世界美術館巡り旅

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2017年06月

 コルネリス・ファン・ハールレム(1562~1638年)はマニエリスム派の黄金期オランダ画家です。宗教画を装った風俗画という作品が、いくつか見られます。発注者の要求かと思われます。
 コルネリス・ファン・ハールレムはハールレムの裕福な家庭に生まれました。八十年戦争の下スペイン軍の侵攻を避けて、両親はハールレムを離れました。コルネリス・ファン・ハールレムはハールレムに残り、ピーテル・ピーテルス・アールツェンに育てられ、絵の修業をしました。その後、フランスのルーアンやアントワープでも修業をしました。徐々に名声を得て、1583年にハールレム市から市民軍の集団肖像画を依頼されました。ハールレム・アカデミーを仲間と設立しましたが、デッサンや絵画論を戦わせる非公式な組織だったようです。1603年にハールレム市長の娘と結婚して、名実ともに名士となりました。年代順に作品を紹介します。
キリストの洗礼(ファン・ハールレム、1588年作)
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打ち負かされるタイタン(ファン・ハールレム、1588年作)
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自画像(ファン・ハールレム、1588~90年作)
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ヘラクレスとアキレス(ファン・ハールレム、1590年作)
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嬰児虐殺(ファン・ハールレム、1590年作)
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修道女と修道士(ファン・ハールレム、1591年作)
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教会関係者に見つかるとヤバイ絵です。どういう経緯で描いたのか?
人間の堕落(ファン・ハールレム、1592年作)
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ペレウスとテティスの結婚(ファン・ハールレム、1593年作)イメージ 8
老人と若者の選択(ファン・ハールレム、1597年作)
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セント・ジョージ会社役員の宴会(ファン・ハールレム、1599年作)
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ヴィーナスとアドニス(ファン・ハールレム、1614年作)
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聖母子(ファン・ハールレム、1617年作)
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良きソマリア人(ファン・ハールレム、1627年作)
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パリスの審判(ファン・ハールレム、1628年作)
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宗教画か風俗画なのか微妙な絵が結構あります。そういう注文が多かったのでしょうか?

 ヤン・ファン・ホーイエン(1596~1656年)はオランダの風景画家です。作品はどこか寂れているとか、寂しいとか感じさせます。将来の破産を感じていたのでしょうか?
 ヤン・ファン・ホーイエンはライデンで生まれ、10歳以降複数の画家に師事しました。1617年に(21歳で)ハールレムに出て、エサイアス・ファン・デ・フェルデの下で風景画を学びました。その後オランダ中を旅行して、風景画を描きました。1631年にハーグに移住して、1651年にはハーグ市長執務室の風景画を依頼されました。画作の収入を投資して失敗を重ね、亡くなった時は破産間際だったようです。死後急激に名声が落ちて、忘れ去られた存在だったようです。19世紀になって再評価されたようです。年代順に作品を紹介します。
冬の風景(ホーイエン、1627年作)
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砂丘の風景(ホーイエン、1629年作)
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干し草造り(ホーイエン、1630年作)
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川の風景(ホーイエン、1631年作)
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オークのある風景(ホーイエン、1634年作)
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川辺の風車(ホーイエン、1642年作)
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スケートの風景(ホーイエン、1643年作)
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ライデンの眺望(ホーイエン、1643年作)
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風車と城のある風景(ホーイエン、1644年作)
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アーネムのライン川(ホーイエン、1645年作)
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ハーグの冬景色(ホーイエン、1645年作)
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川近くの城(ホーイエン、1647年作)
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橋の馬車(ホーイエン、1648年作)
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川の風景(ホーイエン、1652年作)
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家畜船の居る風景(ホーイエン、1654年作)
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安定しているというか、替わり映えしないというか。投資の方に気が行っていたのでしょうか?

 アブラハム・ファン・ベイエレン(1620年頃~1690年)はバロック期のオランダ人画家です。豪華な食卓、特に真っ赤なロブスターが描かれた作品をご記憶の方も多いと思います。
 アブラハム・ファン・ベイエレンはデン・ハーグでガラス職人の息子として生まれました。1636年頃からTyman Arentsz Crachtに師事しました。1638~39年の間ライデンに住み、1640年に(20歳チョットで)デン・ハーグに戻り、聖ルーク(ルカ)画家組合の会員になりました。1640年代は海・川の風景画と魚の静物画を多く描き、やがて食卓画に移行しました。デルフト、アムステルダムなどオランダ国内各地で暮らしたよです。1678年からロッテルダム郊外に落ち着き、その地で亡くなりました。年代順に作品を紹介します。
川の風景(ベイエレン、1640年代作?)
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銀色の海の風景(ベイエレン、1650年作)
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魚籠の静物(ベイエレン、生昨年不詳)
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魚の静物(ベイエレン、制作年不詳)
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魚のある静物(ベイエレン、1655~66年作)
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風景のある静物(ベイエレン、1655年作)
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風景のある静物(ベイエレン、1650年代作)
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晩餐の静物(ベイエレン、1655~65年作)
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銀の水差しに自画像が写った静物(ベイエレン、1655~65年作)
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自画像を描き込むとは、なかなかのアイデアですネ。
花の静物(ベイエレン、1663~65年作)
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鳥の獲物の静物(ベイエレン、1664年作)
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食卓の静物(ベイエレン、1665年作)
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魚売り(ベイエレン、1666年作)
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ネズミの居る食卓の静物(ベイエレン、1667年作)
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作者の作品中で一番有名な絵です。画面中央やや右下に、銀盆の縁(ナイフの少し上)に小さなネズミが描かれています。遊び心ですかネ。

