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カテゴリ: 気になる画家千夜一夜(14世紀)

 ブォナミーコ・ブファルマッコ(1300年以前~1336年)はバロック期に活躍したイタリア人画家です。

          ブォナミーコ・ブファルマッコの肖像(Wenceslas Hollar作)
-Wenceslas_Hollar_-_Buffalmacco_
 ブォナミーコ・ブファルマッコはフィレンツェ、ボローニャ、ピサで活躍しました。誕生年や誕生地は伝わっていません。ブォナミーコ・ブファルマッコは夜型人間だったようです。夜絵を描いて、昼寝ていたようです。「ブファルマッコは悪戯好き」だとボッカッチョやジョルジョ・ヴァザーリが書き残しています。作品を紹介します。
         聖ミカエル(ブォナミーコ・ブファルマッコ 1320年代作)
1320-30san_michele_arcangelo,
      死の勝利と三人の死と聖(ブォナミーコ・ブファルマッコ 1335年頃作)
1355 死の勝利 三人の死と三人の生存
          パルマ洗礼堂の壁画(ブォナミーコ・ブファルマッコ作)
Battistero_di_Parma_
           パルマ洗礼堂壁画(ブォナミーコ・ブファルマッコ作)
-Battistero_di_Parma_
             ピサ納骨堂(ブォナミーコ・ブファルマッコ作)
-Buonamico_Buffalmacco_Camposanto1
            聖マカリウス(ブォナミーコ・ブファルマッコ作)
聖マカリウス
         地獄(ブォナミーコ・ブファルマッコ作原画の15世紀印刷)
地獄の模写15世紀?
 ブォナミーコ・ブファルマッコの悪戯の伝承があるそうです。本稿では省略します。

 アーニョロ・ガッディ(1350年頃~1396年)はゴシック期のイタリア人画家です。
 アーニョロ・ガッディはフィレンツェでジョットの弟子に当たる画家タッデオ・ガッディの息子に生まれました。それ以外の経歴は良く分かっていません。年代順に作品を紹介します。
茨の聖母子と聖人と天使たち(アーニョロ・ガッディ 1375年作)
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聖母の戴冠(アーニョロ・ガッディ 1380年作)
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聖シルヴェスターと竜(アーニョロ・ガッディ 1380~85年作)
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茨の聖母と聖人たち(アーニョロ・ガッディ 1380年代)
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ヘラクルス皇帝のエルサレム入城(アーニョロ・ガッディ 1385年作)
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ヘロド王の饗宴(アーニョロ・ガッディ 1387年作)
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降架(アーニョロ・ガッディ 1390年作)
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聖母戴冠と天使たち(アーニョロ・ガッディ 1390年代作)
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三位一体(アーニョロ・ガッディ 1390年代作)
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最後の晩餐(アーニョロ・ガッディ 1395年作)
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 群衆を描いた絵を見ると、高い画力を持っていたようです。ゴシックを超えてルネッサンスの萌芽を感じますね。

 ヤコポ・デル・カセンティーノ(1297~1358年)は主にトスカーナで活躍したイタリア人画家です。
ヤコポ・デル・カセンティーノの肖像
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 ヤコポ・デル・カセンティーノは名前(あだ名)からカスンティーノ出身と考えられます。フィレンツェでマスター・オブ・セント・セラリアから訓練を受け、1339年に画家の聖ルカ組合の創立メンバーの一人となりました。年代順に作品を紹介します。
茨の聖母祭壇画(ヤコポ・デル・カセンティーノ 1320年代作)
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聖ヨハネ(ヤコポ・デル・カセンティーノ 1330年作)
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St. Lucy(ヤコポ・デル・カセンティーノ 1330年作)
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架刑(ヤコポ・デル・カセンティーノ 1340~45年作)
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祖先の教え挿絵(ヤコポ・デル・カセンティーノ 1342年作)
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バンビーノの聖母(ヤコポ・デル・カセンティーノ作)
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聖母子(ヤコポ・デル・カセンティーノ作)
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架刑と最後の審判(ヤコポ・デル・カセンティーノ作)
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 ゴシックの画風ですね。

 アルティキエーロ(1330年頃~1390年頃)はゴシック期のイタリア人画家です。ジョットの弟子だったと伝わります。
 アルティキエーロは北イタリア ヴェローナのゼーヴィオ近郊で生まれました。ヴェローナ王デラ・スカーラ家に仕え、デラ・スカーラ宮殿に「ユダヤ戦記」の壁画を描いたと伝わります。1376年にパドヴァのサンタントニア大聖堂の祭壇画と壁画を、1378~84年にパドヴァのサン・ジョルジョ祈祷所の祭壇画と壁画を描きました。作品を紹介します。
サンタントニア大聖堂内部(1376年完成)
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サンタントニア大聖堂・聖ヒエロニムスの場面(アルティキエーロ 1376年作)
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同上 ラミロ王部分(アルティキエーロ 1376年作)
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サンタントニア大聖堂・架刑の場面(アルティキエーロ 1376年作)
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架刑部分(アルティキエーロ 1376年作)
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架刑部分(アルティキエーロ 1376年作)
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サン・ジョルジョ祈祷所内部(1384年完成)
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聖カトリーヌの殉教(アルティキエーロ 1378~84年作)
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聖ルシアの葬儀(アルティキエーロ 1478~84年作)
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架刑(アルティキエーロ 1378~84年作)
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東方三賢者の礼拝(アルティキエーロ 1378~84年作)
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聖ゲオルギオスの殉教(アルティキエーロ 1385年作)
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 フレスコ画しか描かなかったようです。

 オルカーニャ(1308~1368年)はフィレンツェで活躍したイタリア人の画家/彫刻家/装飾家です。ゴシック末期の画家ですが、ルネッサンスの萌芽となりました。
オルカーニャの肖像(Wikipediaから)
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この肖像はウフッツイー美術館に飾られています。
 オルカーニャはフィレンツェの金細工師の息子に生まれました。三人強でしたが、全員が画家になったようです。ジヨットの弟子に当たると伝わります。1352年にフィレンツェのストーン・メイソン(石工や彫像家のギルト?)に入会したという記録が残っているようです。1354~57年の間に、ストロッツ教会の祭壇画(聖母と聖者たちと救世主イエス・キリスト)を手掛けました。その後もフィレンツェで安定した作家生活を送ったようです。
アテネ君主の追放(オルカーニャ 1343年頃作)
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地獄(オルカーニャ 1345年作)
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ストロッツ教会の祭壇画(オルカーニャ 1354~57年作)
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オルサンミケーレ教会のタベルナフル(オルカーニャ 1359年作)
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タベルナフルというのは、天蓋のある祭壇です。
タベルナフル正面(オルカーニャ 1359年作)
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タベルナフル部分・無原罪のお宿り(オルカーニャ 1359年作)
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無原罪のお宿りの花壇が、聖母の墓所です。
聖母の墓所(オルカーニャ 1359年作)
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聖マティウ(オルカーニャ 1367年作)
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架刑(オルカーニャ作)
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全体的にはゴシックの画風ですが、部分的には陰影/立体感などのルネッサンス萌芽が見られます。

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