世界美術館巡り旅

世界の美術館・旅行・画家・絵画の情報共有サイト

2018年07月

 フリッツ・シュトルテンベルク(1855~1921年)は海洋画・風景画を主に描いたドイツ人画家です。
フリッツ・シュトルテンベルクの肖像(オスカル・ビョルク 1884年作)
イメージ 1
 フリッツ・シュトルテンベルクはドイツ北部バルト海沿岸のキールで、船乗りの息子に生まれました。ザクセン・ヴァイマル・アイゼナハ大公国の美術学校とミュンヘン美術院で学びました。1882年から南デンマークのエーケンズント芸術村で活動しました。デンマーク最北端の漁村で活動していたスケーエン派の画家たちとも交流しました。結婚してからキールに住まい活動しました。年代順に作品を紹介します。
ローマの古代柱廊(フリッツ・シュトルテンベルク 1881年作
イメージ 2
戦艦ヴランデンブルク(フリッツ・シュトルテンベルク 1891年作
イメージ 3
山間の滝(フリッツ・シュトルテンベルク 1894年作
イメージ 4
キール週間(フリッツ・シュトルテンベルク 1896年作
イメージ 5
 キールでヨットレースのあったのを、キール週間と呼んだようです。
Ellerbek Kate(フリッツ・シュトルテンベルク 1901年作
イメージ 6
戦艦ツェーリンゲン(フリッツ・シュトルテンベルク 1912年作
イメージ 7
真夏の昼(フリッツ・シュトルテンベルク 1916年作
イメージ 8
キール・ホルテナウの水門(フリッツ・シュトルテンベルク作
イメージ 9
キールのホバルツベルク(フリッツ・シュトルテンベルク作
イメージ 10
フリシンゲンの岸壁(フリッツ・シュトルテンベルク作
イメージ 11
真夏の池(フリッツ・シュトルテンベルク作
イメージ 12
新古典派と印象派の中間くらいの画風ですネ。

 2018年6月にミネアポリス美術館を訪問しました。美術館鑑賞後、モール・オブ・アメリカに行ってみようと思いました。このモール・オブ・アメリカは「全米一の規模」とか「世界一の年間来場数」とかの評価です。ミネアポリスの人口や規模からは、全米一とか世界一とかのイメージが湧きませんでした。見てみたいと思い、美術館から北へ20~30分歩いてメトロ駅(ガヴァメント・プラザ・ステーション)に向かいました。
市庁舎前のガヴァメント・プラザ・ステーション
イメージ 1
メトロの自動券売機
イメージ 2
 シニア(老人割引)料金は大人の半額です。通勤時間帯で1.25ドル、この時は正午頃なので1.0ドルで150分乗り放題でした。メトロと呼んでいますが、地下を走るのは空港の近くだけでした。複数車両のトラムのイメージでした。
メトロ車内で記念撮影
イメージ 3
 他の乗客が映らないように優先席で撮影しました。ガヴァメント・プラザ・ステーションから30分ほどで空港駅を通り、更に2~3駅進んでモール・オブ・アメリカ駅に着きました。バス・ターミナルと地下通路を通って地上に出ると、モール・オブ・アメリカの入り口がありました。売店やカフェが並び、普通のモールの感じでした。吹き抜けの中央ホールにいくと、地上4~5階のモールでした。
吹き抜け中央ホールで記念撮影
イメージ 4
 ごく普通のモールに見えましたが、家族連れがひとつの方向に歩くのが見えました。それについていくと、なんと遊園地がありました。モールの屋根の下にあったので、この遊園地もモールの一部という扱いのようです。遊園地にはジェットコースターやそれに近い遊具が一杯ありました。
ジェットコースターのレール
イメージ 5
走行していたジェットコースター
イメージ 6
座席が昇って行って落下する遊具
イメージ 7
四方向を向いた座席があり、座っている人たちの靴底が見えていました。
円弧レールの上をスィングする遊具
イメージ 8
わざわざ恐怖を高める座席配置でした。高所恐怖症の私は、試す勇気が出ませんでした。
モール・オブ・アメリカの看板(Wikipediaから)
イメージ 9
モール・オブ・アメリカの遊園地の様子(Wikipediaから)
イメージ 10
モール・オブ・アメリカの吹き抜け中央ホール(Wikipediaから)
イメージ 11
 来場数世界一の原動力は遊園地のようでした。公式HPによると水族館やゴルフ・コースもあるようです。冬は雪も降るようなので、屋根付きの遊園地のニーズが有ったんでしょう。アメリカらしいですネ。

