世界美術館巡り旅

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カテゴリ: 気になる画家千夜一夜(19世紀)

 カール・ラーション(1853~1919年)は油絵、水彩画、フレスコ画を多く描いたスウェーデン人画家です。水彩画で高い評価を得たようです。
         イーゼルの前の自画像(カール・ラーション 1895年作)
1895  イーゼルの前の自画像
 カール・ラーションはストックホルム旧市街ガムラスタンの貧しい家に生まれました。小学校の担任教師が才能を高く評価して、王立美術学校予備課程の入学申し込みをしてくれました。1866年に予備課程に入学し、古典課程、モデル素描課程、油彩課程と進みました。1871年(18歳)から生活の為、風刺雑誌「カスペル」の挿絵を描き始めました。徐々に仕事が増え、1876年にアンデルセン童話集の挿絵を描きました。1877年にパリへ出て画作をしたのち、1878年に一旦帰国しました。1880年再びパリに出て、水彩画が高く評価されました。1883年に帰国した後、王立美術学校教授就任の要請を受けました。若い頃度々奨学金の申請を却下されたことに拘り、教授に就任することはありませんでした。その後国立美術館壁画(フレスコ画)の依頼受け、制作しました。年代に作品を紹介します。
            外光派画家(カール・ラーション 1886年作)
1886  外光派画家
「新しい芸術」フレスコ画(カール・ラーション 1888年作)
1888  新しい芸術・フレスコ画
刊行「エッダ」の挿絵(カール・ラーション 1893年作)
1893観光 エッダの挿絵
クリスマスの朝(カール・ラーション 1894年作)
1894  クリスマスの朝
「スウェーデン芸術の歴史」フレスコ画(カール・ラーション 1896年作)
1896  スウェーデン美術の歴史・フレスコ画
ブリータと私(カール・ラーション 1896年作)
1896  ブリータと私自画像
お母さんと娘たちの部屋(カール・ラーション 1897年作)
1897  お母さんと娘たちの部屋
魚釣りをするリスベス(カール・ラーション 1898年作)
1898  魚釣りをするリスべス
台所で(カール・ラーション 1898年作)
1898 台所で
名前の日(カール・ラーション 1898年作)
1898 名前の碑
クリスマス・イヴ(カール・ラーション 1904年作)
1904 クリスマス・イヴ
はがきを書くモデル(カール・ラーション 1906年作)
1906Model_writing_postcards
夏の朝(カール・ラーション 1908年作)
1908 Summer_Morning
孫のマッツ・ラーション(カール・ラーション 1911年作)
1911  孫のマッツ・ラーション
クルミの木の下(カール・ラーション 1912年作)
1912 Under_the_chestnut_tree
 清々しい水彩画が多いですね。

 アメリー・ルンダール(1850~1914年)はフィンランドの女流画家です。
 アメリー・ルンダールはフィンランド中部オウルで、法律家の娘に生まれました。8歳の時父が亡くなりました。1870~72年の間ヘルシンキのフィンランド美術学校に通いました。奨学金を得て1872~73年の間ストックホルムのスウェーデン王立美術院で学んだ後帰国して、ヘルシンキの美術学校で助手を務めました。1877年に再び奨学金を受け、パリのアカデミー・ジュリアンで学びました。その後12年フランスに滞在して、1889年に帰国しました。年代順に作品を紹介します。
         ブルターニュの少女(アメリー・ルンダール 1880年作)
1880  ブルターニュの少女
ブルターニュの少女の肖像(アメリー・ルンダール 1882年作)
1882 ブルターニュの少女1882
水甕を持つブルターニュの少女(アメリー・ルンダール 1884年作)
1884  水差しを持つブルターニュの少女
少女庭師(アメリー・ルンダール 1885年作)
1885 The_Garden_Girl_-_Google_Art_Project
牧草地の少女(アメリー・ルンダール 1887年作)
1887  牧草地の少女
タンバリンの踊り子(アメリー・ルンダール 1888年作)
1888  タンバリンの踊り子
花に水をやる少女(アメリー・ルンダール 1890年代作)
1890s  花に水をやる少女
夏の緑(アメリー・ルンダール作)
夏の緑
 少女の肖像画を多く描いた女流画家です。

