世界美術館巡り旅

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2019年01月

 フランチェスコ・スクアルチォーネ(1397年頃~1468年)はルネッサンス黎明期のイタリア人画家です。
 フランチェスコ・スクアルチォーネはパドヴァ出身ですが、修行の実態は良く分かりません。仕立て屋から職業を始めたと伝わります。古代ローマの作品に興味を持ち、古典作品を蒐集したようです。弟子には、アンドレア・マンテーニャ、コズメ・トゥーラ、カルロ・クリヴェリがいます。初期ルネッサンスの主要画家が揃いますが、夫々個性的な画風です。弟子の個性を尊重して育成したようです。
 本人のサインが描き込まれているのは次の2作品だけです。作品を紹介します。
聖母子(フランチェスコ・スクアルチォーネ 1460年作)
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Lazara祭壇画「聖ヒエロニムス、聖ルチア、聖バチスタと聖アントニーの祭壇画」
(フランチェスコ・スクアルチォーネ作)
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この祭壇画の少し違う写真も見つかりました。
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 照明の差なのか、修復前後なのかはよく分かりませんでした。
バンビーノの聖母(フランチェスコ・スクアルチォーネ作)
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聖母子(フランチェスコ・スクアルチォーネ作)
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 弟子の絵を一枚ずつ紹介します。
サン・セバスチャン(アンドレア・マンテーニャ作)
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ピエタ(コズメ・トゥーラ作)
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マドンナ(カルロ・クリヴェリ作)
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 三人の弟子の個性は夫々濃いですね。

 アンドレア・スキャヴォーネ(1510~1563年)はルネッサンス期にヴェネツィアで活躍したイタリア人画家です。
アンドレア・スキャヴォーネの肖像
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 アンドレア・スキャヴォーネはヴェネツィア領Zara(現クロアチア Zadar)で、郵便守備隊長の息子に生まれました。Zaraかヴェネツィアで絵を学んだと思われます。1540年より前にヴェネツィアで独立したと考えられています。年代順に作品を紹介します。
魂の会話(アンドレア・スキャヴォーネ 1540~45年作)
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アポロとダフィネ(アンドレア・スキャヴォーネ 1542~44年作)
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ジュピターの生誕(アンドレア・スキャヴォーネ 1543年作)
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読書する隠遁者(アンドレア・スキャヴォーネ 1545年作)
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キューピッドとサイケの結婚(アンドレア・スキャヴォーネ 1550年作)
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ディアナとアクティオン(アンドレア・スキャヴォーネ 1550年作)
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天使に支えられるキリスト(アンドレア・スキャヴォーネ 1550年作)
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王の礼拝(アンドレア・スキャヴォーネ 1550年代作)
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聖カトリーヌと聖家族(アンドレア・スキャヴォーネ 1552年作)
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若きアベル(アンドレア・スキャヴォーネ 1555年作)
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アフリカを征服したスキピオ(アンドレア・スキャヴォーネ 1558年作)
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羊飼いの礼拝(アンドレア・スキャヴォーネ 1560年作)
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The Infancy of Jupiter(アンドレア・スキャヴォーネ 1560年作)
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跪く女性と子供(アンドレア・スキャヴォーネ 1562年作)
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聖パオロとの会話(アンドレア・スキャヴォーネ作)
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 クロアチア生まれですが、ヴェネツィア人だったんだと感じます。

 ルカ・ジョルダーノ(1634~1705年)はバロック期のイタリア人画家です。ナポリ派と呼べる画家です。
自画像(ルカ・ジョルダーノ作)
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 ルカ・ジョルダーノはナポリで、画家アントニオ・ジョルダーノの息子に生まれました。年少期ナポリ副王の推薦でホセ・デ・リベラに師事しました。その後ピエトロ・ダ・コルトーナの下で働きました。「速描きのルカ」と呼ばれ、他の画家の模倣も出来ました。ヴェネツィア派とローマ派の両方を融合させた画風でした。スペイン王カルロス2世に招かれ、1692~1702年の間スペインに滞在し、騎士の称号も与えられました。1700年にカルロス2世が亡くなり、2年後にナポリへ帰りました。年代順に作品を紹介します。
良きサマルタン(ルカ・ジョルダーノ 1650年作)
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聖ペテロの磔(ルカ・ジョルダーノ 1660年作)
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マグダラのマリア(ルカ・ジョルダーノ 1665年作)
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受胎告知(ルカ・ジョルダーノ 1672年作)
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聖ヨハネと聖家族(ルカ・ジョルダーノ 1575年作)
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正義の寓意(ルカ・ジョルダーノ 1680~85年作)
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人類創造(ルカ・ジョルダーノ 1484~86年作)
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オリンポス山の雲中のメディチ家勝利(ルカ・ジョルダーノ 1884~86年作)
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羊飼いの礼拝(ルカ・ジョルダーノ 1688年作)
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カルロス2世の肖像(ルカ・ジョルダーノ 1694年頃)
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聖母の生誕(ルカ・ジョルダーノ 1695年作)
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無原罪のお宿りの習作(ルカ・ジョルダーノ 1700年作)
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エジプトへの逃避行(ルカ・ジョルダーノ 1701年作)
ホロフェルネスの死体の発見(ルカ・ジョルダーノ 1703~04年作)
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 驚くほど多作な画家です。早描きの上に人気が高かったと思われます。

