月にウフィツィ美術館(フィレンツェ)を訪問しました。今回は、フィリッピーノ・リッピ作「オットーの祭壇画」を紹介します。
 フィリッピーノ・リッピ(1457~1504)は、著名なルネッサンス画家のフィリッポ・リッピの息子です。親の七光りではなく、自身も優れた作品を残しています。
 フィリッピーノ・リッピは1457年にトスカーナ州プラートで生まれ、父の弟子だったサンドロ・ボッティチェリに師事しました。程なくメディチ家のお抱え画家になりました。超エリート・コースを歩みました。
 「オットーの祭壇画」はヴェッキオ宮殿(フィレンツエ市庁で当時はメディチ家の宮殿)審議の間に飾る為、ポッライオーロ→レオナルド・ダ・ヴィンチ→ギルランダイオに委嘱されました。ダ・ヴィンチは前金まで受け取っていた記録がありましたが、契約解除となりました。最後にフィリッピーノ・リッピに委嘱され、完成しました。次々と破談となった理由の記録は残っていません。
 「オットーの祭壇画」は「8人の祭壇画」とも呼ばれ、聖母子・四聖人・二天使の8人に因むようです。四聖人は左から、洗礼者ヨハネ・聖ヴィトレ・聖ベルナルト・聖ザノービです。洗礼者ヨハネはフィレンツェの守護聖人です。聖ザノービはフィレンツェ教区の守護聖人です。聖ヴィトレ(聖ヴィート)と聖ベルナルトは、ヴェルフ党(グエルフィ党ともいうローマ教皇派の組織)の守護聖人です。この二人の聖人が、この祭壇画の謎解きのキーとなります。更に、祭壇画が礼拝堂ではなく審議の間に飾られた理由も物語っています。中世初頭イタリアの各都市・国家は、ローマ教皇派とローマ皇帝派に分かれていました。フィレンツエはローマ教皇派のヴェルフ党が実効支配していました。銀行家出身貴族のメディチ家が15世紀に勢力を伸ばし、フィレンツェの実効支配者となりました。1486年は丁度その頃で、これ以降ローマ教皇と衝突して戦争になりました。ヴェルフ党はローマ教皇の睨みで、フィレンツェにも何とか存続していました。この後ヴェルフ党はメディチ家に従属して、16世紀半ばには完全に取り込まれました。これらの背景から、この祭壇画はヴェルフ党から委嘱されたと思われます。
 画面を見ると、聖母の上にフィレンツェの市章の赤い十字架があります。聖ベルナルトの持つ本には、「MEDICA(メディチ)」の文字が見えます。聖母の頭上の天井と玉座は、ホタテ貝の形です。批評家はフィリッピーノ・リッピの師匠のボッテッチェリ作「ヴィーナスの誕生」に引っ張られて、ヴィーナスを連想してしまったようです。それではこの祭壇画の意味が解けません。ホタテ貝は、聖大ヤコブのシンボルなのです。聖ヤコブは「反イスラム勢力・イスラム追放」の象徴です。ヴェルフ党の起源は十字軍のヴェルフ騎士団です。この祭壇画には、ローマ教皇は描かれていません。ヴェルフ党は「ヴェルフ党はフィレンツェ守護聖人・フィレンツェ教区守護聖人と共に、フィレンツェとメディチ家を守護する。」という宣言をこの絵に込めています。画面下部の本のようなものは、この絵の内容の宣言書と連判状だと思います。政治的宣言なので礼拝堂ではなく、審議の間に飾られたのです。
 メディチ家とヴェルフ党(ローマ教皇派)の争いを長年見て来た三人の巨匠は政争に巻き込まれるのを(反ローマ教皇のレッテルを貼られるのを)恐れ、この祭壇画の委嘱を最終的に断りました。フィリッピーノ・リッピの師匠のボッテッチェリはメディチ家と太いパイプを持っていました。恐らくボッテッチェリがメディチ家の意向を確認して、フィリッピーノ・リッピに制作を命じたか許可したと思われます。作品は素晴らしい出来栄えで、29歳のフィリッピーノ・リッピの名声を高めたと思います。
オットーの祭壇画(フィリッピーノ・リッピ、1486年作)
『オットの祭壇画』(1486年、フィリッピーノ・リッピ)

 2013年7月にフィラデルフィア美術館(フィラデルフィア)を訪問しました。映画「ロッキー」でロッキーが練習する姿で有名な美術館です。
フィラデルフィア美術館正面(Wikipediaから)
ロッキーの像
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聖痕を受けるアッシジのフランチェスコ(ヤン・ファン・エイクに帰属)

キリストの磔刑の二連祭壇画(ロヒール・ファン・デル・ウェイデン、1460年頃作)
ロレンツォ・ディ・セル・ピエロ・ロレンツィの肖像
(サンドロ・ボッティチェリ、1490~95年作)
縛られたプロメテウス(ピーテル・ポール・ルーベンス、1611~12年作)
ピエタ(エル・グレコ、1571~76年作)

最後の一滴(ユディト・レイステル、1629年作)

ヴィーナスの誕生(ニコラス・プッサン、1635~36年作)

燃える国会議事堂(J.M.W.ターナー、1835年作)

大水浴図(ピエール=オーギュスト・ルノワール、1884~87年作)

カーニヴァルの夜(アンリ・ルソー、1886年作)

ひまわり(ヴィンセント・ファン・ゴッホ、1889年作)
大水浴(ポール・セザンヌ、1898~1905年作)

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