世界美術館巡り旅

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2017年01月

 ヘラルド・ダーフィット(1460年頃~1523年)は初期フランドル派の画家です。1494年にメムリンクが亡くなると、ブルッヘ(ブルージュ)を代表する画家となりました。作品はほとんど宗教画です。
 ヘラルド・ダーフィットは現在のオランダ ユトレヒト近くの町で生まれました。恐らくハールレムで修業をして、1483年に(23歳くらいで)ブルッヘに移ってきました。1484年委ブルッヘの聖ルカ組合に加入しました。1501年に聖ルカ組合で長老格になったようです。年代順に作品を紹介します。
キリストの磔(ダーフィット、1480年頃作)
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海賊と聖人(ダーフィット、1485年作)
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カムベセスの審判(ダーフィット、1498年作)
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カナの婚礼(ダーフィット、1500年作)
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四天使と聖母子(ダーフィット、1505年作)
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受胎告知(ダーフィット、1506年作)
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エジプト逃避行途上の休息(ダーフィット、1515年作)
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ミルク粥と聖母子(ダーフィット、1515年作)
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架刑(ダーフィット、1515年作)
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キリストの変容(ダーフィット、1520年作)
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メムリンクを彷彿とさせる画風です。

 ベルリンのゲメルド・ガレリーには傑作が多数所蔵・展示されています。傑作の間にあって、小さい(30cmx22cm程度)「若い女の肖像」も存在感を示していました。
若い女の肖像(ベトルス・クリストウス、1470年作)
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 ベトルス・クリストウスはヤン・ファン・エイクに短期間師事して、程なくエイクが亡くなりました。事情は良く分かりませんが、エイクの工房の後継者となったようです。このクリストウスが亡くなった後、メムリンクがフランドル派の代表的な画家となりました。ヤン・ファン・エイクとメムリンクの間の期間のフランドル派を代表した画家です。
 この「若い女の肖像」はクリストウス晩年の1470年に描かれました。彼の画業の集大成とも言える小さな傑作です。モデルはイギリス貴族の娘との言い伝えがあるようですが、比較的早い時期にフィレンツェのメディチ家が購入したようです。経緯は良く分かりませんが、メディチ家はさすがに目が高い。胸元の襟の鋭いV字と目付きに因ると思いますが、妙な緊張感が漂っています。まだ幼くて、モデルになる緊張感が漂っているのでしょうか。この時代の肖像画には無い緊張感を感じます。
 個人的な推定ですが、こんなことがあったのではないでしょうか。高名なクリストウスに、貴族が娘の肖像画を依頼した。イタリアで肖像画を依頼すると「盛る(実際より好ましく描く)」のが普通でした。リアリズムに拘るフランドル派には、「盛る」習慣が無かったのではないでしょうか。初期フランドル派のウェイデンなどの肖像画にも、もう少し盛ったらどうかという作品もあります。チョット紹介します。
女性の肖像(ウェイデン、1460年頃作、ワシントン・ナショナルギャラリー蔵)
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リアルすぎて、チョット美人とは言いづらいですよネ。
 注文した貴族が出来栄えに満足せず、引き取らなかったのではないかと思います。数年でクリストウスが亡くなって、遺品売却の過程でメディチ家が購入したのではないでしょうか?モデルの縁故者でなければ、名品(傑作)と正しい評価が出来ます。
 ベルリンのゲメルデ・ガレリー訪問の際は、ご鑑賞をお薦めします。

