世界美術館巡り旅

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2023年05月

 2014年7月にノイエ・ピナコテーク(ミュンヘン)を訪問しました。今回は、アルノルト・ベックリン作「波間の戯れ」を紹介します。
 アルノルト・ベックマン(1827~1901年)はバーゼルで生まれ、ヨーロッパ内を転々としました。1845~47年にデュッセルドルフで学び、1850~57年の間ローマに滞在、1860~62年ヴァイマールの美術学校で教鞭をとりました。1874~85年フィレンツェに滞在したのが円熟期でした。代表作の「死の島」五部作、「波間の戯れ」、歴史画などを描きました。第一次世界大戦後のドイツで非常に持て囃された画家で、ヒットラーも彼の作品を好んだ。「死の島」はその後に起きたシューリアリズムの前兆のように思えます。
 「波間の戯れ」は歴史画の体裁で描かれた絵画で、友人のアントン・ドールンが水中から突然浮かび上がって海水浴の女性たちがヒントになって描いたという話が伝わっています。右前方の男がギリシャ神話の海神トリトン、前方の女性が人魚のようです。奥の大男がトリトンの父の海神ポセイドン何でしょうか。水中の女性の描写は、現実以上に精密です。現実にはあり得ない、シュールな絵です。
 ここには人魚の代わりにネレイドとトリトンを描いた作品もあります。ネレイドはギリシャ神話の海底の人間の姿をした女神です。海蛇も描かれており、シュールです。
波間のたわむれ(アルノルト・ベックリン、1883年作)
ベックリン波間の戯れ
トリトンとネレイド(アルノルト・ベックリン、1895年作)
ベックリン トリトンとネレイド

 2014年7月にノイエ・ピナコテーク(ミュンヘン)を訪問しました。アルテ・ピナコテークに続いて訪問しました。今回は、カール・スピッツヴェルク作「貧しい詩人」を紹介します。
 
カール・スピッツヴェルク(1808~1885年)はドイツ南部バイエルンで承認の息子に生まれました。ミュンヘン大学で薬学・植物学・化学を学び、薬局の薬剤師となりました。病気の温泉療養中に、画家になる決心をしました。独学で絵画を学び、欧州を漫遊しました。ローテンブルクの屋根裏部屋に住み、描いた「本の虫」や「貧しい詩人」で評判になりました。
 左前方に詩作の反故紙の束があり、ストーブで燃やされるようです。雨漏りがあるようで、部屋の中で傘をさしています。詩人は眼鏡をしていて、画家の分身(象徴)のようです。自虐的な絵画で、大衆受けしたのだと思います。眼鏡をかけた人物の作品が多く、寓意的自画像のように思えます。
貧しい詩人(カール・スピッツヴェルク、1839年作)
カール・スピッツヴェルク  貧しい詩人
蝶採集家(カール・スピッツヴェルク、1840年作)

本の虫(カール・スピッツヴェルク、1850年作作)

屋根裏部屋(カール・スピッツヴェルク、1840年代作)

 2014年7月にアルテ・ピナコテーク(ミュンヘン)を訪問しました。今回は、ピーテル・ブリューゲル父作「怠け者の天国」を紹介します。
  ピーテル・ブリューゲル父(1520年頃~1569年)はロッテルダム近郊のブレダ近くで生まれたと思われます。1551年にアントウェルペンの聖ルカ組合に登録されました。イタリア、アントウェルペン、ブリュッセルを中心に活動しました。
 「怠け者の天国」は内容(寓意)を詳しく分析をした事例は多くなさそうです。前方右側の男を聖職者という意見もありますが、それでは何の寓意も思いつきません。単なる怠け者の絵を高名なブリューゲル父に依頼したもの好きが思いつきません。更にこの絵は彫版画で出版された事も理解できません。自分で分析することにしました。
 前方右側の人を分析してみます。どうも腰に着けているのは、インク壺や携帯ペン入れのようです。投げ出しているほんの様なものは、他人に見られないように紐で閉じられています。この人だけが毛皮を着ていて、北方(ノルウェー辺り?)へ行き来する人のようです。これらを考慮するとこの人物は聖職者ではなく、北の国と交易をする承認(輸出入業者)です。世界の窓も閉めてなく、全くの無防備です。テーブルの上の壺から酒が流れ落ちてくるのを、待っているようです。後描かれているのは、脱穀道具の上に寝転んだ農夫、槍を放り出した兵士、左奥にも口を開けた兵士、右奥には鉱夫でしょうか。俯瞰すると、王様と聖職者が居ません。どうやら、「(税金を徴収する)王様と(寄付・寄進を求める)聖職者が居なければのんびりと暮らせるのに」という寓意のようです。とんでもない事象(丸焼きの豚が走る、半熟卵に足が生える、・・・)は、この絵が現実とは違う世界を描いているとのカモフラージュでしょうか?制作依頼者は、北方貿易を手掛ける商人だった可能性が高そうです。
 ネーデルランド生まれの神聖ローマ帝国カール五世(1500~1558年)は国民に重税を課しました。カール五世は10年ほど前に亡くなっています。締め付けが緩んで、このような絵を描けたのでしょうか?不満が溜まっていた一般の人は拍手喝采でこの絵を見たのでしょう。
怠け者の天国(ピーテル・ブリューゲル、1567年作)
ピーテル・ブリューゲル 怠け者の天国
怠け者の天国の彫版画(ピーテル・ファン・デル・ヘイデン作)

