世界美術館巡り旅

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2023年09月

 2013年7月にワシントン・ナショナルギャラリー(ワシントン)を訪問しました。今回は、ピーテル・パウル・ルーベンス作「ライオンの穴の中のダニエル」を紹介します。
 ピーテル・パウル・ルーベンス(1577~1640年)はドイツ西部で、アントウェルペン出身のプロテスタントの家に生まれました。父の死後家族とアントウェルペンに戻りました。13歳で伯爵未亡人の下へ小姓として出されました。伯爵未亡人がピーテルの芸術的素養を見込んで、アントウェルペンの聖ルカ組合に入会させました。その後三人の画家に師事しました。1600~1608年の間、イタリアとスペインで古典の模写などで学びました。その後アントウェルペンに戻り、工房(ルーベンスの家)を設け、数々の宗教画、肖像画を描きました。
 「ライオンの穴の中のダニエル」は旧約聖書の記述を画題としています。紀元前539年にバビロンは、アケメネス朝ペルシャ王キュロス2世に征服されました。ユダヤ教の信者だったダニエルは有能で、キュロス2世に許されて重用されました。第三代王ダレイオス1世の時代に、側近からユダヤ教の神を祈っていることを密告されました。王は、ライオンの穴で一晩過ごす罪を与えました。信心深いダニエルはユダヤの神に祈り続け、翌朝無事でした。罪を許され、代わりに密告した側近と家族がライオンの穴に放り込まれたそうです。その故事で描いたと思われますが、依頼者は分かっていないようです。ダニエルは特に聖人でもないので、依頼者がイメージ出来ません。
 人体の描き方がオーソドックスで、ルーベンス工房の作品というべきかも知れません。
ライオンの穴の中のダニエル(ピーテル・パウル・ルーベンス、1615年作)
ライオンの穴の中のダニエル-Sir_Peter_Paul_Rubens_

 2013年7月にワシントン・ナショナルギャラリー(ワシントン)を訪問しました。今回は、エル・グレコ作「ラオコーン」を紹介します。
 エル・グレコ(1541~1614年)はギリシャ領クレタ島で生まれ、1567年にヴェネツィアでティツィアーノに弟子入りしました。1576~77年の間ローマに住み、その後スペインに渡りフェルぺ2世の宮廷画家を目指しました。エル・グレコはフェルぺ2世の肖像画を描きましたが、フェルぺ2世のお気に召さなかったようでした。トレドに定住して、宗教画を主に描きました。フェリペ2世依頼でエル・エスコリアル修道院に飾る予定の「聖マウリティウスの殉教」を描きましたが、ヒエロニムス会士に受け取り拒否されました。その後もエル・グレコは隠れイスラム教徒を疑われたり散々でした。トレドの宗教施設からの依頼で主に描きました。その後も宗教に関する描き方で依頼主と度々揉め、制作費を値切られていたようです。ローマでミケランジェロ作品を酷評して、スペインに移住したという話も伝わります。「困ったチャン」だけど絵が上手くて、放っておけない画家だったようです。カラヴァッジョと共通するところがあったようです。
 「ラオコーン」の画題はギリシャ神話によるもので、ヴァチカン美術館所蔵の「ラオコーン像」が有名でした。トロイの木馬に関係する神話です。アポロとポセイドンでトロイの都イリオスの城壁を建造しました。ギリシャとトロイの戦争が長引き、ギリシャの謀略で兵を潜ませた木馬をトロイの城門に放置しました。トロイがこの木馬を場内に運び込もうとしたとき、ポセイドンの神官のラオコーンが木馬を運び込まないように警告しました。更にミネルヴァに捧げられた木馬に槍を放ちました。神々は海蛇にラオコーンとその二人の息子を殺させました。木馬を運び込んで、トロイは滅びました。この海蛇に殺されるラオコーンとその二人の息子がヴァチカン美術館所蔵の「ラオコーン像」です。
 エル・グレコは死ぬ前に3枚のラオコーンを描いたのですが、この1枚が現存しているようです。この絵はギリシャ神話を画題にした作品です。制作依頼されたものではないようで、自分の為に描いたと思われます。エル・グレコは宮廷画家を目指していましたが叶わず、トレドで近づいていました。この絵の背景の街が私にはトレドに見えますが、如何でしょうか?生きた馬が街に近づくのが、小さく描かれています。エル・グレコの運命をラオコーンに託したのでしょうか?右端の人影はギリシャ神話ならば、ゼウス以下の神々です。エル・グレコの立場からは、フェルペ2世や王妃です。「ラオコーン」の画題で、「エル・グレコはトレドで死す。」と描いたのではないでしょうか。  
ラオコーン(エル・グレコ、1610~14年作)
ラオコーン-El_Greco_

ラオコーン像(紀元前2~1世紀作、ヴァチカン美術館蔵)
トレド風景(エル・グレコ、1597~99年作、メトロポリタン美術館蔵)

