世界美術館巡り旅

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2018年03月

 ルーラント・サーフェリー(1577年頃~1639年)は花や風景を多く描いたオランダ人画家です。現在絶滅したドードー鳥を描いたことで有名です。
 ルーラント・サーフェリーは(現ベルギーの)コルトレイクの画家一族に生まれました。八十年戦争を避けて、1585年に(8歳頃に)家族と共にハールレムに移住しました。兄のヤーコプの弟子になって修業しました。兄の死後ルドルフ2世に招かれてプラハに赴き、宮廷画家となりました。皇帝の死後ミュンヘン、ザルツブルグ、ウィーンを転々として、ユトレヒトに落ち着きました。生活上トラブル(アルコール依存症?)で1638年に破産して、その半年後に亡くなりました。年代順に作品を紹介します。
花置き壁棚(ルーラント・サーフェリー 1603年作)
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黒い馬の風景(ルーラント・サーフェリー 1605年作)
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鹿の居る森(ルーラント・サーフェリー 1608~10年作)
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農家の庭(ルーラント・サーフェリー 1610年作)
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ハンターの居る風景(ルーラント・サーフェリー 1615年作)
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牛と山羊の林(ルーラント・サーフェリー 1616年作)
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壁棚の花(ルーラント・サーフェリー 1621年作)
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家畜の休む風景(ルーラント・サーフェリー 1622年作)
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ブーケ(ルーラント・サーフェリー 1624年作)
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ドードー鳥(ルーラント・サーフェリー 1626年作)
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オルフェウス(ルーラント・サーフェリー 1628年作)
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鳥の居る風景(ルーラント・サーフェリー 1628年作)
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動物の居る風景(ルーラント・サーフェリー 1630年作)
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写実的な画風から、やがて装飾的な画風に変わったようです。

 ピーテル・サウトマン(1590年代?~1657年)はオランダの肖像画家です。
 ピーテル・サウトマンはハールレムでビール醸造所の経営者の末っ子に生まれました。アントワープでルーベンスと共に修業したと伝わります。1624年にアントワープを訪れたヴワディスワフ4世に、ルーベンスが有望な肖像画家としてピーテル・サウトマンを紹介したようです。同年ポーランドに赴き、宮廷画家となりました。1628年までジグムント3世に仕えた後ハールレムに戻り、同地で活躍しました。年代順に作品を紹介します。
ジグムント3世の肖像(ピーテル・サウトマン 1626年作)
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貴婦人の肖像(ピーテル・サウトマン 1625~30年作)
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貴婦人の肖像(ピーテル・サウトマン 1625~30年作)
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Paulus van Beresteynとその家族(ピーテル・サウトマン 1631年作)
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Emerentia von Berensteynの肖像(ピーテル・サウトマン 1634年作)
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幼児の肖像(ピーテル・サウトマン 1635~40年作)
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若者の肖像(ピーテル・サウトマン 1640年作)
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四人の子供たち(ピーテル・サウトマン 1641年作)
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サムソンとデリラ(ピーテル・サウトマン 1642年作)
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ハールレムの市警団(ピーテル・サウトマン 1642年作)
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晩年の作品は多く残っていません。実家のビール醸造所の経営に参画したのか、他の事情があったのかは良く分かりませんでした。

