世界美術館巡り旅

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2018年04月

 パウルス・ポッテル(1625~1654年)は家畜を多く描いたオランダ人画家です。
パウルス・ポッテルの肖像(バルトロメウス・ファン・デル・ヘルスト作)
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 パウルス・ポッテルはネーデルランド(オランダ)北東部のエンクホイゼンで画家の息子に生まれました。父親から絵の手ほどきを受け、1646年に(21歳で)デルフトの聖ルカ組合に登録されました。1649にはデン・ハーグの聖ルカ組合に登録されました。当初宗教画を描いていましたが、その後家畜を描くようになりました。アムステルダムに移って市長とも親交を深め、名声を得ました。僅か28歳で結核により亡くなりました。年代順に作品を紹介します。
アブラハムの前に現れる神(パウルス・ポッテル 1642年作)
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仕事を終える羊飼い(パウルス・ポッテル 1645年作)
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乳しぼりの女(パウルス・ポッテル 1646年作)
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狩人の罰(パウルス・ポッテル 1647年作)
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雄牛(パウルス・ポッテル 1647年作)
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水に写る牝牛(パウルス・ポッテル 1648年作)
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牧草地の二頭の馬(パウルス・ポッテル 1649年作)
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ウルフ・ファウンド(パウルス・ポッテル 1650~52年作)
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休息する家畜たち(パウルス・ポッテル 1652年作)
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スパニエル(パウルス・ポッテル 1653年作)
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闘う雄牛たち(パウルス・ポッテル 1653年作)
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四頭の雄牛(パウルス・ポッテル作)
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家畜の観察力と描写力がすごい画家ですネ。

 フランス・ポスト(1612~1680年)はアメリカ大陸の風景をヨーロッパ人で初めて描いたフランド画家です。
フランス・ポストの肖像(フランス・ハルス 1655年作)
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 フランス・ポストはオランダ ハールレムでガラス塗装工の息子に生まれ、兄は建築家になりました。どのように修業したかは伝わっていません。フレデリック・ヘンドリック(オラニエ公)から西インド諸島の風景を描くよう依頼され、随行しました。1637~44年の間、ブラジルに滞在しました。その後ハールレムに戻り、1646年に聖ルカ組合に登録されました。帰国後もブラジルの風景を描き続けました。その後アルコール依存症に陥り、1670年以降絵も描かなくなったようです。年代順に作品を紹介します。
Itamaracá島の眺望(フランス・ポスト 1637年作)
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牛車の居る風景(フランス・ポスト 1638年作)
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Porto Calvoの風景(フランス・ポスト 1639年作)
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これ以降はハールレムに戻ってから描かれた作品です。
マノアの生贄のあるブラジル風景(フランス・ポスト 1648年作)
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Paulo Afonsoの滝(フランス・ポスト 1649年作)
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Olindaの眺望(フランス・ポスト 1650年作)
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ブラジルの風景(フランス・ポスト 1652年作)
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リーフのアントニオ倉庫(フランス・ポスト 1653年作)
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ブラジルの入植地(フランス・ポスト 1654年作)
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塀と馬と奴隷(フランス・ポスト 1655年作)
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ブラジルの入植農場(フランス・ポスト 1656年作)
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滝と森(フランス・ポスト 1657年作)
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植民地(フランス・ポスト 1660年作)
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眺望(フランス・ポスト 1662年作)
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教会と砂糖キビ絞り(フランス・ポスト 1667年作)
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ブラジルの教会(フランス・ポスト 1675~80年作)
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ブラジルから帰国後30年以上描き続けたようです。

