世界美術館巡り旅

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2018年12月

 ジローラモ・ダ・カルピ(1501~1556年)はルネッサンス期ボローニャ派のイタリア人画家です。
ジローラモ・ダ・カルピの肖像
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 ジローラモ・ダ・カルピは北イタリア ボローニャ近くのフェラーラで生まれ、フェラーラの工房で修行しました。その後ローマ、ボローニャを旅してフェラーラに戻り、エステ家の仕事をしました。1550年からローマ教皇ユリウス3世の御用建築家として、バチカンのベルベデーレ宮殿の改築に従事しました。更にフェラーラに戻り、エステンヤ城の増築に参加しました。年代順に作品を紹介します。
魔法使いたちのいる風景(ジローラモ・ダ・カルピ 1525年作)
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聖ヨハネ信奉者の肖像(ジローラモ・ダ・カルピ 1527年作)
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聖母の出現(ジローラモ・ダ・カルピ 1530年代作)
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メディチ家の枢機卿と政治家(ジローラモ・ダ・カルピ 1535~50年作)
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機会と忍耐の寓意(ジローラモ・ダ・カルピ 1541年頃作)
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ガニメデスの略奪(ジローラモ・ダ・カルピ 1544年作)
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聖カトリーヌと聖母子(ジローラモ・ダ・カルピ 1545年作)
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王の礼拝(ジローラモ・ダ・カルピ 1545~50年作)
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聖ゲオルク(ジローラモ・ダ・カルピ作)
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赤い帽子の若者(ジローラモ・ダ・カルピ作)
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アンジェリカを救うRuggiero(ジローラモ・ダ・カルピ作)
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アルフォンソ2世の肖像(ジローラモ・ダ・カルピ作)
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聖家族(ジローラモ・ダ・カルピ作)
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 オーソドックスな画風の画家です。

 ジョヴァンニ・カリアーニ(1490~1547年)はルネッサンス期のイタリア人画家です。
 ジョヴァンニ・カリアーニはイタリア北部のアルプス裾野のフィッピアーノ・アル・ブレンボで生まれ、1504年頃にヴェネツィアへ出ました。パルマ・イル・ヴェッキオの影響が強く、彼の工房に弟子入りした可能性もあります。ジョヴァンニ・ベッリーニやジョルジョーネと交流があった可能性も高いと考えられています。年代順に作品を紹介します。
手すりの向こうの貴婦人(ジョヴァンニ・カリアーニ 1510年代作)
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茨の聖母(ジョヴァンニ・カリアーニ 1515年作)
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誘惑(ジョヴァンニ・カリアーニ 1515~17年作)
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合奏パーティー(ジョヴァンニ・カリアーニ 1517年作)
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合奏(ジョヴァンニ・カリアーニ 1518~20年作)
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カルヴァリへの道(ジョヴァンニ・カリアーニ 1519年作)
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手回し風琴を弾く詩人と若い女(ジョヴァンニ・カリアーニ 1520年作)
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マリアの災難(ジョヴァンニ・カリアーニ 1524~28年作)
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聖会話(ジョヴァンニ・カリアーニ 1524~30年作)
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扇を持つ貴婦人(ジョヴァンニ・カリアーニ 1530~35年作)
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聖家族(ジョヴァンニ・カリアーニ 1540年作)
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合奏パーティー(ジョヴァンニ・カリアーニ 1547年作)
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天文学者(ジョヴァンニ・カリアーニ作)
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 どちらかと言うとふっくらした女性が多く描かれています。当時のヴェネツィアの美人の基準に従っていたのでしょうか?

