世界美術館巡り旅

世界の美術館・旅行・画家・絵画の情報共有サイト

2018年08月

 ハンス・トーマ(1839~1924年)は象徴主義に分類されるドイツ人画家です。正確には「象徴主義的な絵も描く。」と言ったところでしょうか。
自画像(ハンス・トーマ 1899年作)
イメージ 1
 ハンス・トーマはドイツ南西部バーデン=ヴェルテンベルク州ベルナウ・イム・シュヴァルツヴァルトで木工職人の息子に生まれました。時計装飾画から始め、1859年に(20歳で)カールスルーエの美術学校に入学しました。1866年卒業後、デュッセルドルフに居住しました。1868年にパリ旅行後、1870年からミュンヘンで活動しました。象徴主義のアルノルト・ベックリンと親しくなりました。1878年からフランクフルトへ移り、1879年イギリス・イタリアを旅行しました。1899年にカールスルーエの美術学校の教授に就任しました。カールスルーエ州立美術館の館長も兼務しました。年代順に作品を紹介します。
画家の従妹(ハンス・トーマ 1860年作)
イメージ 2
夏の二人のアルペン・ハイカー(ハンス・トーマ 1862年作)
イメージ 3
夏の日差しの中(ハンス・トーマ 1867年作)
イメージ 4
画家の母(ハンス・トーマ 1871年作)
イメージ 5
夏(ハンス・トーマ 1872年作)
イメージ 6
夏の野の花の静物(ハンス・トーマ 1872年作)
イメージ 7
子供たちの踊り(ハンス・トーマ 1872年作)
イメージ 8
平和な日曜日(ハンス・トーマ 1876年作)
イメージ 9
檸檬売り(ハンス・トーマ 1880年作)
イメージ 10
鳥の姿をした8人の踊り子たち(ハンス・トーマ 1886年作)
イメージ 11
泉(ハンス・トーマ 1895年作)
イメージ 12
アダムとイヴ(ハンス・トーマ 1897年作)
イメージ 13
猫(ハンス・トーマ 1901年作)
イメージ 14
風景(ハンス・トーマ 1917年作)
イメージ 15
風景画にも必ずと言ってよいくらい人影や家畜が描き込まれています。

 2018年6月にカナダ国立美術館(オタワ)に行きました。道を渡った向かい側に、高い塔を持った教会がありました。塔の上の方がメタリック光沢を持っていたのが印象的でした。教会の名前はノートルダム・カテドラル・バジリカでした。カテドラルとは教区で最上位の「司教の席がある」という意味で、その教区で一番格式の高い教会とのことです。バジリカの意味は「柱が列に連なった様式の建物」だそうです。
遠くに見えたノートルダム・カテドラル・バジリカ
イメージ 1
ノートルダム・カテドラル・バジリカ前景(Wikipediaから)
イメージ 2
 帰国後インターネットで調べると、物語調のステンドグラスが見ものだそうです。内部に入らなかったで気づきませんでした。残念でした。
屋根の上の聖母子像(公式HPから)
イメージ 5
  内部と正面祭壇(公式HPから)
イメージ 3
正面祭壇(公式HPから)
イメージ 4
細密で豪華な装飾のようです。
天井の様子が分かる内部写真(公式HPから)
イメージ 6
天井の写真(公式HPから)
イメージ 7
聖母マリアと聖人のステンドグラス(公式HPから)
イメージ 8
聖母マリアと聖人のステンドグラス拡大(公式HPから)
イメージ 9
聖母マリアの誕生のステンドグラス(公式HPから)
イメージ 10
受胎告知のステンドグラス(公式HPから)
イメージ 11
十字架を運ぶキリストのステンドグラス(公式HPから)
イメージ 12
キリストの降架のステンドグラス(公式HPから)
イメージ 13
墓前の三人のマリアのステンドグラス(公式HPから)
イメージ 14
キリストの変容のステンドグラス(公式HPから)
イメージ 15
オタワ観光の機会には是非、ノートルダム・カテドラル・バジリカ(ノートルダム聖堂)も訪問してください。

 オイゲン・デュッカー(1841~1916年)は風景画を多く描いたドイツ人画家です。
自画像(オイゲン・デュッカー 1900年作)
イメージ 9
 オイゲン・デュッカーは現リトアニアのサーレマー島で名家に生まれました。1858年から4年間サンクトペテルブルクのアカデミーで学びました。1864年からデュッセルドルフに住み、1872年から44年間デュッセルドルフ美術アカデミーの風景画教師を続けました。オランダ・ベルギー・フランス・イタリアを旅行して、海の風景を多く描きました。年代順に作品を紹介します。
レヴェル近くの森(オイゲン・デュッカー 1862年作)
イメージ 1
海岸(オイゲン・デュッカー 1865年作)
イメージ 2
Tiskreの海岸(オイゲン・デュッカー 1866年作)
イメージ 3
近づく嵐(オイゲン・デュッカー 1869年作)
イメージ 4
風景(オイゲン・デュッカー 1869年作)
イメージ 5
森の近くの家畜(オイゲン・デュッカー 1871年作)
イメージ 6
カプリ(オイゲン・デュッカー 1874年作)
イメージ 7
開けた森(オイゲン・デュッカー 1893年作)
イメージ 8
夜明け(オイゲン・デュッカー 1900年作)
イメージ 10
砂の上の道(オイゲン・デュッカー 1900~10年作)
イメージ 11
北ドイツの村(オイゲン・デュッカー 1910~16年作)
イメージ 12
バルト海の浜(オイゲン・デュッカー 1914年作)
イメージ 13
海辺の男(オイゲン・デュッカー作)
イメージ 14
帰る漁夫たち(オイゲン・デュッカー作)
イメージ 15
村への道(オイゲン・デュッカー作)
イメージ 16
ものすごく細密に風景を描いた画家だったようです。