 2014年7月にアルテ・ピナコテーク(ミュンヘン)を訪問しました。今回は、バルトロメ・エステバン・ムリーリョ作「メロンとブドウを食べる子供たち」を紹介します。
 バルトロメオ・エステバン・ムリーリョ(1617~1682年)はスペイン南部セビーリャで民間医師の息子に生まれました。幼いころに両親が亡くなり、ファン・デル・カスティーリョの下で修業しました。ムリーリョの画風に影響を与えたようなので、師匠の「ロザリオの聖母」も紹介します。1645年にセビーリャのフランシスコ会修道院の装飾を依頼されました。これで名声を得て、依頼が一杯来たようです。ムリーリョというと聖母を描いた宗教画が有名ですが、小品にも傑作が多くあります。
 「メロンとブドウを食べる少年たち」は名声を得る直前の絵だと思われます。同時期の「のみをとる少年」がコントラストを強くして、光を感じさせる作品です。「メロンとブドウを食べる少年たち」はコントラストは若干弱いですが、姿勢や表情を的確に描いています。名品だと思います。
メロンとブドウを食べる少年たち(ムリーリョ、1645~46年作)
_Murilloメロンとブドウを食べる子供たち
小さい果物売り(ムリーリョ、1670~75年作)
ムリーリョ 小さい果物売り
ロザリオの聖母(ファン・デル・カスティーリョ作)

ベネラブレスの無原罪のお宿り(ムリーリョ、1678年頃作、プラド美術館蔵)

ロザリオの聖母(ムリーリョ、1650~55年作、プラド美術館蔵)

蚤をとる少年(ムリーリョ、1640~50年作、ルーヴル美術館蔵)

 2014年7月にアルテ・ピナコテーク(ミュンヘン)を訪問しました。今回は、ハンス・ホルバイン子作「ブライアン・トゥークの肖像」を紹介します。
 ハンス・ホルバイン子(1497~1543年)は南ドイツのアウクスブルクで同名の画家の息子に生まれました。1515~26年の間バーゼルで活動し、数々の傑作を残しました。パトロンの一人からイングランドに招かれて活動し、イングランド王ヘンリー8世に気に入られ、1536年に宮廷画家に任命されました。
 「ブライアン・トゥークの肖像」のモデルは評議会の書記を皮切りに、ウォルジー枢機卿の秘書(会計係)になり、やがてヘンリー8世の秘書(会計係)も兼務しました。1516年にナイトの称号を受け、ウォルジー枢機卿がフランスにも権限を持っていたことからフランスとの和平の委員にもなりました。イングランドの郵便の責任者(大臣級)も務めました。
 ヘンリー8世はフランスの王も兼ねたい野望があり、フランスと戦争や和平を繰り返しました。
 本作品のベースとなる作品(1527年制作)がワシントン・ナショナルギャラリーに所蔵されています。それも紹介しますが、服装が同じで真面目な肖像画です。本作品で描き加えたのが、「草刈り(首切り)鎌を持って、砂時計を指さした骸骨」と「砂時計」です。「やがては死ぬ。」という暗示です。「大使たち」という作品にも、極端に斜めから見ると形が判別できる髑髏が描かれています。フランスを代表する大使たちに、「やがては死ぬ。」という暗示を描き込んでいます。このようなことを描かせたのは、ヘンリー8世以外には考えられません。
 ヘンリー8世は戦争でフランスを屈服させようとしたが上手くいきませんでした。止む無く和平交渉に舵を切りました。フランスから大使が送り込まれたのですが、ヘンリー8世は面白くありません。
 ヘンリー8世は離婚・結婚を繰り返し、ローマ教皇が煙たかったと思います。ウォルジー枢機卿はローマ教皇から任命されています。ウォルジー枢機卿の秘書も兼ねているブライアン・トゥークは有能でフランスとの和平も担当している。ヘンリー8世にとって、煙たい存在でもあったと思われます。ヘンリー8世は煙たい存在ではあるが、ブライアン・トゥークに頼らざるを得なかった。そのフラストレーションからハンス・ホルバイン子にこのような絵を描かせ、気晴らしをしていたのでしょう。モデル本人には見せられないので、ヘンリー8世の寝室にでも飾ったのでしょうか?
ブライアン・トゥークの肖像(ハンス・ホルバイン子作)
ブライアン・トゥークの肖像 ハンス・ホルバイン
ブラオアン・トゥークの肖像
(ハンス・ホルバイン子、1527年作、ワシントン・ナショナルギャラリー蔵)
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大使たち(ハンス・ホルバイン子、1533年作、ロンドン・ナショナルギャラリー蔵)

ヘンリー8世の肖像
(ハンス・ホルバイン子、1536年頃作、ティッセン・ボルネミッサ美術館蔵)

墓の中の死せるキリスト(ハンス・ホルバイン子、1522年頃作、バーゼル美術館蔵)

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