世界美術館巡り旅

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2019年03月

 ジョヴァンニ・ディ・パオロ・ディ・グラツィア(1399年頃~1482年)はシエナ派の画家です。国際ゴシックの画風も持っていました。当初タッデーオ・ディ・バルト―ロの工房で絵画を学び、シエナ派の影響を強く受けていました。その後国際ゴシック派の影響を受けて、独特の画風となりました。年代順に作品を紹介します。
ラザルの復活(ジョヴァンニ・ディ・パオロ・ディ・グラツィア 1426年作
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キリストの降架(ジョヴァンニ・ディ・パオロ・ディ・グラツィア 1426年作
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聖人と聖母子
(ジョヴァンニ・ディ・パオロ・ディ・グラツィア 1427~30年作
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受胎告知と楽園追放
ジョヴァンニ・ディ・パオロ・ディ・グラツィア 1435年作
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 次の作品からシエナ派の画風を逸脱し始めました。
聖母(ジョヴァンニ・ディ・パオロ・ディ・グラツィア 1442年作
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天地創造と楽園からの追放
ジョヴァンニ・ディ・パオロ・ディ・グラツィア 1445年作
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カルヴァリ(ジョヴァンニ・ディ・パオロ・ディ・グラツィア 1450年作
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キリストの洗礼(ジョヴァンニ・ディ・パオロ・ディ・グラツィア 1454年作
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難破船を救う聖クラレ
ジョヴァンニ・ディ・パオロ・ディ・グラツィア 1455~60年作
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アヴィニヨンの法王の前の聖カトリーヌ
ジョヴァンニ・ディ・パオロ・ディ・グラツィア 1460年作
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聖ヨハネと無原罪のお宿り
ジョヴァンニ・ディ・パオロ・ディ・グラツィア 1470年作
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天使と聖母子(ジョヴァンニ・ディ・パオロ・ディ・グラツィア 1475年作
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 不気味な絵が多いのですが、これを好んだ教会関係者がいたという事でしょうか。

 カルロ・ドルチ(1616~1686年)はバロック期にフィレンツェで活躍したイタリア人画家です。
          自画像(カルロ・ドルチ 1674年作)
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 カルロ・ドルチはフィレンツェで生まれました。母方の祖父が画家だったと伝わります。ヤコポ・ヴィグナリに絵画を学びました。トスカーナ大公家から徴用されました。年代順に作品を紹介します。
          聖家族(カルロ・ドルチ 1630年作)
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 制作年が正しいとすると、14歳の時に描いたことになります。チョット疑いたくなりますね。
       三賢人の礼拝(カルロ・ドルチ 1633~34年作)
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          聖母子(カルロ・ドルチ 1640年作)
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     セント・アンドリューの架刑(カルロ・ドルチ 1643年作)
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         悲しみの聖母(カルロ・ドルチ 1650年作)
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        受胎告知の天使(カルロ・ドルチ 1653年作)
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        受胎告知(カルロ・ドルチ 1655~56年作)
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          慈愛(カルロ・ドルチ 1659年作)
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       マグダラのマリア(カルロ・ドルチ 1665年作)
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         聖カトリーヌ(カルロ・ドルチ 1665年作)
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    聖ヨハネの首を持つサロメ(カルロ・ドルチ 1665~70年作)
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     オルガンを弾く聖セシリア(カルロ・ドルチ 1671年作)
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       サン・ルイジの透視(カルロ・ドルチ 1675年作)
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         悲しみの寓意(カルロ・ドルチ 1677年作)
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         指の聖母(カルロ・ドルチ 1678年作)
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     ゴリアテの頭を持つダヴィデ(カルロ・ドルチ 1680年作)
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            聖セシリア(カルロ・ドルチ作)
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 トスカーナ大公家の人々が重用したのが理解できますね。

