世界美術館巡り旅

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2018年10月

 パウル・ヘッカー(1854~1910年)はミュンヘン分離派創立メンバーの一人のドイツ人画家です。
 パウル・ヘッカーはポーランド南西部のドルヌイ・シロンスク県のドウゴポレ=グルネに生まれました。1874年にミュンヘン美術院に入学し、1879年までヴィルヘルム・フォン・ディーツの下で学びました。1882年にパリ、オランダ、ドイツ港町を旅行して、ミュンヘンに戻りました。1883年にもパリ、オランダを旅行して、ベルリンに落ち着きました。1891年にミュンヘン美術院の教授に就任しました。1892年にミュンヘン分離派の創立メンバーで、初代の事務局長に就任しました。1897年に男娼をモデルにしたとのスキャンダルで教授を退任しました。1897~1901年の間イタリアに滞在して、その後生まれ故郷のドウゴポレ=グルネに戻りました。年代順に作品を紹介します。
梯子馬車(パウル・ハッカー 1889年作)
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アンナ(パウル・ヘッカー 1890年作)
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ピエロ(パウル・ヘッカー 1895年作)
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夕暮れ(パウル・ヘッカー 1897年作)
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フランス帝政時代風の部屋(パウル・ヘッカー 1900年作)
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期待する人(パウル・ヘッカー 1900年作)
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酒好き(パウル・ヘッカー 1904年作)
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ニノ(パウル・ヘッカー 1904年作)
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シュトラウスとヌード(パウル・ヘッカー 1905年作)
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冬の風景(パウル・ヘッカー 1905年作)
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 教授退任後はどんな心境だったんでしょうか。

 2018年6月に北米旅行をして、ロサンゼルス国際空港から帰国しました。帰国便が午前10時過ぎ出発だったので、空港近くのシェラトンに前泊しました。ダウンタウン(マッカーサー・パーク近く)のホリデイイン・エクスプレスからだと、地下鉄乗り継ぎ2回+連絡バスか、地下鉄でユニオン・ステーションに出てから空港バスで移動となります。1時間半以上の移動時間になる上、交通事故に出会ったらもっと時間が掛かります。それで空港脇のホテルでの前泊と決めました。
前泊したシェラトン・ホテル
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シェラトン・ホテル玄関で記念撮影
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宿泊したシェラトンの部屋(1泊170ドルくらい)
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 ダウンタウンの侘しいホテル(侘しい朝食付き)とこのシェラトン・ホテル(朝食なし)の部屋代がほぼ同じでした。此方に泊まる選択肢も出発前に考えました。公共交通機関の1日券を買えば交通費込みでシェラトンでも良かったのですが、ダウンタウンへの移動時間がネックでした。シェラトンから空港の連絡バス停まで徒歩10分。空港から最寄りの地下鉄駅まで連絡バス10分。地下鉄でダウンタウンまで30分強でした。マッカーサー・パーク近くの雰囲気が悪い(メキシコ人にほぼ占有されていた)のが事前に分かっていたら、空港近くに宿泊したと思います。ロサンゼルス観光の際は、ホテル選択にご注意願います。
 日没まで時間があったので、徒歩で離着陸飛行機の撮影ポイント(丘の有る空港隣接公園)に向かいました。地図を見て徒歩1時間弱の空港縁の道を選んで歩いて行くと、歩道が途中で無くなってしまいました。相当大回りの道を歩く事が分かり、行くのを断念しました。その場で着陸する飛行機の撮影を試してみたのですが、難しかった。慣れないと良い写真が撮れないとこれも断念して、途中のガソリンスタンド奥のミニスーパーで缶ビールとサンドイッチを買ってホテルに戻りました。
着陸する飛行機を撮影
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着陸する飛行機(撮影が難しい)
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 翌朝は徒歩で空港に行き、シンガポール航空便にチェックインしました。スターアライアンス・ラウンジに行き朝食をとりました。
ラウンジで朝からシャンパンを呑み満悦
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帰国便の機体
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飛行機に乗り込みヤレヤレ
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 飛行機が上昇すると、サンタモニカ辺りの海岸線が見えました。
サンタモニカ近く上空からの写真
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 今回は一人旅でしたが、無事帰国しました。今回の旅行で感じたのは、「北米のホテル宿泊料金が大幅に値上がりした。従来の1部屋1泊100ドル前後のホテルはほとんどなくなった。」です。(治安が悪いので)デトロイト美術館と(あまり有名でなかったので)ブルックリン美術館にまだ行っていませんが、費用対効果から当面行けそうにありません。