 パルマ・イル・ジョーヴァネ(1548年頃~1628年)は主にヴェネツィアで活躍したイタリア人画家です。ティッツァーノ没後彼の画風を引き継いだリーダー的画家だったようです。
自画像(パルマ・イル・ジョーヴァネ作)
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 パルマ・イル・ジョーヴァネはヴェネツィアで画家一族の息子に生まれました。一族の工房で学び、ティッツァーノの作品を模写して画風を学びました。
 ウルビーノの貴族に認められ1572年にローマへ行き、ティントレットの公募に入りました。ヴェロネーゼたちとともに、ドッジ宮殿の装飾を行いました。その後ヴェネツィアに戻り、自分の工房を構えました。年代順に作品を紹介します。
自分の財産を貧民に分け与える聖ローレンス
(パルマ・イル・ジョーヴァネ 1581~82年作)
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聖ローレンスの殉教(パルマ・イル・ジョーヴァネ 1581~82年作)
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足を洗うキリスト(パルマ・イル・ジョーヴァネ 1591~92年作)
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放蕩息子の楽しみ(パルマ・イル・ジョーヴァネ 1595~1600年作)
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放蕩息子の帰還(パルマ・イル・ジョーヴァネ 1595~1600年作)
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ダナエ(パルマ・イル・ジョーヴァネ 1595~1600年作)
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ヴァルカンの鍛冶場のヴィーナスとキューピッド
(パルマ・イル・ジョーヴァネ 1610年作)
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ゴリアに勝利するダヴィデ(パルマ・イル・ジョーヴァネ作)
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バンビーノの聖母(パルマ・イル・ジョーヴァネ作)
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法王ピウス5世の肖像(パルマ・イル・ジョーヴァネ作)
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ヴィーナスとマース(パルマ・イル・ジョーヴァネ作)
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荒野の聖ヒエロニムス(パルマ・イル・ジョーヴァネ作)
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架刑(パルマ・イル・ジョーヴァネ作)
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 同時代のティントレットやヴェロネーゼより、ティッツァーノの画風の影響を強く受けていたようです。

 ジャン・ジャコモ・カプロッティ(1480~1524年)は通称サライと呼ばれ、レオナルド・ダ・ヴィンチの弟子で、過半の遺産を相続したことが知られています。画家として大成せず、主にレオナルド・ダ・ヴィンチのモデルや世話をしていたと思われます。
サライの肖像(レオナルド・ダ・ヴィンチの弟子の一人に制作された)
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サライと思われ若者の素描(レオナルド・ダ・ヴィンチ作)
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 ジャン・ジャコモ・カプロッティはレオナルド・ダ・ヴィンチ所有ワイン畑の農夫だったピエトロ・ディ・ジョヴァンニの息子に生まれました。僅か10歳でレオナルド・ダ・ヴィンチに弟子入りし、レオナルド・ダ・ヴィンチが1513年ローマに移った際も、1516年にフランスに招かれた時も、弟弟子のメルツィとともに同行しました。1518年にレオナルド・ダ・ヴィンチの元を去ってミラノに戻り、ワイン畑で働きました。翌年レオナルド・ダ・ヴィンチが亡くなると、ワイン畑の半分と遺作の過半を相続しました。相続した遺作は、フランソワ1世に売却したと考えられています。現ぞする作品は非常に少ないですが、それを紹介します。
サライがモデルと伝わる洗礼者ヨハネ(レオナルド・ダ・ヴィンチ作)
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洗礼者ヨハネの模写(ジャン・ジャコモ・カプロッティ作)
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モナリザ(レオナルド・ダ・ヴィンチ作)
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モナ・ヴァナ(ジャン・ジャコモ・カプロッティ作)
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救世主キリスト(レオナルド・ダ・ヴィンチ作)
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若き救世主キリスト(ジャン・ジャコモ・カプロッティ作)
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 ジャン・ジャコモ・カプロッティ(サライ)の画力はアマチュアとプロの中間くらいに留まったようです。ワイン畑で働く後半生を選んだようですが、結婚して早々に亡くなったようです。

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