世界美術館巡り旅

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2023年01月

 2019年7月にローマを訪問した際、パラッツォ・バルベリーニを鑑賞しました。今回はフィリッポ・リッピ作の「二人の跪く寄進者の居る受胎告知」を紹介します。
  フィリッポ・リッピは1406年頃フィレンツェの肉屋の息子に生まれましたが幼くして孤児となり、周度院で育てられ修道士となった。勉強嫌いで腕白だったフィリッポ・リッピは絵で仕えました。フィリッポ・リッピはゴシックを逸脱して、写実的・人間的な絵を描きました。1456年(50歳の時)に23歳の修道女を祭礼に紛れて自宅に連れ帰り、子(フィリッピーノ・リッポ)を設けました。当然問題になり修道院出入り禁止となりましたが、後に教皇から許され還俗して夫婦となりました。フィリッポ・リッピはボッテチェリの師匠になりますが、可成り破天荒な人物でした。
 この絵はその騒ぎを起こす前の修道士時代の絵です。二人の寄進者の前で受胎告知が演じられています。可成り無理な(俗っぽい)画面ですが、フィリッポ・リッピはヘッチャラで描いています。聖母マリアも非常に人間的に描かれています。フィレンツエの寄進者と言えば、メディチ家の人たちでしょうか?
二人の跪く寄進者の居る受胎告知(フィリッポ・リッピ、1440年作)
受胎告知と二人の寄進者 フィリッポ・リッピ
二人の跪く寄進者の居る受胎告知」の前で
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 フィリッポ・リッピの代表作の一つを鑑賞でき、満足しました。ここにはフィリッポ・リッピ作の「タルキニアの聖母」もありました。それも紹介します。これも30歳頃の作品で、前半生の作品です。
タルキニアの聖母(フィリッポ・リッピ、1437年作)
タルキニアの聖母 フィリッポ・リッピ
              

 2019年7月にローマを訪問した際、パラッツォ・バルベリーニを鑑賞しました。今回はグイド・レーニ作「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」を紹介します。
 グイド・レーニ(1575~1642年)はバロック期ボローニャ派に属する画家です。ボローニャで生まれ、カラッチ家が主催する画学校でルドヴィコ・カラッチに師事しました。グイド・レーニの代表作の一つが、この「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」です。
 ベアトリーチェ・チェンチは貴族の娘ですが父親が横暴で家族を虐待、実父の虐待(近親相姦)を訴えましたが、父親が貴族という事で有耶無耶となりました。継母・兄弟とともに事故を装って父親を殺害しました。兄は四つ裂き、継母とベアトリーチェ・チェンチは斬首、弟は助命されたが財産没収となりました。ベアトリーチェ・チェンチは僅か22歳で刑死、ローマ市民から貴族階級へのレジスタンスと捉えられ、毎年処刑の前夜に自分の首を持った幽霊が現れるとの伝説が生まれました。
ベアトリーチェ・チェンチ(グイド・レーニ作)
ベアトリーチェ・チェンチ グイド・レーニ
 美少女が描かれた肖像画ですが、背景に恐ろしい話が隠れています。背景の話を知ると、味わいが一段と深くなります。グイド・レーニといえば、下の絵が日本では良く知られています。
聖セシリア(グイド・レーニ、1606年作、ノートン・サイモン美術館蔵)
 
ゴリアテの首を持つダヴィデ(グイド・レーニ、1605年作、ウフィツィ美術館蔵)
     

 2019年7月にローマを訪問した際、パラッツォ・バルベリーニを鑑賞しました。訪問前にインターネットで所蔵・展示作品を調べたところ、ルネッサンスの名品が多数ありました。多くの名品・傑作を鑑賞したのですが、カラヴァッジョ作の「ナルキッソス」を見落とした事に帰国後気が付きました。今回はこのカラヴァッジョ作「ナルキッソス」を紹介します。
 インターネットで再度調べても、ここの2階に展示されているはずでした。2階では同じくカラヴァッジョ作「ホロフェルネスの首を切るユーディト」を鑑賞して、写真も撮っていました。通常の展示なら隣辺りに展示されていた筈で、見落とすはずがありません。修復か貸し出しをしていたのでしょうか?
 ホロフェルネスの首を切るユーディト(カラヴァッジョ、1598年作)
ホロフェルネスの首を切るユーディト カラヴァッジョ
ホロフェルネスの首を切るユーディトの前で
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 「ナルキッソス」はナルシズムの極致のような絵です。カラヴァッジョは滅茶苦茶「自己中」な画家で、人を殺しています。一人は娼婦の取り合いで決闘を申し込み、殺しました。決闘の形式をとっていたので、無罪でした。ミラノで役人を怪我させ、ローマに逃げました。ヴェネツィアで画家仲間と別のグループの画家を殴り殺したときは流石に有罪で、カラヴァッジョは治外法権のナポリに逃げました。そういう意味ではカラヴァッジョの自画像じゃないかと思いますが、絵のモデルは美少年です。水に映った自分の美しい姿に酔いしれて溺れ死んだナルキッソスの伝承に従った作品です。どんなパトロン(貴族か金持ち)が製作依頼したのか興味をそそられます。
 この絵を描いた時期はそれまで風俗画・静物画を主に描いていたのが、徐々に宗教画・神話画を描き始めたころです。カラヴァッジョの作品は貴族や金持ちの個人所蔵品が多かったのですが、カラヴァッジョの写実性や劇場性がローマで徐々に広がった時期です。
 カラヴァッジョの光と影の絵造りの最初の作品のような気がします。開眼の切っ掛けになった作品のような気がします。             
ナルキッソス(カラヴァッジョ、1597~9年作)
Picture taken from Caravaggio [Public domain], via Wikimedia Commons