 ドメニキーノ(1581~1641年)は本名をドメニコ・ザンピエーリと言うバロック期ボローニャ派のイタリア人画家です。
               ドメニキーノの肖像
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 ドメニキーノはボローニャで、靴屋の息子に生まれました。地元の画家に手ほどきを受け、カラッチ兄弟のアカデミア・デリ・インカミナ―ティに入りました。1601年に師匠のアンニーバレ・カラッチとともに、ローマに出ました。グイド・レーニの後輩に当たります。年代順に作品を紹介します。
     グイド・レーニの肖像(ドメニキーノ 1603~04年作)
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        処女と一角獣(ドメニキーノ 1604~05年作)
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        羊飼いの礼拝(ドメニキーノ 1607~10年作)
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      聖ヒエロニムスの最後の会話(ドメニキーノ 1614年作)
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       狩りをする女神ディアナ(ドメニキーノ 1617年作)
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        天使と聖セシリア(ドメニキーノ 1617年作)
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 Monsignor_Giovanni_Battista_Agucchiの肖像(ドメニキーノ 1621年作)
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     ヴェローナの聖ピエトロの受難(ドメニキーノ 1626年作)
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       イザックの犠牲(ドメニキーノ 1627~28年作)
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         アダムとイヴ(ドメニキーノ 1633年作)
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        神秘のランプ(ドメニキーノ 1637~38年作)
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            カルヴァリの道(ドメニキーノ作)
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        聖ペテロ二ウス、聖ヨハネと聖母子(ドメニキーノ)
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聖セバスティヌスの受難(ドメニキーノ作)
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         漁師と船乗りの居る風景(ドメニキーノ作)
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            天井のドーム画(ドメニキーノ作)
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 グイド・レーニの肖像画は印象に残りますね。

 ジュゼッペ・トミンツ(1790~1866年)はオーストリア・ハンガリー帝国領土のカルニオラやクロアチアで活動したイタリア人肖像画家です。
自画像(ジュゼッペ・トミンツ作)
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窓辺の自画像(ジュゼッペ・トミンツ作)
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 ジュゼッペ・トミンツはスロベニア国境近くのゴリツィアで鉄製品商人の息子に生まれました。地元のエスコラピオ修道会の学校で初等教育を受けました。1809年にローマへ出て、アカデミア・ディ・サン・ルカで絵画を学んだ後、1818年に故郷のゴリツィアに戻りました。1819年にウィーンを、1821~23年にスロベニアなどを回りました。その後カルニオラやクロアチアで、肖像画を多く描きました。年代順に作品を紹介します。
Bralka(ジュゼッペ・トミンツ 1812年作)
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オーストリア皇帝フランツ1世の肖像(ジュゼッペ・トミンツ 1821年作)
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Cecilia_D'Auerspergの肖像(ジュゼッペ・トミンツ 1822年作)
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Njegosh_vladika(ジュゼッペ・トミンツ 1833年作)
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マリア昇天(ジュゼッペ・トミンツ 1837年作)
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Pietro_Stanislao_Parisiの家族(ジュゼッペ・トミンツ 1849年作)
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オスマントルコ服の男(ジュゼッペ・トミンツ作)
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婚約(ジュゼッペ・トミンツ作)
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オーストリア皇帝フェルディナント1世(ジュゼッペ・トミンツ作)
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Giuseppe_Gatteri(ジュゼッペ・トミンツ作)
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Enrichetta_Spingher_Hofer(ジュゼッペ・トミンツ作)
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Giuseppina_Holzknecht(ジュゼッペ・トミンツ作)
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 眼に注力して描いたようです。

 バッティスタ・ドッシ(1490年頃~1548年)はルネッサンス期にフェラーラを中心に活躍したイタリア人画家です。本名はバッティスタ・デ・ルテーリです。
 バッティスタ・ドッシは北イタリアのミランドラで、フェラーラ公の会計係の息子に生まれました。兄のドッソ・ドッシと共に、フェラーラ公宮廷で画家として仕えました。1517~20年の間ローマのラファエロ工房で仕事をしたと伝わります。兄の助手のような期間があるようで、兄とも共同制作しました。兄作と伝わる作品にも、共作が多くありそうです。年代順に作品を紹介します。
聖家族(バッティスタ・ドッシ 1510年作)
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我に触れるな(バッティスタ・ドッシ 1520年作)
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カリドニアの猪狩り(バッティスタ・ドッシ 1520年以降作)
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ヴィーナスとキューピッド(バッティスタ・ドッシ 1540年作)
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夜(バッティスタ・ドッシ 1544~48年作)
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聖ヨハネと聖家族(バッティスタ・ドッシ作)
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夜明けの寓意(バッティスタ・ドッシ作)
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羊飼いと聖家族(バッティスタ・ドッシ作)
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 兄と共作と思われる作品は除いて紹介しました。

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