 ルドヴィコ・カラッチ(1555~1619年)はルネッサンス後期のイタリア人画家です。アゴスティーノ・カラッチとアンニーバレ・カラッチ兄弟の従妹に当たる画家です。
              ルドヴィコ・カラッチの肖像
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 ルドヴィコ・カラッチはボローニャで生まれ、その地でプロスペロー・フォン・ターナに弟子入りしました。フィレンツェ、パルマ、ヴェネツィアを旅行して、ボローニャに戻りました。1585年にカラッチ兄弟とともに、アカデミア・デり・インカミナ―ティ(折衷主義の絵画学校・工房)を始めました。教え子らがやがてボローニャ派と呼ばれました。ジェスチャーやポーズが強い(大げさな)のが特徴です。年代順に作品を紹介します。
     バルゲリーニの聖母(ルドヴィコ・カラッチ 1588年作)
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      聖母子と聖人の寓意(ルドヴィコ・カラッチ 1607年作)
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       荒野のイエス(ルドヴィコ・カラッチ 1609年作)
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        ゲッセマネの庭の寓意(ルドヴィコ・カラッチ作)
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            受胎告知(ルドヴィコ・カラッチ作)
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        瞑想する聖フランシス(ルドヴィコ・カラッチ作)
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          未亡人の肖像(ルドヴィコ・カラッチ作)
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          無原罪のお宿り(ルドヴィコ・カラッチ作)
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         キリストの鞭打ち(ルドヴィコ・カラッチ作)
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             架刑(ルドヴィコ・カラッチ作)
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         Bacco_e_Arianna(ルドヴィコ・カラッチ作)
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           受胎告知(ルドヴィコ・カラッチ作)
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          聖母子と聖人(ルドヴィコ・カラッチ作)
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 印象的なポーズが多いですね。

 アゴスティーノ・カラッチはルネサンス後期のイタリア人画家です。有名なカラッチ(アンニーバレ・カラッチ)の兄に当たります。
時計職人に扮した自画像(アゴスティーノ・カラッチ作)
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 アゴスティーノ・カラッチはボローニャで生まれ、建築家になるべく教育されました。1574年からエングレービング(版画原版)制作を始めました。1586年からパルマ・ヴェネツィアを旅行して、1589年にボローニャに戻りました。弟らと壁画を描いたりしました。年代順に作品を紹介します。
アクテオンの死(アゴスティーノ・カラッチ 1585年頃作)
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降架(アゴスティーノ・カラッチ 1586年作)
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聖フランシスの最後の交感(アゴスティーノ・カラッチ 1590年代作)
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聖ヒエロニムスの最後の交感(アゴスティーノ・カラッチ 1592年作)
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水浴者のいる風景(アゴスティーノ・カラッチ 1598年作)
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ケルビムとサチェロス(アゴスティーノ・カラッチ 1599年作)
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毛深いハリー、怒るピーターと小さいアモン
(アゴスティーノ・カラッチ 1599年頃)
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女性の肖像(アゴスティーノ・カラッチ作)
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受胎告知(アゴスティーノ・カラッチ作)
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最後の晩餐(アゴスティーノ・カラッチ作)
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 弟のカラッチに負けない画力の画家だったようです。

 カナレット(1697~1768年)はヴェネツィア共和国で活躍したイタリア人景観画家です。
カナレットの肖像
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 カナレットはヴェネツィアで画家ベルナルド・カナールの息子に生まれました。父親と識別する為に、カナレット(「小カナール」の意味)と呼ばれ始めたようです。20代の頃ローマで父親と舞台背景を描いたりしていたようです。1720年頃にヴェネツィアへ戻りました。英国商人ジョセフ・スミスがパトロンとなり、景観画を多く描きました。1750年前後の10年間で数回英国に滞在したようです。年代順に作品を紹介します。
サン・マルコ広場(カナレット 1723年作)
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サン・マルコ広場前の流域(カナレット 1730年作)
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サン・マルコ広場とバジリカ(カナレット 1730年作)
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サン・マルコ広場前の流域(カナレット 1738年作)
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フランス大使のドッジ王宮到着(カナレット 1742年作)
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イートン・カレッジのチャペル(カナレット 1747年作)
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ウエスト・ミュンスター橋の下に見えるシティー(カナレット 1747年作)
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アルンウィック城(カナレット 1750年頃作)
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サンタ・チアリの運河(カナレット 1750年作)
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サン・マルコ広場(カナレット 1760年作)
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 調べると非常に多作な画家だったようです。世界中の美術館でカナレットの作品が見られるのも頷けました。

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