 ヨーゼフ・カール・シュティーラー(1781~1858年)は新古典主義的な肖像画を描いたドイツ人画家です。
自画像(ヨーゼフ・カール・シュティーラー作)
イメージ 1
 ヨーゼフ・カール・シュティーラーはマインツで、彫版・刻印・金型製作を代々続けた家に生まれました。父から美術の手ほどきを受けましたが、父の死後しばらくは独学でミニチュアール画家を目指しました。1802~05年の間ウィーン美術アカデミーで学びました。パリのジャック=ルイ・ダヴィッド門下のフランソワ・ジェラールのアトリエで働きました。ここで肖像画の画風を固めたようです。
 1808年フランクフルトで肖像画家として独立しました。1810年委はイタリア旅行をしました。その後肖像画作成依頼で、バイエルン・ウィーンなどにも行きました。盛る(実物より美しく描く)のが上手い肖像画で、引く手あまただったようです。Wikipediaに実例がありましたので、紹介します。
マリー・フォン・プロイセン写真と肖像画(ヨーゼフ・カール・シュティーラー作)          イメージ 3   イメージ 2
ローラ・モンテッツの写真と肖像が(ヨーゼフ・カール・シュティーラー作) 
 イメージ 4   イメージ 5
年代順に作品を紹介します。
ベートーベンの肖像(ヨーゼフ・カール・シュティーラー 1820年作)
イメージ 6
制作者の名前を知らなくても、この絵をご存知の方が多いと思います。
ルートヴィヒ1世の肖像(ヨーゼフ・カール・シュティーラー 1826年作)
イメージ 7
アマーリエ・フォン・レルヒェンフェルトの肖像
(ヨーゼフ・カール・シュティーラー 1827年作)
イメージ 8
コーネリア・フェッターラインの肖像
(ヨーゼフ・カール・シュティーラー 1828年作)
イメージ 9
ゲーテの肖像(ヨーゼフ・カール・シュティーラー 1828年作)
イメージ 10
 レジーナ・ダクセンベルガーの肖像
(ヨーゼフ・カール・シュティーラー 1829年作)
イメージ 11
マリアンナ・マルケーザ・フローレンツの肖像
(ヨーゼフ・カール・シュティーラー 1831年作)
イメージ 12
アレクサンダー・フォン・フンボルトの肖像
(ヨーゼフ・カール・シュティーラー 1843年作)
イメージ 13
実物の特徴を残して微妙に盛っています。うまい肖像画家ですね。

