2014年7月にウィーン美術史博物館を訪問しました。今回は、アンニーバレ・カラッチ作「ピエタ」を紹介します。
アンニーバレ・カラッチ(1560~1609年)は1560年にボローニャで生まれました。カラッチ家は画家の家系で、兄のアゴスティーノ・カラッチも従妹のルドヴィーコ・カラッチも名の知れた画家でした。アンニーバレ・カラッチは主に宗教画を描きましたが、風俗画・肖像画も描きました。
1585年にカラッチ一族はボローニャでアカデミア・デリ・インカミナ―ティ画学校を創設しました。グイド・レーニ、ドメニキーノ、グエルチーノ等の著名画家を輩出しました。1595年にローマに出て、1597年から製作開始したローマ ファルネーゼ宮殿天井画が代表作で、ドメニキーノとグエルチーノも動員して作成しました。中央の「バッカスとアトリアドネの勝利」を紹介します。この仕事の対価が予想以上に安く、鬱病になって以降絵を描かなくなったと伝わります。対価のトラブルは結構あったようで、宗教裁判や貴族による仲裁が普通でした。ローマに親交のある貴族が居なかったのでしょうか?
アンニーバレ・カラッチは風俗画も描いたことで知られ、「豆を食う男」や「肉屋」などが知られています。「ピエタ」も複数描いた作品がありますが、この作品が一番悲しく凄惨に描かれています。
アンニーバレ・カラッチ(1560~1609年)は1560年にボローニャで生まれました。カラッチ家は画家の家系で、兄のアゴスティーノ・カラッチも従妹のルドヴィーコ・カラッチも名の知れた画家でした。アンニーバレ・カラッチは主に宗教画を描きましたが、風俗画・肖像画も描きました。
1585年にカラッチ一族はボローニャでアカデミア・デリ・インカミナ―ティ画学校を創設しました。グイド・レーニ、ドメニキーノ、グエルチーノ等の著名画家を輩出しました。1595年にローマに出て、1597年から製作開始したローマ ファルネーゼ宮殿天井画が代表作で、ドメニキーノとグエルチーノも動員して作成しました。中央の「バッカスとアトリアドネの勝利」を紹介します。この仕事の対価が予想以上に安く、鬱病になって以降絵を描かなくなったと伝わります。対価のトラブルは結構あったようで、宗教裁判や貴族による仲裁が普通でした。ローマに親交のある貴族が居なかったのでしょうか?
アンニーバレ・カラッチは風俗画も描いたことで知られ、「豆を食う男」や「肉屋」などが知られています。「ピエタ」も複数描いた作品がありますが、この作品が一番悲しく凄惨に描かれています。
ピエタ(アンニーバレ・カラッチ、1603年作)

豆を食う男(アンニーバレ・カラッチ、1584~85年作)
肉屋(アンニーバレ・カラッチ、1580年代作)
無原罪のお宿り(アンニーバレ・カラッチ、1601年作)
バッカスとアトリアドネの勝利(アンニーバレ・カラッチ等、1597~1605年作)
ピエタ(アンニーバレ・カラッチ、1600年作)
