2013年7月にワシントン・ナショナルギャラリー(ワシントン)を訪問しました。今回は、ピーテル・パウル・ルーベンス作「ライオンの穴の中のダニエル」を紹介します。
ピーテル・パウル・ルーベンス(1577~1640年)はドイツ西部で、アントウェルペン出身のプロテスタントの家に生まれました。父の死後家族とアントウェルペンに戻りました。13歳で伯爵未亡人の下へ小姓として出されました。伯爵未亡人がピーテルの芸術的素養を見込んで、アントウェルペンの聖ルカ組合に入会させました。その後三人の画家に師事しました。1600~1608年の間、イタリアとスペインで古典の模写などで学びました。その後アントウェルペンに戻り、工房(ルーベンスの家)を設け、数々の宗教画、肖像画を描きました。
「ライオンの穴の中のダニエル」は旧約聖書の記述を画題としています。紀元前539年にバビロンは、アケメネス朝ペルシャ王キュロス2世に征服されました。ユダヤ教の信者だったダニエルは有能で、キュロス2世に許されて重用されました。第三代王ダレイオス1世の時代に、側近からユダヤ教の神を祈っていることを密告されました。王は、ライオンの穴で一晩過ごす罪を与えました。信心深いダニエルはユダヤの神に祈り続け、翌朝無事でした。罪を許され、代わりに密告した側近と家族がライオンの穴に放り込まれたそうです。その故事で描いたと思われますが、依頼者は分かっていないようです。ダニエルは特に聖人でもないので、依頼者がイメージ出来ません。
人体の描き方がオーソドックスで、ルーベンス工房の作品というべきかも知れません。
ピーテル・パウル・ルーベンス(1577~1640年)はドイツ西部で、アントウェルペン出身のプロテスタントの家に生まれました。父の死後家族とアントウェルペンに戻りました。13歳で伯爵未亡人の下へ小姓として出されました。伯爵未亡人がピーテルの芸術的素養を見込んで、アントウェルペンの聖ルカ組合に入会させました。その後三人の画家に師事しました。1600~1608年の間、イタリアとスペインで古典の模写などで学びました。その後アントウェルペンに戻り、工房(ルーベンスの家)を設け、数々の宗教画、肖像画を描きました。
「ライオンの穴の中のダニエル」は旧約聖書の記述を画題としています。紀元前539年にバビロンは、アケメネス朝ペルシャ王キュロス2世に征服されました。ユダヤ教の信者だったダニエルは有能で、キュロス2世に許されて重用されました。第三代王ダレイオス1世の時代に、側近からユダヤ教の神を祈っていることを密告されました。王は、ライオンの穴で一晩過ごす罪を与えました。信心深いダニエルはユダヤの神に祈り続け、翌朝無事でした。罪を許され、代わりに密告した側近と家族がライオンの穴に放り込まれたそうです。その故事で描いたと思われますが、依頼者は分かっていないようです。ダニエルは特に聖人でもないので、依頼者がイメージ出来ません。
人体の描き方がオーソドックスで、ルーベンス工房の作品というべきかも知れません。