 アルベルト・エデルフェルト(1854~1905年)はフィンランド大公国に生まれ、ヨーロッパ各地で活躍した画家です。
         自画像(アルベルト・エデルフェルト 1887~90年作)
1887-90 自画像
 アルベルト・エデルフェルトはポルヴォ―で建築家の息子に生まれました。1869年(15歳)からフィンランド美術協会の絵画学校で学びました。1873~74年の間アントウェルペン美術アカデミー歴史画を学びました。1874~78年の間パリのエコール・デ・ボザールで学び、ジャン=レオン・ジェロームの生徒となりました。1881~82年の間サンクトペテルブルクで学び、1889年のパリ万国博覧会で金賞を受賞しました。年代順に作品を紹介します。
         ブランカ王妃(アルベルト・エデルフェルト 1877年作)
1877 ブランカ王妃
クラウス・フレミングの死体を侮辱するカール大公(アルベルト・エデルフェルト 1878年作)
1878 クラウス・フレミングの死体を侮辱するカール大公
私室に居る若い女性(アルベルト・エデルフェルト 1879年作)
1879  私室に居る若い女性
カバノキの下(アルベルト・エデルフェルト 1881年作)
1881 カバノキの下
海上で(アルベルト・エデルフェルト 1883年作)
1883 海上
海岸で遊ぶ男の子たち(アルベルト・エデルフェルト 1884年作)
1884  海岸で遊ぶ男の子たち
ルイ・パスツールの肖像(アルベルト・エデルフェルト 1885年作)
1885 ルイ・パスツールの肖像
キリストとマグダラのマリア(アルベルト・エデルフェルト 1890年作)
1890 マグダラのマリア1890 キリストと
夕暮れのカウコラ(アルベルト・エデルフェルト 1890年作)
1890 夕暮れのカウコラ
二人の女性と洗濯物(アルベルト・エデルフェルト 1893年作)
1893  二人の女性と洗濯もの
ポリ連隊の行進(アルベルト・エデルフェルト 1900年作)
1900 ポリ連隊の行進
 淡い色調で描く上手い画家ですネ。色調と一部の画題から、象徴主義の傾向が見えます。

 ロツ・カーロイ(1833~1904年)はドイツ生まれのハンガリー人画家です。
                自画像(ロツ・カーロイ作)
自画像
 ロツ・カーロイはフランクフルト近くのバド・ホンブルグで王子の近侍の息子に生まれました。4歳の時に父が亡くなり、母親と一緒にペストに移り住みました。ペストやウィーンで画家に師事して絵画を学びました。ブダペストで活動した後、ウィーンでも活動しました。1882年にブダペスト美術アカデミーの教授に就任しました。その後ウィーン美術アカデミーの名誉会員になりました。年代順に作品を紹介します。
         馬で駆けるアウト・ロー(ロツ・カーロイ 1857年作)
1857  Galloping_Outlaw
プスタ草原で馬に水をやる(ロツ・カーロイ 1860年代作)
1860s Lotz_Watering_the_Horses_on_the_Puszta_1860s
雨嵐の馬たち(ロツ・カーロイ 1862年作)
1862_Horses_in_a_Rainstorm
画家の娘コルネリア・ロツの肖像(ロツ・カーロイ 1890年作)
1890  Portrait of Kornélia Lotz
ローナ・リッピチの肖像(ロツ・カーロイ 1894年作)
1894 Portrait_of_Ilona_Lippich_1894
白い衣装の
コルネリア・ロツ(ロツ・カーロイ 1900年作)
1900  Lotz_Kornélia_Lotz_in_White
若い貴婦人の肖像(ロツ・カーロイ作)
Lotz_Portrait_of_a_Young_Lady
ブダペスト セント・ステファン教会天井画(ロツ・カーロイ作)
Bazilika_kupola Saint Stephen's Basilica in Budapest
春の鋤き起こし(ロツ・カーロイ作)
春の鋤き起こし
アカデミー派というかバロックというか微妙な画風ですね。

 ムンカーチ・ミハーイ(1844~1900年)はハンガリーの国民的画家です。
 ムンカーチ・ミハーイはMukacheve(現ウクライナの町)で、塩流通を管理する役人の息子に生まれました。6歳で母が亡くなり、8歳で父もなくなりました。叔母に預けられましたが、その叔母も強盗に殺される災難にあいました。1858年(14歳)から大工の徒弟になりましたが、奴隷に近い扱いだったようです。1860年に病気で仕事を出来なくなり、叔父に預けられました。ここでドローイングの才能を見出され、ペストの国立美術学校で学ぶようになりました。パトロンの支援で1865年からウィーン美術アカデミーで学び、1866年からミュンヘン美術アカデミーで学びました。その後パリに出て、ヤン・フランシス・ミレーやギュスターヴ・クールベと交流を深めました。年代順に作品を紹介します。
           牢獄(ムンカーチ・ミハーイ 1869~72年作)
1869‐72 牢獄
攪乳する女(ムンカーチ・ミハーイ 1872~73年作)
1872-73 Churning Woman攪乳する女
酒好きな夫(ムンカーチ・ミハーイ 1872~73年作)
1872-73 酒好きの夫
夜の浮浪者(ムンカーチ・ミハーイ 1872~73年作)
1872‐73 夜の浮浪者
薪を背負う女(ムンカーチ・ミハーイ 1873年作)
1873 Woman with bush wood
土埃の田舎道(ムンカーチ・ミハーイ 1874年作)
1874  土埃の田舎道
赤ん坊への訪問者たち(ムンカーチ・ミハーイ 1879年作)
1879 赤ん坊の訪問者たち
海賊の前のキリスト(ムンカーチ・ミハーイ 1881年作)
1881  海賊の前のキリスト
花と水差しの静物(ムンカーチ・ミハーイ 1881年作)
1881 still_life_flowers_jug1
グレイハント(ムンカーチ・ミハーイ 1882年作)
1882 グレイハント
ゴルゴタ(ムンカーチ・ミハーイ 1884年作)
1884  ゴルゴタ
並木(ムンカーチ・ミハーイ 1886年作)
1886 並木
見ろあの男だ(ムンカーチ・ミハーイ 1896年作)
1896  あの男を見ろ
パリの印象派・後期印象派の時代ですが、アカデミー派的な画風の画家です。

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