 ジョヴァンニ・ダ・ミラノ(1325年頃~1369年)はフィレンツェとローマで活躍した、ジヨットが晩年の頃生まれたイタリア人画家です。ゴシックとルネッサンスの橋渡しとなった画家の一人です。
 ジョヴァンニ・ダ・ミラノはミラノ近郊ので生まれたようです。生まれた地に因んでダ・ミラノ(ミラノから来た)のあだ名で呼ばれたようです。記録に残っているのは1346年以降で、経歴は良く分からないようです。年代順に作品を紹介します。
聖母と聖人(ジョヴァンニ・ダ・ミラノ、1350年作)
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この絵はカラフルで、ゴシック様式から少し逸脱しているように感じます。
キリストと聖母と聖人たち(ジョヴァンニ・ダ・ミラノ、1350~55年作)
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架刑(ジョヴァンニ・ダ・ミラノ、1350年代作)
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この絵はゴシック的です。
架刑(ジョヴァンニ・ダ・ミラノ、1355年作)
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聖母と聖人の祭壇画(ジョヴァンニ・ダ・ミラノ、1355年作)
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聖母子(ジョヴァンニ・ダ・ミラノ、1355年作)
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聖ミカエル(ジョヴァンニ・ダ・ミラノ、1355~60年作)
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架刑(ジョヴァンニ・ダ・ミラノ、1360~65年作)
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ジヨットの絵と似たところがあります。
バンビーノの聖母(ジョヴァンニ・ダ・ミラノ、1360年代作)
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キリストの奇跡(ジョヴァンニ・ダ・ミラノ、1360年代作)
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キリストと四天使(ジョヴァンニ・ダ・ミラノ、1365年作)
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サンタ・クローチェ聖堂北壁(ジョヴァンニ・ダ・ミラノ、1365年作)
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上の3枚がジョヴァンニ・ダ・ミラノ作のようです。
サンタ・クローチェ聖堂南壁(ジョヴァンニ・ダ・ミラノ、1365年作)
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上の3枚が、ジョヴァンニ・ダ・ミラノ作のようです。
ピエタ(ジョヴァンニ・ダ・ミラノ、1365年作)
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この絵以降のデッサンに、ルネッサンスの萌芽を感じます。
ヨアキムの追放(ジョヴァンニ・ダ・ミラノ、1365年作)
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何故か興味を惹かれる描き方です。デザイン画の要素が含まれている。
受胎告知の聖母(ジョヴァンニ・ダ・ミラノ、1365年作)
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祝宴(ジョヴァンニ・ダ・ミラノ、1365年作)
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聖母誕生(ジョヴァンニ・ダ・ミラノ、1365年作)
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聖母子(ジョヴァンニ・ダ・ミラノ、1365年作)
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天使(ジョヴァンニ・ダ・ミラノ、1365年作)
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アポカリプスのキリスト(ジョヴァンニ・ダ・ミラノ、1365~69年作)
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聖母(ジョヴァンニ・ダ・ミラノ、1365~69年作)
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ルネッサンスの萌芽を感じさせる画家です。

 ローレンス・アルマ=タデマ(1836~1912年)は、ヴィクトリア期のイギリスで歴史画作品を多く描いた画家です。
 ローレンス・アルマ=タデマは、オランダ ドロンライプで村の公証人の息子に生まれました。4歳の時に父親が亡くなりパリに移住していましたが、普仏戦争を逃れるため1870年にイギリスへ帰化して、ロンドンに定住しました。1863年の新婚旅行でポンペイなどを回った時に建築や調度品に感銘し、歴史画を描くようになりました。1906年イギリス王立建築学会からゴールドメダルを受けました。年代順に作品を紹介します。
自画像(アルマ=タデマ、1852年作)
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16歳の時の絵です。
クロービスの子供の教育(アルマ=タデマ、1861年作)
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ローマのワイン利き酒(アルマ=タデマ、1861年作)
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チェスで遊ぶエジプト人(アルマ=タデマ、1865年作)
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友人にパルテノンの壁画を見せるフィディアス(アルマ=タデマ、1868年作)
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ワイン祭り(アルマ=タデマ、1870年作)
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テピダウリム(アルマ=タデマ、1881年作)
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アントニーとクレオパトラ(アルマ=タデマ、1883年作)
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アムフィッサンの女たち(アルマ=タデマ、1887年作)
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ヘリオガバルスの薔薇(アルマ=タデマ、1888年作)
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冷水風呂(アルマ=タデマ、1890年作)
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知らず知らずのライヴァル(アルマ=タデマ、1893年作)
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自画像(アルマ=タデマ、1896年作)
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青いイオニアの空の下(アルマ=タデマ、1903年作)
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モーゼの発見(アルマ=タデマ、1904年作)
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お気に入りの習慣(アルマ=タデマ、1909年作)
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歴史画家とされていますが、作品を俯瞰すると歴史を画題とした風俗画という感じです。歴史に深い蘊蓄はなさそうです。

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