2016年6月 ヴェレトゥルジューニー宮殿(プラハ)を訪問しました。この美術館の中に、ムハの「スラヴ叙事詩」の展示室(別に入場料が必要)が当時はありました。その後作品は日本にも来ましたが、ブルノの展示場、南モラヴィアのモラフスキー・クルムロフ城に展示され、2026年にプラハに戻るようです。「スラヴ叙事詩」以外のコレクションの常設展示もありました。今回は、アンリ・ルソー作「私自身、肖像=風景」を紹介します。
アンリ・ルソー(18844~1910年)はフランス北西部で生まれ、軍役を経て27歳でパリ入市関税職員になりました。趣味で描く日曜画家で、1886年からアンダパンダン展に出品を続けました。生前ロートレック、ゴーギャン、ピカソ等の少数の人が評価しました。1893年に税関を退職して、年金生活に入り画作に集中しました。退職前の作品は比較的少なく、「カーニバルの夜」とこの「私自身」くらいです。ロートレック、ゴーギャン、ピカソとも高いデッサン力を身に着け、その後デッサンを崩して独自の画風を作り出しました。日曜画家の(デッサン力の低い)アンリ・ルソーが、自分の画風を作り上げた事に驚嘆したと思います。「自分なりの画風を確立させるのに、こんなルートもあるのだ。」だと言う感想だと思います。
「私自身」もデッサンは無茶苦茶で、アンリ・ルソーの踵は浮いています。つま先も僅かに浮いています。背景と自画像は別の絵の合成です。セーヌ川らしき景色と後ろの万国旗を掲げた船と黒っぽい背広姿は、自分が関税職員だと言いたいのでしょう。日曜画家だということに居直っているのでしょうか?橋の手すりを繰り返し描き、建物の煙突を繰り返し描き足し、船の向こうの網目模様はエッフェル塔のつもりでしょうか?何故か熱気球も上がっています。
「俺はパリの税関職員の日曜画家だ。何か問題あるのか?」と言っています。
アンリ・ルソー(18844~1910年)はフランス北西部で生まれ、軍役を経て27歳でパリ入市関税職員になりました。趣味で描く日曜画家で、1886年からアンダパンダン展に出品を続けました。生前ロートレック、ゴーギャン、ピカソ等の少数の人が評価しました。1893年に税関を退職して、年金生活に入り画作に集中しました。退職前の作品は比較的少なく、「カーニバルの夜」とこの「私自身」くらいです。ロートレック、ゴーギャン、ピカソとも高いデッサン力を身に着け、その後デッサンを崩して独自の画風を作り出しました。日曜画家の(デッサン力の低い)アンリ・ルソーが、自分の画風を作り上げた事に驚嘆したと思います。「自分なりの画風を確立させるのに、こんなルートもあるのだ。」だと言う感想だと思います。
「私自身」もデッサンは無茶苦茶で、アンリ・ルソーの踵は浮いています。つま先も僅かに浮いています。背景と自画像は別の絵の合成です。セーヌ川らしき景色と後ろの万国旗を掲げた船と黒っぽい背広姿は、自分が関税職員だと言いたいのでしょう。日曜画家だということに居直っているのでしょうか?橋の手すりを繰り返し描き、建物の煙突を繰り返し描き足し、船の向こうの網目模様はエッフェル塔のつもりでしょうか?何故か熱気球も上がっています。
「俺はパリの税関職員の日曜画家だ。何か問題あるのか?」と言っています。
私自身、肖像=風景(アンリ・ルソー、1890年作)
カーニバルの夜(アンリ・ルソー、1886年作、フィラデルフィア美術館蔵)
カーニバルの夜(アンリ・ルソー、1886年作、フィラデルフィア美術館蔵)