 2013年7月にワシントン・ナショナルギャラリー(ワシントン)を訪問しました。今回は、ティツィアーノ・ヴェチェリオ作「鏡を見るヴィーナス」を紹介します。
 ティツィアーノ・ヴェチェリオ(1490年頃~1576年)はピエーヴェ・ディ・カドーレ城管理責任者兼鉱山管理責任者の長男に生まれました。弟とともに、ジョヴァンニ・ベリーニの下で修業しました。兄弟子のジョルジョーネの助手をした後、独立しました。
 「鏡を見るヴィーナス」は当時大評判となり、工房で同画題を30作以上制作しました。エルミタージュ美術館所蔵品、アルテ・マイスター絵画館所蔵品、ヴァルラーフ・リヒャリツ美術館所蔵品等々、多数現存しています。本作品はティツィアーノが死ぬまで保有していたようで、現存品品の間では一番古い作品のようです。注文を受けるための見本であったという説もあります。記録ではこの前にも描いたようです。ルーベンスが模写したと伝わるスペイン王所蔵品があったようですが、行方不明です。
 多くの画家が模写したり、類似画題で描いたりした名品です。これ以降はティツィアーノの筆が粗くなり、その直前の絵です。肌の色とか装飾品など高いレベルで描かれています。
鏡を見るヴィーナス(ティツィアーノ・ヴェチェリオ、1555年頃作)
        鏡を見るヴィーナスTitian_


 2013年7月にワシントン・ナショナルギャラリー(ワシントン)を訪問しました。今回は、ヤン・ファン・エイク作「受胎告知」を紹介します。
 ヤン・ファン・エイク(1395年頃~1441年)は主にブルッへで活動した初期フランドル画家です。有名な「ヘントの祭壇画(神秘の羊)」は兄のフーベルト・ファン・エイクが製作途中で亡くなったので、引き継いでヤン・ファン・エイクが完成させたと伝わります。1425年からブルゴーニュ公フィリップ三世の宮廷画家となりました。
 この「受胎告知」はそのパネル形状から、三連祭壇画か多翼祭壇画の翼パネルと考えられています。左端の大天使ガブリエルの口元に「おめでとう、恵まれたお方」とヘブライ語で書かれ、聖母マリアの口元には「主の侍女を見守り給え」と上下逆さま(天から見ると正しいよう)に書かれています。窓からは7本の光明と白い鳩が、マリアの手元には時祷書(又は旧約聖書)が描かれています。床のタイルには旧約聖書の場面が描かれ、奥のステンド・グラスはモーゼが描かれていると言われています。絵の大きさが37cmx93cmとヤン・ファン・エイクとしては非常に大きい。ヘントの祭壇画のパネル並みの大きさです。ヘントの祭壇画を閉じると受胎告知の場面が描かれています。
 描き込みがすごく精緻なので、主パネルはすごい作品だと思われます。それが行方不明だとは考えにくい。謎の多い作品です。
受胎告知(ヤン・ファン・エイク、1435年頃作)
ヘントの祭壇画/神秘の羊(兄フーベルトとヤン・ファン・エイク、1432年作)


閉じたヘントの祭壇画

 2013年7月にワシントン・ナショナルギャラリー(ワシントン)を訪問しました。今回は、ラファエロ・サンティ作「アルバの聖母」を紹介します。
 ラファエロ・サンティ(1483~1520年)はウルビーノ公国の宮廷画家の息子に生まれました。11歳で孤児となり、伯父が後見人となりました。1500年頃にはペルジーノの工房の助手になっていました。独立して自身の工房を構え、多くの作品を残しました。
 ローマ近郊のノーチェラ・ディ・パガーニのオリヴェターニ派教会に寄進するために、医師・歴史学者パオロ・ジョヴィオがこの絵の制作をラファエロ・サンティに依頼しました。
 ラファエロの聖母は優しい要望で鑑賞者から視線をさり気無く外した作品が多いと思います。この作品では、聖母が思い詰めて十字架を見つめています。不思議に思い、オリヴェターニ派を調べてみました。聖バーナード・トロメイが設立した修道会のようです。聖バーナード・トロメイはシエナ大学を卒業して、法学者、民兵組織の長、船長などをしていたようです。そのような経緯から、聖ベネディクト騎士団の守護聖人にもなっているようです。オリヴェターニ修道会は政府や個人の支配を恐れ、修道会長の就任期限も設けていたようです。
 オリヴェターニ派修道院に寄進されるということで、構図・画題が決められたようです。洗礼者ヨハネが十字架を捧げて、それを握る幼いキリストの手を見つめています。聖母もキリストも、十字架を握るキリストの手を見ています。殉教する洗礼者ヨハネ、十字架に掛けられるキリスト、聖母の視線が一点に纏まって一体となっています。これが主題のようです。
 主題が左に偏っているので、聖母の左ひじと寄り掛かった岩、聖母の服の裾、本、右奥の林と岩山でバランスを回復させています。聖母の険しい顔は、二人の運命を予感しているからだと描いたからです。

アルバの聖母(ラファエロ・サンティ、1510年作)
アルバの聖母 ラファエロ
  

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