 ハインリヒ・ペーターゼン=アンゲルン(1850~1906年)はドイツ人風景画家です。
アトリエのハインリヒ・ペーターゼン=アンゲルンの肖像(ハンス・ハーマン作)
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 ハインリヒ・ペーターゼン=アンゲルンはドイツ最北部のシュレスヴィヒ=ホルシュタイン州ヴェステルホルツの宿屋経営農民の息子に生まれました。普仏戦争従軍後の1873年からベルリンの美術学校で学び、1879~1883年の間デュッセルドルフ美術アカデミーでオイゲン・デュッカーに学びました。1882年南デンマークのイーヤンリン教区でエーケンズント芸術家村に加わりました。その後イタリア、フランス、ベルギー、ノルウェーと旅行しましたが、オランダの港町に特に魅力を感じました。1884~96年の間にシバシバ訪れました。年代順に作品を紹介します。
フレンスブルガーの船着き場
(ハインリヒ・ペーターゼン=アンゲルン 1882年作)
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フルンスブルガーの漁船(ハインリヒ・ペーターゼン=アンゲルン 1885年作)
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エグモントの漁師(ハインリヒ・ペーターゼン=アンゲルン 1893~95年作)
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フレンスブルガー港の帆船
(ハインリヒ・ペーターゼン=アンゲルン 1900年作)
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エーケンズント(ハインリヒ・ペーターゼン=アンゲルン 1900年作)
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月夜のハルリンゲン港(ハインリヒ・ペーターゼン=アンゲルン 1901年作)
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夜の港口(ハインリヒ・ペーターゼン=アンゲルン作)
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浜の漁船(ハインリヒ・ペーターゼン=アンゲルン作)
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エグモントの花畑と少女(ハインリヒ・ペーターゼン=アンゲルン作)
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フリシンゲンの風景(ハインリヒ・ペーターゼン=アンゲルン作)
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夜の海と水面を描くのが特に上手かった画家です。

 2018年6月にロサンゼルスに行った際、美術館訪問と観光を前倒しでこなして、帰国前日に余裕が出来ました。予定外でしたが、ロングビーチに行ってみました。公共交通機関1日券(7ドル)を買って、メトロ・ブルーラインの始発駅の7thストリート/メトロ・センター駅に行きました。この駅はメトロの各ラインが通っているので、乗り換え客や買い物客で混雑していました。
7thストリート/メトロ・センター駅
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駅を出ると、モール・デパートがあり、少し歩くとスーパーマーケットも何件かありました。買い物に便利な駅です。
メトロ・ブルーラインの車内
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途中治安の良くない地域を通りましたが、午前なので不安は感じませんでした。30分強でダウンタウン・ロングビーチ駅に到着しました。
ダウンタウン・ロングビーチ駅のホームに到着した電車
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 メトロを降りて、海岸の方へ10分程歩くと桟橋(パイン・アヴェニュー・ピア)に出ました。
パイン・アヴェニュー・ピアの看板前で記念撮影
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パイン・アヴェニュー・ピア内の通り
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通りの両側はカフェとレストランでした。遠くに遊園地の観覧車が見えました。更に歩いて海に出るとヨットハーバーでした。
レインボー・ハーバー
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レインボー・ハーバーから灯台?を望む
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灯台と独特のパイン並木
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灯台の全景
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太平洋航路の古い記念客船?
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ウォーター・フロントの地図表示
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エデュケーション・ベッセル(教育船)乗船に並ぶ親子の列
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エデュケーション・ベッセルと思われる船
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水中が覗ける構造になっているのでしょうか?
改修工事中の太平洋水族館
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並木を背景に記念撮影
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ダウンタウン・ロングビーチ駅で記念撮影して帰る
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パインの並木が独特の雰囲気を醸し出していました。

 ペーター・フォン・ヘス(1792~1871年)は、風俗画・戦争画を多く描いたドイツ人肖像画家です。本名はペーター・ハインリヒ・ランベルト・ヘスでしたが、貴族に叙せられた以降ペーター・フォン・ヘスと呼ばれました。
 ペーター・フォン・ヘスはデュッセルドルフで、版画家の息子に生まれました。父から美術の基礎を教わり、1806年に(14歳で)ミュンヘン美術院に入学しました。ナポレオン戦争にバイエルン王国元帥に従軍し、スケッチを多く描いて油絵にしました。スイス・イタリア・オーストリアを旅行・修行しました。1832年バイエルン王国オットー皇子がギリシャ国王オソン1世として即位すると、随行しました。1839年にはロシア皇帝ニコライ1世から、サンクトペテルブルクとモスクワに招かれました。1861年バイエルンの貴族に叙せられました。年代順に作品を紹介します。
コザックとフランスの捕縛者たち(ペーター・フォン・ヘス 1819年作)
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チボリの旅籠の前(ペーター・フォン・ヘス 1819年作)
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宿屋の主人との別れ(ペーター・フォン・ヘス 1827年作)
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オーストリア槍兵の侵略(ペーター・フォン・ヘス 1828年作)
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ギリシャ王オソンのナフプリオ入城(ペーター・フォン・ヘス 1835年作)
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ロシアからのフランス軍退却(ペーター・フォン・ヘス 1835年作)
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オソン1世のアテネ入城(ペーター・フォン・ヘス 1839年作)
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ベレジナ川の渡渉(ペーター・フォン・ヘス 1844年作)
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スモレンスクの戦い(ペーター・フォン・ヘス 1846年作)
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ライプツィヒの連合軍の戦い(ペーター・フォン・ヘス 1854年作)
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野鴨狩り(ペーター・フォン・ヘス 1857年作)
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グレゴリオス5世の絞首刑(ペーター・フォン・ヘス作)
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従軍して描いた戦争画は歴史画と言うよりも、記録画の意味が強そうです。

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