 クララ・ペーテルス(1594?~1657年?)はバロック期に静物画を主に描いたフランドルの女流画家です。
 クララ・ペーテルスはアントウェルペンで1594年に洗礼を受け、1639年に結婚したという記録が残っています。ただ、クララの名もペーテルスの家族名もアントウェルペンで良く見られるものでした。この記録が本人のものか、同姓同名の別人かは良く分かっていません。彼女の名前が登場する最初の作品は、1607年に描かれたものです。1594年生まれだと僅か13歳に描かれたことになり、チョット不可思議です。1621年に描かれた作品までは本人作と認められていますが、それ以降の作品は彼女の名声から真似をして描いたのではないかと考えられています。
 彼女の生涯については良く分かっていないというのが正直なところです。フランドルの女流画家の先駆けと言える画家です。年代順に作品を紹介します。
燭台とグラスのある静物(クララ・ペーテルス 1607年作)
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 堂々たる静物画です。皿とその上のグラスを見る視点、奥のグラスを見る視点、蝋燭を見る視点が夫々違っていて、チョット不自然さを感じます。修業途上の作品だったのでしょうか? 13歳で描いた可能性もあるような、無いような・・・。
魚と蟹蝦の静物(クララ・ペーテルス 1611年作)
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パイとオリーブのある静物(クララ・ペーテルス 1611年作)
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花のある静物(クララ・ペーテルス 1611年作)
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獲物の静物(クララ・ペーテルス 1611年作)
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花と金杯のある静物(クララ・ペーテルス 1612年作)
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果物籠と果物皿のある静物(クララ・ペーテルス 1613年作)
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銀の皿のある静物(クララ・ペーテルス 1613年作)
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魚と蝦の静物(クララ・ペーテルス 1615年作)
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チーズとアーモンド・プリッツエルの静物(クララ・ペーテルス 1615年作)
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チーズとチェリーのある静物(クララ・ペーテルス 1615年作)
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ヴァニタスの自画像?(クララ・ペーテルス 1618年作)
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魚と猫の静物(クララ・ペーテルス 1620年作)
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 ここまでは圧倒的な画力・画風の作品でした。1621年以降の作品は本人の作品ではなさそうだと言うのが現在の定説のようです。従来彼女の作とされていた作品を1枚紹介します。
蟹蝦ロブスターの静物(伝クララ・ペーテルス 1635~40年作)
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 コジンマリと言うか、迫力がありませんネ。チーズの切り口なんかは、干乾びた感じになってしまっています。ただ静物のチーズも干乾びていないとこんな風には描けません。エビ(ロブスター)も平ぺったい。何か不可思議な絵です。

 ヘリット・ベルクヘイデ(1638~1698年)は都市景観画(建物と人々)を多く描いたオランダ人画家です。
ヘリット・ベルクヘイデの肖像(ヨブ・ベルクヘイデ作)
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兄が描いた肖像画です。
 ヘリット・ベルクヘイデはハールレムで(恐らく)製本工の次男に生まれました。父親は彼を製本工になるよ訓練したようです。兄のヨブ・ベルクヘイデから絵を学び、兄弟で画家になる道を選びました。1650年代兄弟でケルン、ボン、マンハイムと渡り歩き、ハイデルベルグに至りました。同地でカール1世ルートヴィヒに仕え、業績でゴールド・メダルを授与されました。その後二人ともハールレムに戻り工房を構えました。1660年にハールレムの聖ルカ組合に登録されました。同地を中心に活躍して、同地で亡くなりました。年代順に作品を紹介します。
アムステルダム市庁舎前の広場(ヘリット・ベルクヘイデ 1660年作)
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アムステルダム市庁舎(ヘリット・ベルクヘイデ 1668~70年作)
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ハイデルベルグの眺望(ヘリット・ベルクヘイデ 1670年作)
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アムステルダム・ヘーレン運河のカーブ
(ヘリット・ベルクヘイデ 1671~72年作)
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アムステルダム・ヘーレン運河(ヘリット・ベルクヘイデ 1672年作)
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ハールレムのシント・バフォ聖堂内部(ヘリット・ベルクヘイデ 1673年作)
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ハールレム大聖堂前広場(ヘリット・ベルクヘイデ 1674年作)
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アムステルダムの運河と花市場(ヘリット・ベルクヘイデ 1686年作)
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狩りの集まり(ヘリット・ベルクヘイデ 1690年作)
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ハールレム市庁舎と広場(ヘリット・ベルクヘイデ 1691年作)
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ハールレムのシント・バフォ聖堂と広場(ヘリット・ベルクヘイデ 1696年作)
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教会、市庁舎、広場を徹底的に描き続けた画家のようです。

 ヨハネス・コルネリス・フェルスプロンク(1600年頃~1662年)は衣服のレースや装飾を描くのに長けていたオランダ人画家です。
 ヨハネス・コルネリス・フェルスプロンクはハールレムで、ゴーダ出身画家の息子に生まれました。父親から絵の手ほどきを受け、1632年にハールレムの聖ルカ組合に登録されました。集団肖像画なども描き、依頼が多かったと思われます。年代順に作品を紹介します。
若い男の肖像(ヨハネス・コルネリス・フェルスプロンク 1634年作)
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旗手に扮したAndries Stilteの肖像
(ヨハネス・コルネリス・フェルスプロンク 1640年作)
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Pieter Jacobsz Schoutの肖像
(ヨハネス・コルネリス・フェルスプロンク 1641年作)
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青い服を着た少女(ヨハネス・コルネリス・フェルスプロンク 1641年作)
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Heilige Geesthuisの評議員
(ヨハネス・コルネリス・フェルスプロンク 1642年作)
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紳士の肖像(ヨハネス・コルネリス・フェルスプロンク 1651年作)
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Maria Strijpの肖像(ヨハネス・コルネリス・フェルスプロンク 1652年作)
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ハールレムの聖エリザベス病院の理事達
(ヨハネス・コルネリス・フェルスプロンク 1662年作)
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集団肖像画がフランス・ハルスを思い起こさせます。フランス・ハルスと何らかの親交があったのではないかと議論がされているようです。

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