エルンスト・ルートヴィッヒ・キルヒナー(1880~1938年)はドイツ表現主義に分類される画家です。非常に特徴的な作品を多く残しています。
エルンスト・ルートヴィッヒ・キルヒナーは1880年バイエルン州アシャツフェンブルクで生まれまし。1901年ドレスデン工科大学で建築学を学んだ後、ミュンヘンで美術を学びました。1905年ドレスデンで画家グループの「ブリュッケ(橋の意味)」を結成しました。統一した画風がある訳ではなく、アカデミックな芸術に反抗して結成したようです。1911年にベルリンに移り、1912年カンディンスキーやマルクの画家グループ「青騎士」の展示会に出品しました。
第一次世界大戦の1915年に徴集され、ザクセン州ハレの砲兵隊に配属されました。間もなく神経衰弱で除隊して、フランクフルト近くのサナトリウムで療養しました。1917年からスイスのダボスで画作に励みました。その後肺結核に至った。
1933年ナチスドイツにより「退廃芸術」とされ、「退廃芸術展」に32点も展示されました。1938年にピストル自殺して亡くなりました。
フォーヴィズムに(アフリカ、オセアニアの)原始芸術を取り入れた画風です。年代順に作品を紹介します。
座る女(キルヒナー、1907年作)

ドレスレンの頃の27歳の絵である。
リビングルームにて(キルヒナー、1908年作)

日本の日傘と少女(キルヒナー、1909年作)

マルツェッラ(キルヒナー、1910年作)

女性の居る自画像(キルヒナー、1910年作)

街(キルヒナー、1913年作)

ベルリンに出てカンディンスキーやマルクとの親交を通じて、33歳で画風が定まったようです。
街の5人のの女(キルヒナー、1913年作)

水浴する三女性(キルヒナー、1913年作)

街の女性(キルヒナー、1914年作)

街の女性たち(キルヒナー、1915年作)

兵士としての自画像(キルヒナー、1915年作)

兵士の水浴と芸術家(キルヒナー、1915年作)

病人としての自画像(キルヒナー、1918年作)

二人の兄弟(キルヒナー、1921年作)

ブリュッケの画家たちの肖像(キルヒナー、1927年作)






















