 2013年3月にヴェネツィアのアッカデミア美術館訪問の際、今から考えると綺羅星のような名品・傑作の中でこの「老婆」の写真だけを撮って帰りました。何故そうなったのかも良く分かりませんでした。その後勉強を重ねると、次のような原因があったようです。
① アッカデミア美術館所蔵・展示作品は、やや大きめの宗教画が多い。
  その中で宗教画でないし、小品の作品だった。目立ったと思います。
② 小品ながら、アッカデミア美術館で存在を示す展示だった。
  (数少ないジョルジョーネ作品の一つと言う思い入れが表れたのか)
③ 小品ながら強烈なリアリズムと絵力で、他の圧倒していた。
これらの事情から尋常ではないと感じ、写真を撮ったと思います。
 ジョルジョーネ作と認定されているのは僅か6作品のみで、この作品もジョルジョーネ作品の可能性がある絵画との位置づけです。
老婆(伝ジョルジョーネ作、制作年不詳)
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この時代に「貧しそうな老婆」をこれほどリアルに描いた作品を、他に見た事がありません。この老婆の辛かっただろう人生を感じさせます。内面まで描こうとしています。チョット比較に、ジョルジョーネの自画像を紹介します。
自画像(ジョルジョーネ、制作年不詳)
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この2枚の強烈なリアリズムに共通性を感じます。ルネッサンス時代の著名画家からこの「老婆」の作者候補を消去法で消していくと、ジョルジョーネが残ってしまいます。個人的には、ジョルジョーネの真筆だと思います。
 機会があったら、ぜひこの話を思い出しながら鑑賞するのをお薦めします。
 ジョルジョーネ作で一番知られているのは、「眠れるヴィーナス」だと思います。それも紹介しておきます。
眠れるヴィーナス(ドレスデン アルテ・マイスター絵画館蔵)

 ジョルジョーネ(1477年頃~1510年)はドレスデンにある「眠れるヴィーナス」で余りにも有名です。しかしながら、ジョルジョーネ作と認められた作品は僅か6点のみです。若くして亡くなったのと、彼の作品を誰かが加筆して完成させた作品があり、画風が完全には解読されていないからです。
 ジョルジョーネはヴェネツィアから内陸に40km程入ったヴェーネト出身と見られています。何歳でヴェネツィアに出たかは、良く分かっていません。年齢と画風から、ジョバンニ・ベッリーニの下で修業したと見られます。1500年に(23歳で)ヴェネツィアでレオナルド・ダ・ヴィンチと面会したとか、ヴェネツィア元首と傭兵隊長の肖像画を受注したとかの記録があるようです。1510年に(僅か33歳で)伝染病(ペスト?)に倒れて亡くなりました。有名な「眠れるヴィーナス」も未完成で、弟弟子のティッツアーノが加筆して完成させたと伝わります。年代順に作品を紹介します。
カステルフランコの祭壇画(ジョルジョーネ、1503年作)
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26歳頃の作品ですが、抜群の描写力です。細密な描き込みも素晴らしい。
ユディト(ジョルジョーネ、1504年作)
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発色が少し悪いのと、描き込みが粗いように見えます。未完成なのか?
ラウラ(ジョルジョーネ、1506年作)
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テンペスタ(ジョルジョーネ、1508年作)
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眠れるヴィーナス(ジョルジョーネ、1510年作)
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自画像(ジョルジョーネ、制作年不詳)
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猛烈なリアリズムと内面を描こうという強い意欲を感じます。
これ以外の作品はジョルジョーネ作と確定していないようです。

 アムステルダム国立美術館というと、レンブラント作「夜警」やフェルメール作「牛乳を注ぐ女」などの名作が思い浮かびます。そこまで有名ではありませんが、カルロ・クリヴェッリ作の「マグダラのマリア」もぜひ鑑賞してください。カルロ・クリヴェッリ(1430~1495年)はルネッサンスの時代のヴェネツィア派画家です。記録によると「マグダラのマリア」は1477年頃の作品です。初めて見たとき、世紀末芸術の作品かと思いました。ムハ(ミューシャ)の先取りかと思えます。400年以上前に、この作品を描いたとはビックリです。
マグダラのマリア(カルロ・クリヴェッリ、1477年作)

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 非常に緻密に描かれています。15世紀の環境(絵の具は手作り、・・・)と細描きの筆の入手/作成など、大変な作業だったと思います。このような絵を描こうという発想もビックリです。注文主からの要求と言うよりは、画家の自発的な発想のような気がします。
 500年前の世紀末芸術をぜひ味わっていただきたいと思います。
 カルロ・クリヴェッリの他の作品を見ると細密描写は同じですが、このマグダラのマリアの雰囲気は独特です。画題がこの雰囲気を醸し出しているのかも知れません。他の代表作を紹介します。
蝋燭の聖母(ブレラ美術館造)
聖母子像(ブレラ美術館蔵)
寄進者と茨の聖母(ワシントン・ナショナルギャラリー蔵)

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