 2013年3月にコッレール美術館(ヴェネツィア)を訪問しました。コッレール博物館の一部です。規模は小さいですが、名品が所蔵されています。一番有名なのが、カルパッチョ代表作の「二人のヴェネツィア婦人」です。サン・マルコ広場の端にありました。
 今回はコズメ・トゥーラ作のピエタを紹介します。非常に個性の強い絵画です。キリストは死んで、硬直している感じです。余りのことに聖母マリアも顔を背けています。こんなピエタは他に見たことがありません。このコズメ・トゥーラなる画家を調べてみました。
ピエタ(コズメ・トゥーラ作)
ピエタ コジモ・ツラ
 コズメ・トゥーラは1430年頃にイタリアのフェラーラに生まれました。パドヴァのフランチェスコ・スクァルチォーネの下で修行して、1460年(30歳頃)には、フェラーラ公から俸給を貰っていたようです。初期ルネッサンス期の画家です。幾つか代表作を紹介します。全て癖が強い(灰汁が強い)作品です。フランチェスコ・スクァルチォーネの下で修行中に、アンドレア・マンテーニャやカルロ・クリヴェッリと兄弟弟子だったようです。二人とも個性の強い画家です。兄弟弟子の間で、独創性や個性を競う中で、このような画風になったのでしょうか。師匠のフランチェスコ・スクァルチォーネの作品も一枚紹介します。師匠も個性的な画風です。
聖母子(フランチェスコ・スクァルチォーネ、1460年頃作、ベルリン絵画館蔵)
春(コズメ・トゥーラ、1460年頃作、ロンドン・ナショナルギャラリー蔵)

干支の聖母(コズメ・トゥーラ、1460年頃作、ヴェネツィア・アッカデミア美術館蔵)
サン・セバスチャン(コズメ・トゥーラ、1484年作、ベルリン絵画館蔵)
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 2013年3月にミラノ市立近代美術館を訪問しました。早朝に「最後の晩餐」を見てから、偶然にも見つけて入館しました。当時は入館料無料で、人も少なかったと記憶します。予想以上に名品・傑作が多数所蔵・展示されていて、ビックリしました。ミラノにあったブレラ美術学校の影響かと思います。今回はセガンティーニ作「二つの母性」を紹介します。
 セガンティーニは幼くして両親を亡くし、ミラノの孤児保護施設で育ち、ミラノのブレラ美術学院で学んだようです。今ではセガンティーニと言えばアルプスの作品が有名ですが、ミラノと縁が強かったようです。その為か名品が多く所蔵・展示されていました。それ等も一緒に紹介します。
  セガンティーニの絵は非常に静寂で(話し声や鳴き声がしなくて)、音がしないという印象です。画面の人物、天使、動物のすべてが口を閉じて無言です。非常に孤独な人だったようです。異母姉の手違いで二人ともオーストリア国籍を抜いただけで、無国籍だったようです。スイス政府がセガンティーニに名誉国籍贈与を提案しても、頑なに断ったようです。彼が死んだ後、スイス国籍が贈与されたようです。
  下に紹介した「疾走する馬」でさえ何故か音が聞こえません(感じられません)。何故そう感じるのかも分かりません。口を閉じているので嘶きは聞こえないにしても、不思議な感覚です。
  「二つの母性」をみると、「そっとしておいてあげたい。静寂が永遠に続いてほしい。」と感じざるを得ません。幼くして母親を亡くしたセガンティーニの怨念みたいなものが描かれているのでしょうか?
二つの母性(セガンティーニ、1889年作)
二つの母性 セガンティーノ
生の天使(セガンティーニ作)
生の天使 セガンティーノ
人生の愛の泉(セガンティーニ作)
セガンティーノ 人生の愛の泉
疾走する馬(セガンティーニ作)
セガンティーノ 疾走する馬
静物(セガンティーニ作)
セガンティーノ 静物
老婦人の肖像(セガンティーニ作)
セガンティーノ (4)
水飲み場の牛(セガンティーニ作)
セガンティーノ水飲み場の牛
マロハの風景(セガンティーニ作)
セガンティーノ麻呂はの風景

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