 ウィレム・カルフ(1619~1693年)はオランダの静物画画家です。
ウィレム・カルフの肖像
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 ウィレム・カルフはロッテルダムで裕福な織物商人の息子に生まれました。ドルトレヒトで修業をしたと思われます。1630年代後半フランスを旅行して、パリで素朴な室内画や静物画を描きました。1640年代半ばころから、豪華な静物画を描くようになりました。1651年に結婚して、アムステルダムへ移りました。1680年代以降は画商の仕事がメインとなりました。年代順に作品を紹介します。
水汲みの人影(ウィレム・カルフ 1640年作)
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井戸端の農夫婦(ウィレム・カルフ 1642年作)
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台所(ウィレム・カルフ 1642年作)
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鎧と兜(ウィレム・カルフ 1643~45年作)
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角杯とロブスターの静物(ウィレム・カルフ 1653年作)
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銀の水差しの静物(ウィレム・カルフ 1656年作)
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中国壺の静物(ウィレム・カルフ 1658年作)
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オウムガイと水差しと皿の静物(ウィレム・カルフ 1660年作)
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静物画(ウィレム・カルフ 1669年作)
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ホルバイン・ボウルの静物(ウィレム・カルフ 1678年作)
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貝の静物(ウィレム・カルフ 1678年作)
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金色の水差しと盆(ウィレム・カルフ 1693年作)
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1640年代半ばから、豪華なオランダ風静物画に移行した(戻った)ように見えます。どのような心境変化でしょうか。オランダに戻る事を意識したのでしょうか。

 アルベルト・カイプ(1620~1691年)はオランダの風景画を多く描いたオランダ人画家です。
 アルベルト・カイプはドルトレヒトの肖像画家の息子に生まれました。祖父と叔父はステンドグラス作家で、芸術一門に生まれました。父から肖像画の手程を受け、その後風景画家となりました。イタリアに実際行ったことはありませんが、イタリア的(地中海の明るい画風)のオランダ風景画を描きました。1658年の裕福な妻と結婚後、絵を描くことが少なくなりました。結婚後は注文を受けてから描いていたようです。年代順に作品を紹介します。
家畜の居る風景(アルベルト・カイプ 1640年代作)
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ドルトリフトのマース河(アルベルト・カイプ 1646年作)
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パストゥールの羊飼い(アルベルト・カイプ 1650年作)
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食事するひと(アルベルト・カイプ 1650年作)
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レーネン近郊(アルベルト・カイプ 1650~55年作)
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騎乗者と川の風景画(アルベルト・カイプ 1650年代)
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黒人の従者(アルベルト・カイプ 1652年作)
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川の牛たち(アルベルト・カイプ 1654年作)
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騎馬者と川の風景(アルベルト・カイプ 1655年作)
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ドルトレヒトのマース河(アルベルト・カイプ 1660年作)
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結婚で裕福になり作画数が減ったようです。最後の絵は出来が良いです。このような絵がもっと沢山描けた可能性もあった訳で、残念ですネ。

 マリア・ファン・オーステルウィック(1630~1693年)はオランダの静物画を得意とした女性画家です。
マリア・ファン・オーステルウィックの肖像
(ヘールトン・ウィンヘス 1671年作)
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 マリア・ファン・オーステルウィックはノートドルプで生まれ、ヤン・ダヴィス・デ・ヘームの下で学び、その後デルフト/アムステルダムで活躍しました。神聖ローマ皇帝レオポルド1世、フランス王ルイ14世、イングランド王ウィリアム3世などの王族・貴族の間で絶大の人気を博しました。女性の為、画家組合への登録を認められませんでした。召使のヘールトン・ウィンヘスに絵を教え、やがて彼女も画家になりました。年代順に作品を紹介します。
花瓶にチューリップとバラ(マリア・ファン・オーステルウィック 1676年作)
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ヴァニタスの静物(マリア・ファン・オーステルウィック 1668年作)
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花瓶に花束の静物(マリア・ファン・オーステルウィック 1670年作)
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装飾花瓶に花の静物(マリア・ファン・オーステルウィック 1670~75年作)
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リリー、アイリスの静物(マリア・ファン・オーステルウィック 1675年作)
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花と蝶の静物(マリア・ファン・オーステルウィック 1686年作)
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花と昆虫と貝の静物(マリア・ファン・オーステルウィック 1689年作)
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マグダラのマリアに扮した女性の肖像(マリア・ファン・オーステルウィック)
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 ヴァニタスの静物(マリア・ファン・オーステルウィック作)
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王族・貴族から注文を受ける売れっ子画家だったのですが、女性という事でギルトに入れなかったようです。

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