 アルブレヒト・デューラー(1471~1528年)はルネサンス期のドイツ人画家です。作品に制作年を書いていたので、経歴が比較的良く分かっています。
自画像(アルブレヒト・デューラー 1500年作)
イメージ 1
 アルブレヒト・デューラーはニュルンベルクで、マジャール人の金細工師の次男に生まれました。2~3年学校に通った後、父親から金細工とデッサンの基礎を学びました。その後総合芸術家のヴォルゲムートの下で見習いとして働きました。見習い終了後(19歳で)、4年間遍歴しました。マルティン・ショーンガウアーの下で学びたかったようですが、1492年コルマールに着いた時には既に亡くなっていました。彼の兄弟の所で学び、1494年にニュルンベルクに戻りました。
 1494~95年にイタリア各地で巨匠の作品から学びました。1495年ニュルンベルクに戻り自分の作業場を構え、宗教的な木版印刷から仕事を始めました。1505~7年に再度イタリアを巡り、ニュルンベルクに戻りました。年代順に作品を紹介します。
13歳の自画像(アルブレヒト・デューラー 1484年作)
イメージ 2
母の肖像(アルブレヒト・デューラー 1490年作)
イメージ 3
インスブルックの中庭(アルブレヒト・デューラー 1494年作)
イメージ 4
自画像(アルブレヒト・デューラー 1498年作)
イメージ 5
野兎(アルブレヒト・デューラー 1502年作)
イメージ 6
圧倒的なデッサン力で、ウサギの目に窓枠が映っているのも描かれています。
東方三賢人の礼拝(アルブレヒト・デューラー 1504年作)
イメージ 7
若いヴェネツィア女性の肖像(アルブレヒト・デューラー 1505年作)
イメージ 8
茨の冠の祝祭(アルブレヒト・デューラー 1506年作)
イメージ 9
アダムとエヴァ(アルブレヒト・デューラー 1507年作)
イメージ 10
祈る手(アルブレヒト・デューラー 1508年作)
イメージ 11
聖三位一体(アルブレヒト・デューラー 1511年作)
イメージ 12
切った梨を持つ聖母子(アルブレヒト・デューラー 1512年作)
イメージ 13
マクシミリアン1世の肖像(アルブレヒト・デューラー 1519年作)
イメージ 14
聖ヒエロニムスの肖像(アルブレヒト・デューラー 1521年作)
イメージ 15
四人の使徒(アルブレヒト・デューラー 1526年作)
イメージ 16
圧倒的デッサン力と美しい「青」が印象的な画家ですネ。

 2018年6月クリーヴランド観光を終わり、オタワへ移動しました。クリーヴランドからオタワへの直行便はありませんでした。移動時間優先だとエアー・カナダでトロント乗り換えですが、片道運賃が一人当たり5万円くらいです。節約のためユナイテッド・エアラインで一人当たり片道運賃1万8千円弱の切符を購入しました。クリーヴランドからワシントンのロナルド・レーガン空港までユナイテッド・エクスプレス(UAの子会社LCC)で行き、そこからオタワまでエアー・カナダ・エクスプレス(エアー・カナダの子会社LCC)で行きました。距離・時間が二倍ですが、運賃は三分の一でした。運賃は少し高くなりますが、ニューヨーク経由という選択肢もあります。
ワシントン空港まで乗ったユナイテッド・エクスプレスの機体
イメージ 2
クリーヴランド空港の搭乗口
イメージ 1
レーン1,2は搭乗優先レーンです。私の搭乗券は4か5でした。運賃が安いので納得して最後の方に搭乗しました。
ワシントンのロナルド・レーガン空港では搭乗券のゲート・ナンバー(3番ゲート)を頼りに、15分くらい歩きました。
ゲート3までの遠い通路
イメージ 3
途中で見つけた空港見取り図
イメージ 4
 見取り図中央やや下に到着したゲートがあり、一番上の丸いところにゲート3があります。ちょうど道半ばで、間違っていないことを確認できました。
オタワまで乗ったエアー・カナダ・エクスプレスの機体
イメージ 5
乗り継ぎで3時間ほど待って、やっと搭乗しました。
飛行機から見た日没
イメージ 6
 オタワ空港には午後10時に着きました。カナダ版ESTAに申請・承認済だったので、自動入国審査で短時間入国できました。空港からタクシーでダウンタウン中心部の宿泊施設まで15分35ドル(3千円くらい)でした。チップを足して40ドル払いました。ドライバーの顔つきで、チップ込み35ドルで良かったように感じました。バイワード・ブルー・インという宿泊施設をエクスペディアで予約しましたが、古いアパートを改造したようでタクシー・ドライバーの間での認知度はイマイチでした。私の乗ったタクシーのドライバーは知らなくて、番地を頼りに近くまで行きました。通りかかったタクシードライバーに聞いたりして何とか到着しました。
 宿泊施設の翌朝撮った写真を紹介します。
バイワード・ブルー・インの前景
イメージ 7
玄関で記念撮影
イメージ 8
バイワード・ブルー・インの室内
イメージ 9
部屋のベランダと外の景色
イメージ 10
 古くて安いアパートという雰囲気で、ホテルのそれとはチョット違いました。朝食付きツインルーム一泊1万八千円くらいで、ダウンタウン中心部のバス・トイレ付のほぼ最安値でした。北米はこの2~3年でホテル代が高くなりました。

↑このページのトップヘ