 2018年6月にミネアポリス美術館を訪問しました。訪問直前に行った聖マルク聖堂と直後に行ったミネアポリス・ダウンタウン中心部を紹介します。
 午前9時過ぎにウォーカー・アート・センターを出て、道を挟んで隣の聖マルク聖堂に寄りました。
聖マルク聖堂全景(Wikipediaから)
イメージ 1
聖マルク聖堂の表示と前景
イメージ 2
聖マルク聖堂の入り口で記念撮影
イメージ 3
聖堂前の木にはリスが
イメージ 4
内部には綺麗な祭壇やステンドグラスがあるようです。インターネットで見つけた写真を紹介します。
聖マルク聖堂の祭壇(公式HPから)
イメージ 5
聖マルク聖堂のステンドグラス(トリップアドバイザーから)
イメージ 6
聖マルク聖堂のから徒歩5分ほどでミネアポリス美術館に着きました。
途中の路上から見たミネアポリス・ダウンタウン中心部
イメージ 7
ミネアポリス美術家には開館時間(午前10時)の15分ほど前に着きました。美術館南側隣に公園(ワシントン・フェアー・オークス・パーク)があり、そこのベンチで開館を待ちました。
ワシントン・フェアー・オークス・パークで記念撮影
イメージ 8
ミネアポリス美術館鑑賞後、サード・アヴェニューを北に歩いてメトロ駅に行きました。
ミネアポリス市庁舎
イメージ 9
緑色屋根の建物が市庁舎です。手前に走っている電車が、メトロです。市庁舎前にガヴァメント・プラザ・ステーションがあります。道を歩くとビルとビルが頭上の通路で繋がれているのを度々見ました。ビルが大々的に繋がれていて、ミネアポリス・スカイウェイ・システムと呼ぶようです。インターネットで調べたので、写真をいくつか紹介します。
     ミネアポリス・スカイウェイ・システムの地図(公式HPから)
イメージ 10
ミネアポリス・スカイウェイ・システムの通路(トリップアドバイザーから)
イメージ 11
ミネアポリス・スカイウェイ・システムの通路内部(トリップアドバイザーから)
イメージ 12
ビルとビルを繋ぐ通路なので、夫々の構造は様々のようです。このシステムの為か、ダウンタウン中心部道路の人通りは少ないように感じました。

 フリーリッヒ・ヴィルヘルム・フォン・シャドー(1788~1862年)は宗教画・肖像画を多く描いたドイツ人画家です。
自画像(フリーリッヒ・ヴィルヘルム・フォン・シャドー 1805年作)
イメージ 1
 フリーリッヒ・ヴィルヘルム・フォン・シャドーはベルリンで、彫刻家の息子に生まれました。父から彫刻の手ほどきを受けましたが、途中で絵画に転向しました。1810年から彫刻家となった兄とともに、ローマへ旅行しました。ローマでナザレ派に加わり活動しました。ベルリンへ戻ると、美術学校の教授になりました。1826年にデュッセルドルフ美術学校校長に就任すると、30年以上校長を務めました。年代順に作品を紹介します。
ドラマティックな白昼夢
(フリーリッヒ・ヴィルヘルム・フォン・シャドー 1802年作)
イメージ 2
捕らわれたヨセフ
(フリーリッヒ・ヴィルヘルム・フォン・シャドー 1816年作)
イメージ 3
兄弟との自画像(フリーリッヒ・ヴィルヘルム・フォン・シャドー 1816年作)
イメージ 4
聖家族(フリーリッヒ・ヴィルヘルム・フォン・シャドー 1818年作)
イメージ 5
ヴィエンチスラヴとコンスタンティンの肖像
(フリーリッヒ・ヴィルヘルム・フォン・シャドー 1820年作)
イメージ 6
アグネス・ラウフの肖像
(フリーリッヒ・ヴィルヘルム・フォン・シャドー 1825年作)
イメージ 7
可愛らしい女(フリーリッヒ・ヴィルヘルム・フォン・シャドー 1828年作)
イメージ 8
フェリックス・シャドーの肖像
(フリーリッヒ・ヴィルヘルム・フォン・シャドー 1829年作)
イメージ 9
ベンドマンの家族と友人たち
(フリーリッヒ・ヴィルヘルム・フォン・シャドー 1831年作)
イメージ 10
読書する少女(フリーリッヒ・ヴィルヘルム・フォン・シャドー 1832年作)
イメージ 11
校長としてデュッセルドルフ美術学校の名声を高めたようです。忙しかったのか、後半生の作品はあまり残っていませんでした。

↑このページのトップヘ