世界美術館巡り旅

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2023年03月

 2017年6月にグルーニング美術館(ブルージュ)を訪問しました。今回はフーゴー・ファン・デル・グース作の「聖母の死」を紹介します。
 フーゴー・ファン・デル・グース(1440年頃~1482年)はヘントで生まれ、ヘントで活躍した初期フランドル画家です。1467年にヘントの聖ルカ組合に入会後やがて長老となり、ヘントを代表する画家となりました。1475年にはメディチ家から依頼を受け、「ポルティナーリ祭壇画」を描きました。これが代表作とされ、ウフィツィ美術館が所蔵・展示しています。ヤン・ファン・エイクが没した頃生まれ、その後ヘントを代表する画家になりました。ヤン・ファン・エイクに対するコンプレックスか突然筆を折り、修道院に籠りました。やがて自殺を図り、翌年(1482年)亡くなりました。名声を得たのですが、ヤン・ファン・エイクを超えることが出来ず、ストレスがたまったのでしょうか?
  この絵は聖母の死を題材として、フランドル風に描いています。聖母は天使から三日後に亡くなる運命と告げられた。キリストにもう一度会いたいと言うと、天使がキリストを連れてきた。使徒たちにもう一度会いたいと言うと、天使は使徒たちを連れてきた。
聖母の死(フーゴー・ファン・デル・グース、1480年作)
Hugo Van Der Goes Painting - Death of the Virgin by Hugo van der Goes

ポルティナーリ祭壇画(フーゴー・ファン・デル・グース、1475年頃作、ウフィツィ美術館蔵)

        

 2017年6月にグルーニング美術館(ブルージュ)を訪問しました。今回はヒエロニムス・ボス作「最後の晩餐祭壇画」を紹介します。
 ヒエロニムス・ボス(1450年頃~1516年)はブルッへで活動した初期フランドル画家です。最後の審判をテーマに祭壇画を複数描いていて、一番有名なのはウィーン美術アカデミー付属美術館所蔵の作品です。他に断片だけですがアルト・ピナコテーク所蔵の作品もあります。ウィーン美術アカデミー付属美術館所蔵の作品は、主パネルに現世、左側(右翼)に天国、右側(左翼)に地獄が描かれています。
  グルーニング美術館蔵の本作品は、ウィーン美術アカデミー付属美術館所蔵品と比べると二回りほど小さい。大きさから考えて教会や修道院からの依頼ではなく、個人(自宅の礼拝堂)用の作品と感じます。三連画ですが、どうもすべて現世のように感じます。中央上段にキリスト、十二使徒、最後の審判開始のファンファーレを吹く天使が描かれています。怪物(病気の象徴?)や戦争に苛まれる人々が描かれています。左側(右翼)は追放された天使と信仰の現世が描かれています。右側(左翼)には戦争に明け暮れる現世が描かれています。ブルッヘは紡績や商業で栄えた街です。キリスト教の信仰により、病気や戦争かを避けて最後の審判を迎えることを祈ったのでしょうか?
最後の審判祭壇画(ヒエロニウム・ボス作、グルーニング美術館蔵)
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最後の審判の前で
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最後の審判三連画(ヒエロニムス・ボス、1482年頃作、ウィーン美術アカデミー付属美術館蔵)
   
最後の審判の断片(ヒエロニムス・ボス作、アルト・ピナコテーク像)
      

 2017年6月にグルーニング美術館(ブルージュ)を訪問しました。今回はヤン・ファン・エイク作の「ファン・デル・パールの聖母子」を紹介します。
 ヤン・ファン・エイク(1395年頃~1441年)は主にブルッへで活動した初期フランドル画家です。有名な「ヘントの祭壇画(神秘の羊)」は兄のフーベルト・ファン・エイクが製作途中で亡くなったので、引き継いでヤン・ファン・エイクが完成させたと伝わります。1425年からブルゴーニュ公フィリップ三世の宮廷画家となりました。
  ブルッへ聖堂参事だったヨリス・ファン・デル・パールが自身の墓碑祭壇画の為に「ファン・デル・パールの祭壇画」を依頼しました。中央に玉座に座った聖母子、右側にファン・デル・パール、その背後に守護聖人の聖ゲオルギウス、左側にブルッへ聖堂参事会の守護聖人聖ドナトゥスを描いています。年代を考えると、描写力、絵の具の発色・頑強さなど素晴らしい作品です。保存状態も非常に良い。
ファン・デル・パールの聖母子(ヤン・ファン・エイク、1436年作)
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ヤン・ファン・エイクの最高傑作のひとつと思います。
ファン・デル・パールの聖母子の前で
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 2017年6月にメムリンク美術館(ブルージュ/ベルギー)を訪問しました。今回はハンス・メムリンク作の「聖カトリナの神秘の結婚の祭壇画」を紹介します。
 ハンス・メムリンク(1430年頃~1494年)はブルッへで活躍した初期フランドル画家です。この「聖カトリナの神秘の結婚の祭壇画」は聖ヨハネ関係者が製作依頼・寄進したと思われます。中央には玉座の聖母子と聖カトリーヌの神秘の結婚の場面と聖人が描かれています。左側(右翼)にはサロメが洗礼者ヨハネの首を持っています。右側(左翼)には流刑地パトモス島に贈られた福音書記者聖ヨハネが描かれています。閉じると左側に聖ヒエロニムスと聖アントニウスと二人の男性寄進者が、右側には聖アグネスと聖クララと二人の女性寄進者(聖ヨハネ病院の看護人と婦長)が描かれています。
          聖カトリナの神秘の結婚の祭壇画(ハンス・メムリン作)
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閉じた「聖カトリーヌの神秘の結婚の祭壇画(メムリンク作)」
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「聖カトリーヌの神秘の結婚の祭壇画」の前で
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 2017年6月にメムリンク美術館(ブルージュ/ベルギー)を訪問しました。今回はハンス・メムリンク作の「聖母子とマールテン・ファン・ニーウウェンホーフェの二連画」を紹介します。
 ハンス・メムリンク(1430年頃~1494年)はブルッへで活躍した初期フランドル画家です。この「マールテン・ファン・ニーウウェンホーフェ」は後にブルッへ市長になる人物で、23歳の時の肖像です。ブルッへの貴族に生まれたようで、金持ちだったと思われます。寄進者が本人か本人の父親辺りと思われます。将来に備え寄進して、神の加護を祈ったと思います。
 聖母子の後ろの凸面鏡にマールテンらしき人物が描かれており、聖母子と同じ部屋にいることが暗示されています。マールティンの右奥のガラス窓には聖マルティヌス(袖を破って乞食に分け与えた。フランス発の修道院を建てた。)が彼の守護聖人として描かれています。聖母子の後ろのステンドグラスには聖ゲオルギウスも描かれています。マールテンが将来庶民を助けるという宣言が込められています。 
聖母子とマールテン・ファン・ニーウウェンホーフェ二連画(メムリンク、1487年作)

           聖母子とマールテン肖像画の前で
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